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平成四年 年末クラス会記

田中 春雄

台風三〇号くずれの低気圧も東方洋上に去り十一月中旬並の暖かな絶好のクラス会日和となった。クラス諸兄及び奥様方の日頃の精進の賜物か。不景気風邪が吹く師定だがクラスの顔は明るい。平成四年なにわ会年末クラス会は昨年と同じくグランドヒル市ヶ谷において石隈教官のご出席をいいただき、十二月二日十二時から開催された。一堂に集うクラス八十五名、夫人十名で、総計九十六名であった。関西からは桂、宇野が遠路参加、常勤の河野が風邪のため珍しく欠席したのは残念。鬼の霍乱か。

今回のクラス会は一部クラスの提言をとり入れ、昼間の開催とし,それ夫人同伴を強くお願いした。

これはクラスも第一線を退き、暇ができて昼間の出席可能と思われ、遠方の人は夜の帰りが遅くなるという不具合がなくなること。また、夫人同伴を強く打ち出す以上奥様方の出席しやすい時間帯とした方がよいとの考え方で実施した。結果は前記のとおりであるが、出欠通知の連絡欄に「俺は未だ現役、昼間のクラス会出席は無理]との意見があったそうで、今なお矍鑠として頑張っているクラスに改めて敬意を表したい。しかし先輩の状況から、昼間行うクラス会に夫人同伴が増えているのも自然の成り行き。今回一〇名の奥様が参加された意義は大きい。今後の盛況を期待したい。
式次第に従い幹事村山の司会により軍艦旗に敬礼から始まり、幹事多胡から今年実施した行事の主なものとして、物故者に対する慰霊、戦没者のご両親でご健在の方に減塩梅干をクラス会から贈呈したこと等について報告があった。次いで、戦死及び物故したクラスへの黙祷。連絡事項として、桂 理平、山田 穣、澤本倫生が発言、桂から「わが海戦記」囮隊の空母瑞鳳と駆逐艦桜の最後に関する自著出版について挨拶があった。これは体験を克明に記述したもので迫力がある。(コーナーで即売一部二千円)。山田は電話連絡綱の在り方について苦言を」呈し,KAの場合も確実に伝達するようKA礼賛の大演説,澤本は連合クラス会について連絡、万年幹事ご苦労様。
 連絡事項が終って石隈教官が乾杯の音頭をとられた。教官から、齢七〇にもなると我儘,セッカチになることが多い、自戒すべしとのお話しあり。当日午後に横須賀で会議というご多忙の中で我々のクラス会のため時間をさいてのご出席、宴半ばにして退場されたが、誠に有難い極みである。
 懇談に移ったが、今回は円卓着席の方式で行われた。時間も十分あったので、そこここで話がはずみ、盛会であった。

今年は二月に猿田、四月に石津滋、六月に郡、八月に田中歳春、九月に佐々木庄と五名が亡くなった。哀惜の情切なるものがあり、心からご冥福をお祈りする。
 最後に高崎生徒の号令で恒例の軍歌を合唱、なにわ会の萬歳三唱、幹事三笠の閉会の辞で解散となった。佐川事件等度重なる不祥事で政治不信その極に達し、不愉快極まりない世相の中で、一陣の清風を感じたクラス会であった。

来年の幹事は、(兵)佐藤 静、中山 皎、岩本 修、(機)村山 隆、(経)窪添龍輝

の諸兄である。よろしく願います。
出席者) 合計九六名  氏名掲載略