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平成5年 参拝クラス会記

中山 皎

早朝からの小雨も受付開始の頃にあがり、まだ雨水に潤う若菜の下で参集者を待ち受ける。ご遺族、級友の顔が増えるに従い、再会を懐かしむ会話の輪があちこちにできる。卒業満五十年を迎える年のためか、第二六回に当たる本年度の参集の数は、昭和四十三年度以来最多であり、ご遺族九〇家族、一四一名、教官、生存者、同伴者を含めて一三九名、合計二八〇名であった。
 慰霊祭は六月六日午前十時から行なわれた。

神事に引き続き、佐藤 静君が祭文(別掲)を奏上、続いてご遺族代表、千田とし様(故千田吉夫君ご母堂)、伴すず様(故伴 弘次君ご母堂)、寛応房子様(故寛応 隆君令妹)、浅野満祥様(故浅野祥次君令兄)の四名、石隈教官、生存者代表佐藤 静君の計六名が玉串を奉奠、一堂拍手、拝礼に続き、しばし黙祷を捧げて慰笠祭は終了した。
 懇親会は、九段会館において中山幹事の司会で十一時二〇分に開始された。佐藤幹事の開会挨拶に続き、ご遵族代表挨拶を伴すず様(故弘次君盲堂)にお願いする。当年九五歳というお年を感じさせない、しつかりした語調でなにわ会対する謝辞と、ほぼ1世紀に渡り動乱の二十世紀を生き抜いて来られた胸中を踏まえての、生存者に対する励ましの言糞を述べられる。生存者一堂感激して承る中ご挨拶(別掲)が終り、会場は感動の拍手に包まれた。次いで石隈教官のご挨拶を頂
き、岩本幹事の音頭で乾杯し、懇談に入る。

中山幹事からなにわ会年末クラス会、佐藤幹事から卒業五十周年記念行事へ(兵科)、水野君から渚の会(なにわ会員の油絵同好の士の集まり)展についてそれぞれ連絡があり、次いで篠田君と長女香里様により、篠田君作の「江田島を讃える」が声高らかに吟詠された。迫力に感銘し、その間会場は沈黙。終って本格的な懇談に移ると、各テーブルとも一転して懐旧談に花が咲き、杯重ねて歓談つきず、時間の経過を忘れる。軍歌は、高崎君の音頭で「同期の桜」を一同唱和、村山幹事の音頭で万歳三唱、窪添幹事の兵会挨拶をもって、午後一時半、名残は尽きなかったが、来年の再会を約して懇親会の幕を閉じた。

冒頭に述べましたとおり、例年に比し多数の方々のご参集を頂き、幹事一同感激致しました。お陰で盛大裡に終ることができましたが、不行き届きの点が多々あったと思います。謹んでお詫び致します。
 終りに、ご遺族の方々、柳田教官から多額のご寄付を賜わったことを報告し、心から感謝の意を表します。