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新なにわ会設立の経過今後について   令和4年3月14日

                       なにわ会会長  岡 野 武 弘

 平成27年度、なにわ会は、海軍3校同期クラスの上野三郎、村山隆、深尾秀文の3代表幹事から、遺族主体の運営に代わり、同28年6月4日、永代神楽祭を実施後、靖国参集殿2階の楠の間で発表、会友と遺族の総意で、新なにわ会の発足が正式のものとなりました。同期クラスの方々を会友と称し、過去の遺族の両親たちに尽くして下さった孝養への恩返しのご招待としました。

 アルカディアの会場で、会友をご招待しての祝賀会を盛大に行いました。以後、会員たちのご協力のお蔭で順調に発展、甥、姪、孫と同伴下さる会員も増えて、「最後の一人となっても、なにわ会の名を遺そう」と誓い合った幹事だもの喜ぶ顔の安堵がありました。

 平成32年、令和元年と私自身の慶事も重なり、なにわ会の名誉の万々歳の下、同年配の遺族の方々と、文書の遣り取りも増え、老いの生き甲斐も増えました。

 処が、令和2年、コロナ禍が発生し、全国的な感染症の蔓延に、神社側の意向を踏まえ、残念ながら、中止を決定、全会員への通知となりました。

 その中止の間の2年間、東京付近に在住の幹事6名で、6月の定例日の昇殿参拝を行い、全国の会員に代わり、慰霊の誠を尽くしました。会の発足以来70年、これで1年の断絶もなく、慰霊の誠を尽くせたのでした。

 私は、別途、春・秋の例大祭の招待の案内状を受け、なにわ会を代表して、各界の著名な靖国護持の方々と参拝を共にでき、幸せでした。

 想えば、偏向教育を排し、公教育の正義を日指した私は、東條英機大将の孫の2男子の卒業担任を引き受けたのでした。夫人から「夫は、首相となった時、軍人よりも、平和維持に尽くす政治家を日指していました」と、家庭訪問時に聞きました。この勝子夫人との交流は、私の人間学の温かいものの素となっています。
A級戦犯の多くを合祀し、祭神とした靖国神社です。兄は、「東條めツ!が、戦争を長引かす!!」と怒っていましたが、私の教え子(古賀邦正は大学教授・東條正敏は会社重役)の祖父と知ったら、呵々大笑、東条さんと握手しているでしょう。靖国の池の畔で、私も、いずれ二人に加われるかと、興味津々つていう処です。

 現代史の学習を奪われた日本人が多く、遊就館で、日本の戦争突入の必然と、特攻の愛国精神に感激の大学生たちに会い、嬉しくなって説明し、なにわ会に任意の参加の靖国参拝を誘い、認識を深め合おうと約束しました。

 令和4年のなにわ会は、遺族代表太刀川龍夫、郵便口座担当竹内英治、会計と庶務川田真樹子、HP管理原田佳明、そして、会長岡野武弘で、当日の幹事4名と新組織を確立、靖国護持、海軍3校遺族団の任意団体のスタートとしたいと考えております。4月20日に発する案内状にご期待下さい。