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平成16年度なにわ会参拝クラス会記

林  藤 太

 昨年十一月二十八日開催の年末クラス会において、伝統ある「なにわ会」の幹事を拝命してから五回の会合を持ち、主として慰霊祭の打合せを行ってきた。前例及び前年度幹事諸兄の適切な引き継ぎと本年度幹事諸君の御苦労により恙(つつが)なく当日を迎えることが出来た。 

五月末からの何日かは梅雨を思わせるような雨と記録的な真夏日に驚かされたが、六月三日の当日は東京の最高気温二四・八度、湿度も二〇%と低く、願ってもない好天に恵まれた。傘寿を越えた年寄りを労っての天の恵みか? 

さて当日幹事六名と手助けを依頼した会員諸兄は一〇〇〇集合、受付の準備を始めとして受け入れ態勢を整えた。一〇三〇を過ぎると出席者が来始める。今年は参拝者参集所が建設中のためプレハブの仮参集所の手狭なところに詰め込んでもらう不便さを余儀なくされた。 

定刻一二〇〇村山幹事から要領説明の後昇殿参拝に移る。本年の参拝者は総勢一八一名(うち教官一・ご遺族八一・生存者九九(兵七六・機一三・経一〇)となる。 

今年は先ず拝殿に並べられた連続椅子に腰をおろし、国歌(君が代」の奏楽、修祓を受けた後、本殿昇殿、祝詞奏上、若松幹事の祭文奏上(別掲)、続いて代表者―ご遺族代表として兵・猪口 信様(智君の弟)、機・岸 尚様(昭君の弟)、経・岩佐温生様(肇君の妹)、柳田教官および若松幹事の五名による玉串奉奠(ほうてん)、終わって一同合わせて二礼二拍子一礼の礼拝を行った。戦友の御霊に語りかけるような若松君の祭文を聴きながら、共に学び共に鍛え、共に戦い、「散る桜 残る桜も 散る桜」と誓いあった戦友達の紅顔、勇姿が今更のごとく脳裡に浮かび、六十年余の歳月を思いかみしめながら 御霊の安らかに鎮まりますことをお祈り申しあげ、一二五〇厳粛のうちに滞りなく昇殿参拝の儀を終了した。 

国を愛する心、国に殉ずる行為が戦後の精神風土の中で否定されてきた事への憤りとやり切れなさに時代の流れを思い知った。 

参拝のみで帰られる人たちを送り(柳田教官は直後に行われる六五期の慰霊祭のため退席、また参集所で石隈教官夫人にもお会いした)、個々に國会館へ移動 一二卓に分かれて着席、予定どおり一三三〇懇親会開宴、参加者は一四五名(うちご遺族五二名、兵七三、機一〇、経一〇名)。

村山幹事の司会のもと先ず若松幹事の挨拶があった。  

(要約)

「―ただいま、新緑滴る静寂な社殿にお参りしたところであります。私どもクラスの御母堂様は六名の方がご健在と伺っておりますが、亡き御子息への思いは如何ばかりかと存じます。いつまでもお元気にお過ごし下さるよう願って止みません。世代は変わっても御両親様への思慕の念は変わるものではありません。私どものクラスメートの一人として次代へと受け継がれ、只今お揃いの皆様方に同年代の親しみを感じております。何卒ごゆっくりとご歓談いただきたく宜しくお願い申し上げます」 

続いてご遺族を代表して広瀬晴雄様(遼太郎君の弟)のご挨拶をいただいた。

(要約)

「―――慰霊祭実施の最初の頃は両親も健在で毎年夫婦揃って上京、在京中の私は必ずお供をしました。父が逝き、母も後を追って他界してから、毎年弟を誘って参拝を続けている私には二つの理由があります。一つには優れた知能と経歴をお持ちの皆様方に接し、自分自身の教養を高めるということ。もう一つは亡き両親の、まるで鳶が産んだ鷹のように掌中の珠として育て、将来に期待を込めていた兄遼太郎が空しく南海の空に散ったという知らせを受けて父はその悲嘆に打ちひしがれ、丸二年も仕事に手を着けませんでした。 ―――しかし待てども、帰らぬ兄をいつまでも幻の幽冥に漂わせるのも哀れとの思いが高まり、ようやく慰霊碑を建立して葬儀を行ったのでした。愛したわが子を國の社殿に偲べると毎年参拝を続けた両親に、親孝行の真似事でもしようかと両親への功徳として参列させていただいている次第です。―――(後略)」

万感の思いのこもったご挨拶のあと献杯のご発声をいただき会食、懇親に移った。

開宴の後、都竹卓郎君から次ぎの発言「来る六月十日に四年に一度の海軍兵学校連合クラス会全国大会が開催される。この全国大会は昭和五十四年名簿完成を祝って始まったものである。奮って参加されたい。」があり、併せて第七回全国大会記念誌の紹介販売があった。 

宴席は生徒時代や戦時中の思い出、更には戦後から現在に至る数限りない話や古い貴重な写真に見入りながらの尽きぬ思い出話などなどで、名残は尽きないが 予定の一五〇〇となり恒例の軍歌係の後藤俊夫君の音頭による「軍艦行進曲」続いて「海ゆかば」を万感込めて合唱 村山幹事の閉会宣言により閉宴した。

この度の慰霊祭開催の案内から当日の運営進行等不行き届きの点多くご迷惑ご不便をおかけしたと思いますが、傘寿に免じてご海容ください。 終わりにご遺族はじめ会員諸兄のご支援ご協力に深謝申し上げますと共に皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。

 なお末尾になりましたが、次の方々から多額のご芳志を頂戴いたしました。厚くお礼申し上げます。  (順不同)                                          

ご寄付者     ご遺族   

井尻 文彦の弟   井尻 民雄様          石原  博の姉   石原 淑子様

斎藤 徳道の義弟  一條 一雄様      同    の妹   一條  嶺様

伴  弘次の弟   伴  辰三様             福山 正通の義妹  福山 秀子様

  堀江 太郎の弟   堀江 保雄様             元木 恒夫の姉   渡辺  邦様

  滝沢 昌彦の姉   中田 光子様             井ノ山威太郎の弟  井ノ山隆也様

関谷 年男の弟   関谷 節郎様
           生存会員    鈴木 保男

祭 文

謹んで海軍兵学校第七十二期、海軍機関学校第五十三期、海軍経理学校第三十三期戦没者諸兄の英霊に申し上げます。 

光陰矢の如く、一年の歳月が過ぎ去り、平成十六年なにわ会参拝クラス会の日を迎え、ご遺族を初めとして、教官並びに生存者が諸兄の御霊の前に額づき、過ぎし太平洋戦争に一命を擲(なげう)って護国の鬼と化された忠烈な行為を称えると共に、暫し天界より降り給いて語り会えることを厳粛な裡(うち)に懐かしく思う次第であります。

顧みますれば、昭和十五年十二月感激も一入、全国各地より将校生徒として入校、克己の精神をもって、日々訓練に励み寝食を共にクラスメートの一員として一体感をもって修得しえたことは私どもに貴重な人生の原点でもありました。 

一年後には大東亜戦争が勃(ぼっ)発、当日は月曜日、変わりなく監事長点検の為整列しておりました。軍艦旗掲揚後、監事長より、昨夜半米英蘭と戦闘状態に入ったことを知らされ、同時に草鹿校長より、「生徒の本分は四囲(しい)に惑わされることなく、勉学に励むことである。」と念を押されたことも明瞭鮮明に記憶されていることと思います。外国語が英語に一本化されたほかは変らず、在校中に期待を寄せられたのは、ツラギ夜戦で辛酸を舐めた電探であったかと思います。更に二ヶ月繰り上げ卒業を目指し濃縮された日々に励んだのであります。 

昭和十八年九月十五日卒業を迎え、三校併せて七八七名の少尉候補生は艦船部隊(伊勢・山城・竜田・八雲)と航空部隊(霞ヶ浦航空隊)とに別れ、二ヶ月間の練習艦隊勤務に入り、十一月半ば再び全員揃って、宮中で天皇陛下のご拝謁を賜り、尽忠報国の念に燃えて第一戦の任地に勇躍赴いたのでありました。当時の戦局は不利に傾きつつありました。 

以降、マリアナ沖海戦(昭和十九年六月)・比島沖海戦(同年十月)へと続き、主力艦艇を失い、また多くの犠牲を伴い、更なる戦局の悪化を余儀なくされたのであります。 

(ここ)に至って遂に多大の物量に対し「百倍の敵に対戦せん」と至誠の念に燃えた特攻部隊が結成され、空に海に決死覚悟で立ち向かったのであります。壮烈かつ崇高なものがありました。

本土決戦へと進み、その一角が沖縄戦であり、八月には人類初の原爆攻撃でありました。 

人類の破滅已()むかたなし  

かくして、ポッダム宣言を受諾した日本は、敗戦という形で、八月十五日天皇御自ら国民の前に終戦を明かされたのであります。苦渋の大英断と共に重責を負われたのであります。 

二十世紀の祖国日本は、極東の一郭(かく)で鎖国等国家として浮沈はあったものの亜細亜における穢(けが)れなき伝統文化を持つ一小国であったと思います。開国以来西洋文明を積極的に受け入れ、科学技術礼讃(らいさん)に過ぎし道を歩んで来ました。この大戦では日独伊三国同盟により米英連合国に対峙(たいじ)し、最後まで意志を貫き、前記したように日本はすべてを失い原子爆弾に止めを刺されたのであります。 

数十年の歳月が流れ、ただ今、眼を閉じれば「戦った当時のあらゆる記憶が蘇り、唯々無我夢中に全力を尽くした」との思いがあります。南海の大空に、蒼海(そうかい)に孤島に身を挺して散華された諸兄の凛々しい姿が、今なお脳裏に焼きつき、片時も忘れることは出来ません。 

ご遺族の皆様にとっては断腸の思いと存じます。私ども、生ある限り諸兄らが身を挺して示された愛国の至誠を遍く世に伝えて止まることなきよう、ここに誓います。

日本の一世紀余りに及ぶ歴史の中に、亜細亜諸国が植民地化から目覚め、独立国家として繁栄の途にあることは、共に喜ばしいかぎりであります。おごることなく、協調の時代へと進むことを願って已みません。 

日本の安泰と平和を祈りつつ

願わくはご遺族様に御加護賜らんことを、諸霊の無限の叡(えいち)をもって私たちを導かれることをお願い奉ります。
     平成十六年六月三日
                      なにわ会代表  若松 禄郎

  慰霊祭参列者

ご遺族

(兵) (兵)
 遺族名 故人名 続柄  遺族名 故人名 続柄
宮澤 路子 青木 孝太 長澤 健助 長澤熊太郎 義弟
井尻 民雄 井尻 文彦 中西 英子 中西 健造
岡野 武弘 井尻 文彦 中西 典子 中西 健造
伊藤 高昭 伊藤比良雄 中西 久三 中西 健造
猪口  信 猪口  智 畑  サダ 畑  岩治
猪口  勇 猪口  智 畑  佳延 畑  岩治
星野 道子 猪口  智 伴  辰三 伴  弘次
飯島  厚 飯島  晃 広瀬 晴雄 広瀬遼太郎
竹内 紀子 石原 輝雄 広瀬 謙介 広瀬遼太郎
川島 直美 石原 輝雄 福山 秀子 福山 正通
竹内 英治 石原 輝雄 浦  久美 福山 正通
泉本 光代 泉本  修 義姉 石井 宏子 堀江 太郎
稲葉千恵子 稲葉  博 堀江 保雄 堀江 太郎
岩波 静子 岩波 欣昭 義姉 真鍋 英三 真鍋 良弥
黒瀬 タミ 大森  茂 松本 貞二 松本 昌三
大森 勝子 大森  茂 松本 ゆき 松本 昌三 義姉
藤本 和久 岡田 次夫 丸  和夫 丸  秀夫
粕谷  衛 粕谷 仁司 土原 弘子 宮林 久夫
方岡 静子 方岡  勇 義姉 土原 敦子 宮林 久夫
木村  靖 木村  G 宮林 慶子 宮林 久夫
小島喜久江 小島 丈夫 有田 雅子 土原 弘子 友人
小林 俊弥 小林  博 村上 典夫 村上  達
小林 久榮 小林  博 義妹 村上美智子 村上  達 義妹
小松崎トキ 小松崎正道 大内キミ子 山口 勝己
一條  嶺 齋藤 徳道 古賀 博道 山口 勝己
一條 一雄 齋藤 徳道 義弟 北村智恵子 山口 勝己
飯沼 和子 嶋津 義公 山田 一夫 山田 三郎
白井 豊児 白井 利徳 元山 和子 吉田 克平
菅原 紀行 菅原 四郎 木原 雅子 若林 立夫
菅原 弘泰 菅原 四郎  (機)
杉坂 智男 杉坂 善男 石井 武司 石井 勝信
鈴木富千代 鈴木 忠雄 井ノ山隆也 井ノ山威太郎
片岡 京子 曽我  清 井ノ山智恵子 井ノ山威太郎 義妹
今井 和子 田中 洋一 川崎 正雄 川崎 順二
今井ゆかり 田中 洋一 川崎 恵子 川崎 順二 義妹
武井 保憲 武井 敏薦 寛応 房子 寛応  隆
角田 葉子 角田 慶輝 岸   尚 岸   昭
土屋  馨 土屋  敦 関谷 節郎 関谷 年男
戸塚 幸夫 戸塚  弘 本田 道夫 本田 武夫
冨井 宗昭 冨井 宗忠
中澤 英夫 中澤 達雄 (経)
中澤 恒夫 中澤 達雄 岩佐 温生 岩佐  肇

生存会員

(教官) (兵) (兵) (機)
柳田 益雄 後藤 俊夫 樋口  直 大森慎二郎
(兵) 後藤英一郎 平川  進 片山  勇
相沢善三郎 小灘 利春 平野 律朗 金枝 健三
阿久根 正 小林  勝 宝納 徳一 佐丸 幹男
足立 英夫 幸田 正仁 松下 太郎 斎藤 義衛
足立 之義 左近允尚敏 松山  実 野崎 貞雄
(妻)玲子 笹川  勉 間中 十二 三澤  禎
安藤 昌彦 佐藤  静 溝井  清 (妻)喜美子
市瀬 文人 椎原 国康 三好 文彦 (義妹) 妙子
伊藤 正敬 柴田 英夫 向井壽三郎 村山  隆
(妻)節子 渋谷  了 森園 良巳 (妻) 玲子
上野 三郎 渋谷 信也 矢田 次夫 室井  正
右近 恒二 定塚  脩 山下  誠 山下 武男
浦本  生 白川  潔 山下 茂幸
大谷 友之 杉田 政一 山田  穣 (経)
大槻 敏直 多胡 光雄 山田  良 阿部 克巳
大村 哲哉 辻岡 洋夫 山田 良彦 神林  勗
岡本 俊章 都竹 卓郎 山根眞樹生 亀谷 敏明
桂  理平 東條 重道 横田 敏之 北川 博幸
門松 安彦 豊田 芳夫 若松 禄郎 窪添 龍輝
川越重比古 豊廣  稔 渡辺  望 高杉 敏夫
岸本 一郎 中川 好成 高田 俊彦
草野 家康 中村 正人 深尾 秀文
久米川英世 名村 英俊 (会友) 槇原 秀夫
桑原 義一 野村 治男 岩松 重裕 吉江 正信
畊野 篤郎 (妻)綾子 後藤  寛
後藤  脩 林  藤太 藤瀬 韶國