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平成二年年末クラス会

小沢 尚介

 平成二年も余すところ一ケ月足らず、本年は戦後丁度四十五年目であり、また、国内外ともめまぐるしい一年であったと思う。

 我々のクラスの面々も六〇代の後半を迎え、心身ともに若干くたびれてきたので、果たして何人が出て来るかなと内心心配しながら返事を楽しみにしていたが、、最終的には九十名を超える人数となりほっとしたのである。

 レターの中には体調を崩し夜間の外出は禁止されていることや、足腰が不如意のため、不悪との通報も結構あり一抹の淋しさを禁じえないものもあり、かつまた、今回も教官方のお出ましをお願いしたのであるが、それぞれ都合悪く全員欠席されることになった。これも幹事の不手際と心得て恥入る次第である。

 本年も会場は例年の如く市ヶ谷グランドヒルで十二月三日一八〇〇から開かれることにしてあったが、約一時間前から懐かしき面々もちらほら見え初め、定刻五分前にはほぼ全員の顔も揃った。今回の司会役は機の三澤君にお願いし、会次第に従って予定通り進行した。

先ず小生が挨拶を行い、ついで本年度逝去された次の四名の冥福を祈り一分間の黙祷を捧げた。
(機)梅本和夫君  (兵)古川嗣郎君
(兵)佐藤孝之助君 (兵)吉田義彦君

次に来年度の年度幹事の(兵)伊佐、椎原、松下、(機)飯盛、(経)足立の諸氏の紹介を行った。やる気十分であり大いに期待したい。また、矢田君から旧海軍に関連する連絡事項あり、今回は乾杯の音頭を遠来の伴君にやって貰った。彼からは国会議員立候補時の御礼あり、又最近の国状を憂える心情を吐露されながらの乾杯であった。

会場はいつもの広間であるが、懇親会に入ると、皆往年の元気を取り戻して飲むやら、しやべるやら、古来稀のはずの七十歳にあと二〜三年の面々とは思えない。むんむんする熱気の中できらきら輝いていた眼が印象に残った。
 約一時間三十分後、恒例の軍歌は高崎生徒のリードで軍艦マーチ一曲を斉唱し二〇〇〇懇親会終了。会後、幹事連でかつての猛者も洒量が半分に減ったなあと感嘆する一幕もあ
ったが、又来年も同じように元気で出席してくれることを期待しながら本報告を終る。
 尚、六月の参拝クラス会及び今回のクラス会に張り出した会次第のみごとな墨蹟は、故森本達郎君の未亡人の栄子さんの手によるもので、小生が無理にお願いして書いてもらったことを付記しておく。厚く御礼申し上げる次第。