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昭和55年 6 8日実施

第十五回参拝クラス会の記

間中 十二

今般のクラス会は、受付開始早々から懇親会半ばまで、風を伴った強烈梅雨前線の臨時参加昨夜というハプニング来にも拘わらず、ご遺族、教官、生存者多数の参加によって、例年どおり盛大に実施できました。英霊のお導きのお陰とご同慶の至りです。

昇殿参拝は、ご遺族97名、教官、生存者119名の参加でした。遠来の客としては、ご遺族ではとして、倉本恒治の母堂ツギ様(熊本)、鈴木敏旦の母堂美代様(山形)、伊達利夫の令姉妹千恵子様(山形)、中島健児の母堂静子様(福岡)、西尚男の令妹照子様(福岡)広瀬遼太郎のご尊父美佐久様(新潟)宮林久夫の令姉弘子様(石川)、山崎正男の母堂サダ様(佐賀)の皆様、そして生存者では大堀(北海道)、鬼山隆三(福岡)、珍客では鈴木保男、加藤 孝二種男の諸兄でした。遠路遥々のご参加有り難うございました。

定刻1100に昇殿。神官祝詞。柴田幹事の祭文奏上、続いて小長谷教官、柴田幹事、遺族代表各行1名の玉串奉奠と。とどこおりなく進行。入校以来40年、終戦から35年の歳月を噛みしめ故人を偲んで、厳粛な感銘深い一時を共にすごしたことでした。

さて今年のクラス会の特長は、例年の会場が大安吉日とかで席が取れず、この為2キロ半ほどの道程を、お茶の水の日本学生会館まで移動しなければならなかった事であった。輸送手段を種々検討の末、たとえ雨でもタクシー一本に絞った。生存者各位のご協力と前年度幹事及び若松禄郎君の適切な誘導により、予定通り全員移動、その上会場のもてなし振りが例年の九段より好評を博し、来年もここでとの意見も多かった。終り良ければすべてよし、幹事望外の喜びでした。

懇親会は、日本学生会館大ホールにおいて、定刻藏元幹事司会のもと「総員起こし」 「軍艦マーチ」のテープ演奏に続いて始まる。型どおりの間中の「開会の辞」のあと、教官代表として小長谷教官(機関科)のご挨拶あり。「一年少々の教官時代、搭乗員の募集を宣伝し、多数の特攻戦死を招く結果となって慙愧に堪えない」 「私の年齢は年寄り扱いだが、諸兄は黄金の50歳 これから何でもやれる」と老成自称の期友には耳の痛い激励を頂いた。

次いで、矢田海上幕僚長が登壇「幹事のたっての依頼で、制服で罷り出た。ここでご挨拶出来ることは、場違いながら光栄の至り」と前置きした後、「海軍を担う誇りを抱いて入校以来40年、海の守りが我がクラスの世代に任されたが、直接防衛に携わるのもこの1年で終り」 「沈没船救助に好天の海に飛び込むに先立って」、ウエットスーツも母の写真をソット忍ばせた若い自衛隊員の心情にふれて、親子の愛、母の愛が戦争を知らぬ若人を精強にする事実、これが国を守る根源であることを痛感した。」と切々たる顕官の苦衷に教官を覚えるお話であった。

つづいて、乾杯用意。「先ずもって、靖國の英霊のご冥福を祈り、ご遺族及びなにわ会の皆様の益々のご健康とご多幸を祈って!」と田中教官の音頭で乾杯、懇談に入る。

ややあって、遺族代表53期井上哲君のご尊父捨次郎様の「今年又は来年、37回忌を迎えられる遺族の懐旧の念と慰霊のご心情をお察し申し上げ、厳粛な式典の挙行に感謝申し上げる」旨のご挨拶を頂く。

ここで、懇談の渦の中に割って入りまして、俄記者よろしくインタビューしましたのでその一部を紹介します。

田中教官と澤本倫生君

 足の摩擦による健康増進法(今日は澤本君が教官役のようでした。

木村力君の母堂

 姉小夜子さんに伴われ群馬県太田から上京。

鈴木敏旦君の母堂

 23年振りに参加、まだ80前で元気です。

泉本修君の令兄

 恒川・飯沢さんと弟が府立一中の同期なので・・

佐藤英一郎君

 週間読売に来週から2週間なにわ会連載の漫画が名簿の挿絵に出るので見て欲しい。

坂巻和一君の令弟和也氏

 楽しみにしていた母でしたが、本日不参。千葉から出て来た妹とここで落ちあったところ、妹さんの「兄の白い軍服が脳裏に焼き付いて「ぬれた小馬のたてがみ」を歌ってもらった事を覚えています。

金子忍君の母堂

82歳になり世田谷から毎年参加します。お世話になるばかりです。

内田源吾君の母堂・令妹

父は血圧が高くて欠席しました。

山田富三君の令兄

 これまで父が出ていました。昨年校長を定年退職したので参加。

小松弘君の母堂

 宇都宮から5里、もう86歳。弟の車で来ました。

小岩井博の母堂・令妹

 父2年前死亡。

武田晴郎君の母堂・丸秀夫君の母堂・堀江太郎君の母堂

 (三者てい談中)晴郎君448分隊、色白の坊ちゃんでした。太郎君は人気者でした。矢田 次夫幕僚長の白い制服、とても懐かしい。

上島逞志君の母堂と新庄君

7月の法事には品川さんや澤本さんが来てくださった。澤本さんには何時も方を揉んで頂いた。ある人から大和の本を五千円で売りつけられそうになったが、買うのも自由だと断った。

青木孝太君の令妹と中村元一君

彼とは4号の時隣の分隊だった。好い男だった。

以上録音というのは難しいものです。

名残の尽きないうちに、軍歌用意。ピンチヒッター大和通信士都竹前幹事の指導により、これも前例のない「上村将軍」と「軍艦マーチ」の大合唱。流石に昔鍛えた黄金の50歳、音量豊かにしてハーモニー荘重、大ホールを震わす圧巻でした。最後に、石隈教官のお達示、「新見校長は膝の怪我で座れないので欠席する。諸兄によろしくとのこと」と伝言披露後、87歳の某先輩の話で「もう○○歳になったの「もう」は活躍のエネルギーを削減するもの」

石隈教官の音頭でなにわ会万歳三唱。

最後、閉会の辞、深尾幹事。来年は67日午前10時昇殿。元気で会いましょう。閉会は丁度二時半でした。

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