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昭和61年 6月 8日実施

第二十一回参拝クラス会の記

高杉 敏夫

梅雨入りが遅れたのが幸いし、樹の間から薄日が漏れる6811時、教官4名、ご遺族112名、生存者127名、計243名参集して恒例のなにわ会慰霊祭が行われた。

幹事門松安彦がなにわ会を代表して別記祭文(掲載略)を捧げ、6人の代表が玉串を奉奠し式を終えた。

その間、私たち生き残った者たちの脳裏に去来するものは、やはり何時までも若々しい友の姿であった。

1230、場所を日本学生会館に移し、懇親会に入る。広田幹事の司会で進められ、来賓の安元、石隈両教官のご挨拶を頂き、次いで柳田教官の乾杯で懇親に移った。話がはずみ、時が経つのを忘れる裡に、何時までもお若い賀川近子様(慶近君母堂)の詩歌が披露される。それに負けじと万年青年の安元教官の詩吟の飛び入りがあり、井尻武弘君(文彦君の弟)が亡き兄への恰もレクエイムのように、島崎藤村の「朝」を歌われた。

ご遺族を代表して岩波正幸様(欣昭君兄)の心からの感謝の挨拶があって、高崎軍歌係の指揮で生存者一同、「同期の桜」と「軍艦行進曲」を斉唱する。

ご遺族鈴木藤蔵様(忠雄君の父君)の年齢を忘れさせる元気な万歳三唱で余韻を残し来年67日(日)の再会を期して会を閉じたのが定刻1400だった。おりしも、南方のスコールを思わせる俄雨が通り過ぎたが)、却って樹々の緑を洗い、清々しい一時であった。

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