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パインなにわ会の記

中村 元一

 割烹小松の門を初めて潜ったのは、昭和十九年八月、佐世保の榛名から横須賀で艤装中の駆逐艦桐へ着任した当夜の歓迎会の時である。爾来四十七年の月日が流れ、かっての軍港横須賀は全く変貌したが、小松の女将山本直枝社長は傘寿を既に迎えられたとは思えぬほど健在である。

明治十八年八月八日創業以来百六年の歴史をもつ小松だけに、流石に現在も旧海軍、海上自衛隊関係の利用も中々多い。七十一期や七十三期は毎年クラス会を行っているそうである。女将から七十二期お方も是非クラス会をして下さいという話が左近允尚敏や小生に度々あり、そこでソロソロ決行しては如何であろうかと、年初の湘南なにわ会出席者にプラスして案内を出した結果、石隈教官はじめ計二十二名が三月二十三日夕刻パインに集結した。

開会に先立ち、米内光政、山本五十六ほか大先輩諸提督の書を女将の説明を受けながら拝観したが、流石にいずれも墨痕鮮やかなものでる。そおあと、いよいよ開会、先ず左近允幹事の挨拶に続き、石隈教官のご訓示があったが、その中で小松の名跡由来について、小松と言うのは明治の初め、初代女将(山本コマツ)が小松宮から頂いたものであるという説明があった。そして、教官の音頭で乾杯、酔わない内にと記念撮影のあと懇談に入る。女将の挨拶を聞きつつ昔のパインを回想する。

兵科の中でも飛行機組は横須賀に縁の浅い者が多く、また機関科の中でも上田や藏元のように縁の深い者もあれば、野崎のように今まで機会に恵まれず、漸く宿願を達して大満足の者など、皆昔のガンルーム士官に戻ってご機嫌。各地の軍港音頭も飛び出して賑やかなこと、来年も是非盛大にやれという声が多く、幹事役としては心強く、やりがいがあったというもの。

それにしても、四十九期のコレスという今若姐さんの八十歳を超えて今なお現役のその矍鑠振りにはみな脱帽といったところ、歓談は尽きるところを知らなかった。二十時、軍歌演習、小松繁盛万歳三唱で散会。

当日の出席者 三十二名 氏名掲載略