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昭和59年 6月 3日実施

第十九回参拝クラス会の記

左近允尚敏

本年度のなにわ会慰霊祭と慰霊祭は63日、ご遺族、教官、期友多数の出席を得て盛大に行われた。心配された天候も曇天ながら雨にはならず幸いだった。

昇殿参拝は例年より1時間早い10時だったが、参列者の到着は順調で、受付係は例によって忙しい所に、新しいなにわ会名簿の配布と代金の徴収が加わった為、飛び入りの期友の力を借りて乗り切った次第。

午前10時昇殿参拝。祭文は今年度幹事の左近允尚敏が奏上、次いで田中一郎教官、武田冨士江様(晴朗君母堂)泉本厳様(修君兄君)岩波正幸様(欣昭君兄君)、左近允尚敏の5人が玉串を奉奠した。黙祷すれば、毎年の事ながら、戦没者諸兄の勇姿が想い出され胸迫るものを覚える。

とどこおりなく慰霊祭を終え、三々五々懇親会場に向かう。会場はここ数年定着したお茶の水の日本学生会館である。

定刻の1130幹事野崎貞雄君の司会で始まり、左近允尚敏の挨拶の後、足立喜次君、野崎君、安藤寿郎君の各幹事を紹介。先ず田中一郎教官のご挨拶を頂く。次いで、ご遺族を代表して賀川近子様(慶近君母堂)が壇上に上がられ、ご挨拶に続いて詩吟と和歌を朗々と吟じられた。終って石隈辰彦教官の音頭で乾杯、懇談に移ったが、恒例のご遺族や教官方のお元気さに、期友一同ハッパを掛けられた感があった。

どのテーブルも話がはずみ、はずんだ分だけアルコールの消費が増えて幹事は追加の注文や従業員への催促など、バタバタしたが、嬉しいことだった。澤本倫生君から新見校長が近く出版されるヨーロッパの第二次大戦指導史の本について紹介があった。

軍歌係は例年高崎慎哉君だったが、今回は金枝健三君がなり、ユーモアを交えた見事な指揮の下で、一同声を張り上げて「艦船勤務」次いで「軍艦行進曲」を歌う。万歳三唱は最も遠い盛岡から参加の桑原義一君に音頭を頼んだが、同君からまず盛岡市が計画中の米内光政記念館の協力をとの話があった。大将ゆかりの品は極めて少ないのが現状であり、多くの人々の協力を得て立派なものにしたいという希望である。万歳三唱を終って、安藤幹事の閉会の辞、定刻1320、名残は尽きなかったが、来年の再会を約して散会した。

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