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昭和57年 530日実施

第十七回参拝クラス会の記

小松崎正道

17回なにわ会参拝クラス会が530日ご遺族・教官・期友多数出席のもとに例年のように盛大に行われた。

1100から靖國神社で慰霊祭、1230からお茶の水の日本学生会館において懇親会という計画で滞りなく終了した。心配された天気も、曇りながら雨にはならず、かえって凌ぎいい天候に恵まれたことは幸いで会った。靖国の森の緑も濃さを増し、展示されたさつきの紅や白の花が鮮やかな色どりを加え、爽やかな美しい境内であった。受付所の設営、名札や名簿の整理等受付の準備に忙しい。空を見上げると幹事の顔に安堵の表情が見える。加藤孝二君がカメラの入った大きなバッグを手に一番乗り。早速受付準備を手際よく手伝うやら、スナップの撮影にかかるなど忙しく働いて呉れる。

何時ものことながら、加藤君の写真係的活躍をはじめもろもろのなにわ会への献身的奉仕には敬服の至りで感謝に堪えない。辻岡洋夫、安藤昌彦両君が生存者の先陣組である。ご遺族では井尻文彦君のご母堂みどり様が第一番に元気なお姿を見せられた。10時を過ぎる頃、御遺族や期友がつぎつぎと顔を見せ、受付は名簿のチェックや名札の追加作成などで多忙しで混雑し、幹事の手際悪くご遺族の方大分ご迷惑をかけ失礼しました。一年振りに再会、お互いに久闊を叙し、近況を語り合うご遺族と期友の姿で参集所前は一際賑やかになった。

慰霊祭は定刻から次の次第によって行われた。

参集(手水)、着席、修祓、献饌、神官祝詞奏上、祭文奏上、玉串奉奠、黙祷、撤饌、退下。祭文は來島照彦君がなにわ会を代表して奏上した。村岡達志教官、井尻みどり様、守谷スズ様、内田よね様、と來島君が夫々代表として玉串を奉奠、一同代表者にならい拝礼、黙祷、英霊に対し追悼のまことを捧げ、いとも厳粛の裡に慰霊祭を終了した。

 戦後も既に37年、あの太平洋戦争すでに遥かな往時となったが、亡き期友のありし日の英姿を偲ぶ時、胸の痛む思い切なるものがあり、謹んで在天の英霊の安からんことを祈るのみである。

懇親会は昨年と同様お茶の水の日本学生会館大ホールで行われた。案じていた出席者の定刻5分前には総員無事会場に集合できた。これも、期友、ご遺族のご協力と天候に恵まれたお陰である。

懇親会は森山幹事の司会によって進められ、最初に型どおり小松崎幹事の開会挨拶があり、続いて村岡教官から来賓代表として丁重なご挨拶を頂き、田中教官の音頭で乾杯懇談に入った。

懇親会場の設定、会食の準備も適切で、藤瀬韶国画伯の大作「大和」ほかが展示された会場は和やかな雰囲気につつまれ、談笑の声が一段と賑やかになる。会半ばにして石隈教官と今泉教官からのご懇篤なご教示、ご挨拶を頂戴し、また鈴木忠雄君の御父君藤蔵様が遺族を代表してご挨拶されたが、88歳とは思えぬ尾元気さでなにわ会への鄭重な御言葉を頂き恐縮の至りであった。

軍歌演習は例年の如く高崎慎哉の指揮で艦船勤務と軍艦を斉唱、軍歌帳なしでも流石立派なものであった。

最後は篠田教官の音頭でなにわ会の万歳を三唱、槇原幹事の閉会の辞で名残を惜しみつつ来年の再会を約して散会した。なお来年は612日(日)です。

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