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鉄拳制裁に関し 

我が海軍兵学校の光輝ある伝統の中に弊害の最たるものの一に鉄拳制裁なるものあり。

而して従来この鉄拳制裁は上級生が下級生誘導に際し、下級生をして生徒館軍紀に馴致せしむる為極めて有力にして、且必要欠くべからざる手段なる如く一般生徒の間に信ぜられ本校の伝統の一として久しく継承し来れるものなるも、爾来その弊害の看過すべからざるものあると、時代の進運に適応せざる理由のもとに、屡々之を改めんと試みられしも、終に其の目的を達するを得ず、勿論その間多少の消長はありたりと雖も今日に及べるものなり。

 而して校長以下教官監事が夙に改善せんと努力せられし此の弊害が、終に今日に及べる原因には種々あるも、要は之に最上級生徒の自覚不足により生徒それ自身徒に旧来の惰性に押さるるのみにして自ら反省し自粛自戒せんとする気迫に欠くる所ありしに因由する所大なりしは蓋し蔽うべからざる事実なり。大東亜戦争勃発以来一般社会に於ては従来脱せんとして脱し得ざりし所謂英米思想を脱却し我が国古来の日本精神に遷元しつつあり、我が兵学校に於ても若し斯くの如き事実ありとせば速に之より逸脱せざるべからず。

 蓋しこの鉄拳制裁は「知らしむべからず由らしむべし」式の英米式強制的指導法の遺風にあらざるかを憂ふ。我が兵学校に於ける此の風習の起点は審らかならざるも、明治維新此の方皇軍建設の範として専ら欧式軍隊の制度を輸入して我が国軍隊の基礎を樹立せし其の当時、術を彼の国に学ぶと同時に不用意にも我が皇軍に適せざる欧式統御法をも伝承せるものに基因せるものにあらざるかを疑ふものなり。一方日本古来の教育法は弟子は先生の行いを見て之を学び、先生は己の行いを以て弟子を感化するにありき。即実践躬行以て下を導く、之が我が国古来よりの教育法なり。

 また古より武士が後輩を指導するに当り鉄拳を用いたるを聞かず。苟も武士が鉄拳を振ふが如きは最大の恥辱を与ふるものとせるは、彼の明智光秀が織田信長に謀叛せる事実を以て見るも明なるべし。

以下本弊風を放任する事に依り生ずべき最も憂ふべき影響につき、二、三検討を試みんとす。

 即鉄拳は個人的に恐怖心を起こさしめ或は反抗心を温醸する等種々の弊害あるべきも、此の如きは些々たるものにして第一に生徒をして外形のみの軍紀を整え以て足れりとなし、深く其の内容を省察する事なく皇軍本来の軍紀の観念を誤らしむる素因ならざるや。

第二に最も純真素直なるべき生徒をして鉄拳の如き強烈なる刺激を加ふるにあらざれば動かざる如き、生徒をして鈍重ならしむる憂いなきや。

第三に将来将校の本領たるべき部下統率に於いて鉄拳を適法なりと誤認し部下指導を誤ることなきや。 此の三なり。

 由来我が国の軍隊は上下を信頼し、下克く上に心服し指揮官を中心として完全に精神的結合を為す、此の厳正なる軍紀あるが為に今次大東亜戦争に於て皇軍向かう所一として勝たざるなく、彼の外国の軍隊に見る強制的結合を内容とする軍紀が如何に外形整ふも事に当り烏合の衆に等しかりしかは、今次大戦に於て明確に顕現せられし所なり。

 而して鉄拳の如き外形を整ふれば足れりとなす外国軍隊に於ては適法にして、或は軍紀維持の為の捷径ならんも、我国の如く精神的結合を基とする軍隊に於ては、適法に非ざるは勿論部下を心服せしめ真の皇軍軍紀を保持する所以のものに非ざるなり。

 若し従来我国の軍隊に已むなく外国式部下指導法たる体形的指導法残存せりとするならば、速に之を棄却し真の日本的指導に立返り、より一層強固なる軍紀を打立つべきなり。 或は我海軍に於て従来体形的指導法を以てして今日の如き立派なる軍紀を持続し何等憂ふべき所なしとなすものあらば、誤れるも又甚しきものにして、従来斯の如き弊風を以てして尚且つ幸い立派なる軍紀を維持し来りたるは一に我国体に因由する御稜威の然らしむる所、国民の純忠なる精神の発露が外国思想の我国の軍隊に乗ずべき間隙を与えざりしによるなり。

 須く吾人は日本精神に生きざるべからず。宜敷く吾人は部下の部下は道義を以て指導し又統御せざるべからざるなり。

唯此処に系統を同ふして相共に訓育せらるる吾人将校生徒の間に於ては例へば親が子を戒め兄が弟を鞭撻するが如き骨肉の関係に於けるものと同一の心境に於て時宜を得たるものは或種の効果を期待し得べし。故に本校に於ては従来特例を認めらるるも之を系統を全く異にする下士官、兵に適用しては絶対に下をして心服せしむる所以にあらざることを銘記するを要す。特に時勢の進運につれて然るなり。

 兵学校三年間吾人が徳を磨く所以のものは、実は将来指揮官として部下統御の万全を期せんが為のものなり。実に部下統御の完璧を期する事は、将来重大責務にして此の意味に於ても鉄拳制裁が部下統御に及ぼすべき害悪をよく認識し、同時に兵学校時代の習性は将来艦船配乗後と雖不知不識の間に露出し来るものたる事を銘記し、在校中最上級生徒として下級生を誘導するに当りても鉄拳制裁に関しては最も戒心し、無自覚のもとに此の弊風に汚損せられざるを要す。

                        ー終ー

 

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