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100号

 次世代に伝えたい海軍の心

磯部 小舟(春日仁の次女)

  

 息子がたまたま借りてきた「プロジェクトX〜執念が生んだ新幹線」のDVDに海軍の話が出てくるとは想像していませんでしたが、戦争の負の部分の記憶を心に秘めながらも、平和のための開発に人生を賭けた元軍人の姿が描かれていました。
 終戦後、GHQにより公職から追放されたり、戦争責任を追及されたりと、軍人が鉄道研究所へ招かれるまでの困難などを、私達若い世代にもわかりやすく説明されており、戦争がどんどん遠い記憶になってゆく中、次世代へ伝えるためには貴重な番組と思いました。
 父は私達姉妹には、女だからか海軍のことはあまり話しませんでしたが、もし息子が居れば軍艦に興味を持ってもらいたかったのではないかと思えるエピソードがあります。
 丹後の従兄は、中学生の頃大阪万博を父に案内してもらい、帰りに大阪の書店で軍艦の本を買って貰って嬉しかった事を、今でも覚えていると言います。母方の従兄で父と血の繋がりはありませんが、従兄は父の最期を何度も見舞い、通夜は夜通し付き添ってくれ、とても有り難いことでした。
 息子の理は父の孫の中で唯一の男の子ですが、映画「男たちの大和」でブームとなった軍艦グッズで、離れて暮らしている祖父と交流を図ろうとしました。限定品に目がない息子は、戦艦大和のモーター付のプラモデルから、コンビニでシリーズ販売されていた小さな軍艦のプラモデルまで、いくつも買い集め「これをお祖父ちゃんに見せたら喜ぶかな」と言って父の住む奈良へ持って行ったりしました。
 3年前のお正月は、大学生の孫娘、雅子が「男たちの大和」に感激した感想を父に語り、小学生の理は、戦艦大和のプラモデルと大和のジグソーパズルを片手に父を囲んで記念写真を撮りました。それが、父が3人の孫と写った最後の写真になりました。
 その頃、父は「週刊 戦艦大和をつくる」というシリーズの模型作りに取り組んでいましたが、入院のため未完に終わってしまいました。けれども、いつか孫たちが軍艦に興味を持ち完成させてくれることと思います。
 父の死後「なにわ会ニュース98号」に息子、理の作文を載せて頂きましたが、その後、小学校の卒業文集にも、海軍と父のことを書いていました。父が亡くなった時が、文集作りの時期と重なった事もありますが「小学校6年間の一番の思い出は?」と尋ねたら「祖父の葬儀のこと」「その時に初めて会った海軍同期の方々のこと」をあげました。
 学校の先生は、学校行事を中心に作文にして欲しかったようですが、理ははっきり「お祖父ちゃんと海軍の部分は削れません」と言ったそうです。この作文のお陰で、思わぬ方々から「感動しました」とお褒めの言葉を頂戴し、大変うれしく思っています。私達家族も、こういう形で思い出を述べることが出来、感謝いたしております。
 作文でも話題にした映画「三丁目の夕日」は昭和30年代を描いたものですが、「お父ちゃんの戦争の話なんか聞きたくないやい。」と子供が言うシーンがあります。そういう時代を経たからこそ、今、次世代に伝えることが大切だと思います。
 こんなことなら、生前の父ともっと話をしておけば良かったと思うばかりです。
 葬儀の時に流した「軽騎兵序曲」は、CDを生前の父に渡したこともなく、昨年NHK「クインテット」という番組の中で放送された時は、聞かせたかったなぁと思ったりしました。また、奈良の実家に届いた「特別慰労品」の時計は、なにわ会ニュースを見て申し込んだのですが、到着までに一年以上かかり、生前に受け取れなかったことも、父らしいと思ったりもしました。
 父の孫の友子(6歳)は、父が生前に「お化けだぞ〜」とお化けのマネをしていたのをよく覚えていて「おじいちゃんのマネ」と言って、父のマネをしてくれ、とても慰めになっています。友子が5歳の時に、祖父である父は亡くなったのですが、生前、模型やパズルで遊んでくれたことは忘れられないようです。友子が大人になっても海軍だった父の事が、記憶の片隅に残っていてくれたらいいなと思います。
 友子は父と年齢が80歳違いですが、「なにわ会ニュース」という素晴らしい記念誌のおかげで、次世代に思い出を残すことができる良い機会を頂けましたことに深く感謝いたします。