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平成17年度なにわ会慰霊祭記

左近允尚敏

六月三日、恒例のなにわ会慰霊祭が靖國神社で行われた。戦後六十年という節目の年にあたる。雨が心配されたが、薄曇でときどき薄日がさし、暑くも寒くもない好天気に恵まれた。午前十時、幹事六名(相澤、若松、向井、左近允、野崎、阿部)が上野、原田、森園、金枝の諸君の応援を得て受付の準備にかかる。

 十一時から受付、終った参拝者は新築の参集殿に移ってそこここで会話が始まった。十二時に拝殿で君が代の奏楽のあと、お祓いを受けてから昇殿した。祝詞奏上に続いて相澤代表年度幹事が祭文を奏上、次いで遺族代表として井尻民雄氏(文彦君弟)、井ノ山智恵さん(威太郎君義妹)、土原弘子さん(宮林久夫君柿)のお三方と生存者代表として相澤、野崎両君が玉ぐしを奉奠、続いて一同柏手を打って英霊に拝礼した。

参拝者は生存者及び夫人九十九名、遺族六十九名、戦後物故者の夫人、子女十五名の計百八十三名であった。(なお十四年度は百八十六名、十五年度は百八十九名、十六年度は百八十一名)。

 午後一時から靖国会館で懇親会が開かれた。参拝者のうち三十三名は帰られたので、参加者は生存者九十八名、遺族四十一名、物故者夫人、子女十二名の計百五十一名。

野崎幹事の司会で始まり、相澤代表幹事があいさつしたあと、遺族代表として遠路鳥取から参加された横川康春氏からご挨拶を頂戴した。氏は先の大戦におけるなにわ会会員の健闘を讃えられ、生存者が一分一秒でも長生きするよう祈念すると述べられた

あと、献杯の音頭をとって下さった。(氏はこのあと、兄の上原庸佑君が戦死したサイパンに慰霊の旅をされたそうである)。

 昼食をとりながら懇談に移ったが、この間に伊藤(正)君からなにわ会のホームページについて説明があつた。テーブルのあちこちで話の花が咲いて時間の経つのを忘れるほどだったが、二時半過ぎからまず相澤君の広瀬中佐、ついで岡野武弘氏の「朝は再びここにあり」と「愛国行進曲」の歌があり、一同合唱し、あるいは聴き入った。

最後に軍艦マーチ「海ゆかば」を英霊の耳に届けと大声で合唱した。これで今年の慰霊祭諸行事を無事終え、名残を惜しみながら来年の再会を期して散会した。今回は戦後物故者の夫人方が亡きご主人に代わって参加され嬉しかった。 

懇親会会場のマイクが不調で、ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。幹事の反省事項になりました。

下記の方(敬称略)から多額のご寄付を頂戴しました。厚くお礼申し上げます。

遺族 生存会員
遺族名(故人名) 遺族名(故人名) 遺族名(故人名) 遺族名(故人名) 後藤 脩
佐藤春雄(美保) 石川 栄(方久) 上田淑子(福山正通) 井坂昭子(権代博美)
一条 嶺(斉藤徳道) 今村妙子(一敏) 伴 辰三(弘次) 鈴木富千代(忠雄 )
井の山隆也(威太郎) 堀江保雄(太郎) 猪口  信(智)