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なにわ会年末クラス会記

向井寿三郎

恒例のなにわ会年末クラス会は、十二月八日、グランドヒル市ヶ谷で行われた。このグランドヒル市ヶ谷は防衛庁関係の施設で、一般の人に比べ、防衛庁関係者は格安の料金で

利用できるという特典がある。それで今回も元呉地方総監の槇原秀夫君をわずらわして席をとってもらった。

出席者は、後掲のように総計八十二名。昨年が九十一名だから九名減ということになる。その上、教官に一人も出席いただけなかったこと(昨年はお二方)、同伴が一組しかなか

つたこと(昨年は三組)もあり、世話役としてはいささか心さびしいところだった。

 自らすすんで二度年度幹事を勤めた富士栄一君がいつかこんなことを言ったことがある。「クラス会案内の返信はがきを読むのが楽しみで、届くのが待ち遠しく一日のうちに

二度も三度も郵便受けをのぞきにいった」と。郵便受けを何度ものぞきにいったのはわたしも同じだったが、わたしの場合、「読むのが楽しみ」というよりは、「出席」の枚数の伸びが気になってのことだった。返信〆切りの日の十一月十五日現在で出席者七十三名。おくれて届く分がいくらかあったとしても、到底昨年の九十一名には届きそうにない。主幹

事の中西君が、俺は川崎と能登川を往ったり来たりするからとの理由で、返信はがきの宛先をわたしにしていた。これがいけなかったのではないか。出そうか止めようかと迷って

いる者にとっては、宛先幹事の名の軽重が問題になりうる、という思いがあったのである。

 ところが、〆切り日というのはあってなきがごとしだ。十五日過ぎてから予想以上に出席者が増え、一時は九十名の大台に達したが、喜びも束の間、体の不調をはじめよんどころない事情によるキャンセルが相つぎ、結局前記のようなまあまあの数字に落ちついた。

 

さて当日、受付の方は人数と現金勘定が合わずモタモタしたが、肝心の会場は定刻一七三〇を少々おくれて安藤幹事の司会で開会。劈頭、戦没期友と戦後亡くなったなにわ会

関係者のために一分間の黙祷。そのあと中西幹事が、本年度をふり返り、あらまし次の諸件について経過を報告した。

 阪神大震災に際してのなにわ会の対応と、快く募金に応じてくださった諸兄へのお礼。参拝クラス会の件。このところ恒例となっている戦没期友の健在ご両親へのお中元の件。本年度中のなにわ会関係者の訃報、等々。

終わって8年度幹事の紹介があった。

兵 中川 好成、浦本  生、中西 健造(留任)

機 齋藤 義衛       経 深尾 秀文

そこで乾杯となるわけだが、音頭ははるばる福岡から出席した三好文彦君にとってもらった。ちょっぴり喉をうるおしたところで、座が荒れる前にと、連絡事項が二件あった。

泉五郎君より―

去る十月下旬、三〇二空で戦死した赤井賢行君の墓参のため淡路島を訪ね、ご健在の母堂コリヨ様(91歳)にお会

いし、その折なにわ会宛に多額(五万円)のご寄付をいただいたとの報告。

金枝健三君よりー

昭和二十年一月二日、七六二空(銀河隊)隊員としてサイパン攻撃戦に参加して戦死した岡本 操君(偵察)のことを調べている人がいるので、その日の戦闘について知っていることがあれば、金枝まで知らせて欲しいとお願い。

宴酎の頃、今夏大阪の茨木市から横浜市青葉区へ越してきた笹川勉君が壇上に引っぱり出され、挨拶を〃強要〃される一幕もあった。GF長官の感状をもらったかつての勇者も、人前での話は苦手らしいのが、わたしにはほほえましく映った。

 あとは例によって例のごとく、放っておけば、宴は何時はてるとも知れぬあんばい。頃合(開会後二時間半過ぎていた)とみた安藤幹事の司会は軍歌に移った。後藤俊夫君の指揮で「軍艦マーチ」と「海ゆかば」を斉唱。高柳幹事の閉会のことばでお開きとなった。

 食べものがチト足りなかったのではないかという気がしないでもなかったが、アルコールと尽きせぬ歓談がそれを補ったのか、家路につくどの顔も、満ち足りた、しかも若々しい生気さえうかがえる表情だった。