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パインなにわ会に寄せて

山田 良彦

 三月半ばにパインクラス会の案内。今年位はと思っていた所、応蘭芳さん同席の由、早速出席と返事した。

 当日(四月十八日)は、第八回目で過去最高の二四名(出席者末尾)が集まり、又主計科から初めての高田君が出席、文字通りパインなにわ会になったと、左近允君の喜びの挨拶があった。全く以て御同慶の至り。

 更に八十九歳のゴッドの昔を偲ばせる折目正しい挨拶。流石。確か御主人は高橋猛典君が最後迄面倒を見た筈。飛行機乗りの小生にはパインは余り縁のない存在であったが、左近允君の練習艦隊司令官としての壮行会をここでやったことがあった。当時は、高橋君、富士君、石津 寿君、それに品川 弘君も元気で、一席を皆で賑やかに囲んだものだ。数えればあれから二十二年、皆若くて元気だったんだなあと今更の様に昔が懐かしい。と感慨に耽る間もなく「打方始め」と共に、あっという間に宴は盛上り、「俺はあの頃ここに日参していたんだ」とか、何のことかよく判らないが「手解きを施した話」「受けた話」等々、スピーチに歌に談笑に、宴が五十年前の青年士官の集まりに化するには時間はいらなかった。

 応女子は、鹿屋一泊フライト、硫黄島一泊フライト、P3C体験飛行と三回同行の機会を得ている。再会を喜び、盃を傾け乍ら想い出話に花を咲かせた。鹿屋からの復路P2Jで、押本君共々最先端風防ガラス囲いの見張り室に飛行中ずっとへばりついていたことや、硫黄島戦跡のすさまじかったこと等々。

 女史は、英中日の混血の女優で、日本落下傘スポーツ連盟理事長、防衛庁オピニオンリーダー等、各方面で多才な活動をされている、チャーミングな女性である。

 話がスカイダイビングに及んだ時、「アメリカでは九十歳以上の人達でもやっているんですよ。」と。一度どうですかと言われそうな話。「何心配いりませんよ。飛行機から蹴落として貰いさえすれば、気圧差で自動的に傘が開くんですよ。」との話なるも流石に余り乗気にはなれなかった。

 クラスでは藤尾圭司君が落下傘降下の唯一の体験者だったと思う。彼も昨年他界した。女史は、二十五年以上も前から毎年四〜五回飛んで居られる由、只々驚き恐れ入るのみ。

 宴も終り、再会を約し散会となったが、左近允君が、応女史との別席に誘って呉れた。同行は蔵元、野崎の両君、共に応さんの大ファン。改めて飲み且つ語りあかした。

 帰りは駅から、フラリフラリと千鳥足を運んだ。今夜は、うまい酒、楽しい酒、懐かしい酒を、タップリ頂き、春宵一刻価千金、冥利に尽きる思い出あった。