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第五回 戦闘機会

飯野 伴七

平成十年四月八日・九日の両日、櫻花満開の霞ケ浦湖畔に宿を取り、江田島卒業後直ちに四一期飛行学生として中練で飛行術の基礎を修得した霞ケ浦海軍航空隊の跡地を見学し、現在展開して居る陸自駐屯地及び湖畔の土浦空跡地の陸自武器学校を訪問、土浦市内の霞月楼で昼食を取り解散した。

参加者は会員十四名と河野、恒川両夫人の十六名であった。今年に入って西口、藤田両君が逝去され元気な顔が見られなくなり残念だった。

湖畔の土浦京成ホテルは、霞ケ浦に続く前庭の芝がよく手入され、折からの雨にしっとりとした櫻の色が映えて会場前の景色を堪能した。

一七三〇、宴会場広間に集合、総会報告事項を済ませ、次回第六回幹事を中西君にお願いし、一八〇〇より宴会懇親会に入った。ホテル側の快い応待を受け時間も二一〇〇迄延長閉会、部屋に引揚げた後も懇親歓談が続いた。

今回の企画には土浦市内に盛業中の霞月楼会長、土浦市観光協会長の堀越恒二氏の協力を得て、ホテルの設定から翌日の見学巡路、ミ二バスの運航等、手厚い支援を受けビールの寄贈まで頂いた。

翌九日〇九〇〇、ホテル前よりミニバス乗車、元霞空跡地にある陸白霞ケ浦駐屯地に向い同隊久松係官の出迎えを受け、相当の雨の為乗車の儘、基地内巡回説明を受けた。櫻は道路、宿舎前各所に満開の木あり、特に本庁舎前道路の四本の古木は戦前からのものであり覆いかぶさる程に咲いて居た。さすがに櫻の名所、土浦の風情である。次いで、資料館に入り説明を受け位置関係のよく分る、元飛行場のパノラマ模型を見、戦前から現在に至る航空機、ヘリの模型、空白のPRテレビ視聴、一時間半後辞した。

ミニバスは、ツェッペリン伯号大格納庫跡地(取払いの上民間住宅地として払い下げ)の横を通り東の陸自武器学校へ向った。此処は元土浦航空隊跡と予科練教育航空隊跡で、湖畔には水上機滑り台跡がある。大雨なので行かずに正門に近い予科練碑及び資料館見学の後、一二〇〇土浦市中央の霞月楼へ着いた。

掘越会長・女将・社長堀越恒夫夫妻の出迎えを受け昼食会に入った。

掘越会長の歓迎挨拶、海軍航空と由緒深い当櫻で大先輩を偲びゆっくり歓談。料理を味わって欲しい旨申し出あり地酒で乾杯。七二期は候補生で終了、神ノ池空へ移ったので、楼に通ったのは霞空内一〇〇一空に配属になった石井君一人で、顔見知りの女将と話が弾んで居った。

霞月楼は航空隊士官が基地開設以来古くから利用。山本五十六大将、大西滝次郎中将始め、大先輩が通い、又、外国顧問団、リンドパーク夫妻飛来、ツェッペリン伯号来航歓迎会が、二階大広間で催された。又、終戦間近、戦地へ出撃の少壮士官の達筆、襖絵の衝立を出して会場に飾ってくれた。興の出た会員は歌や手踊りで宴会の気分に浸った。誠に時間の短さを悔やみ乍らも、土浦駅発特急時間に合わせ、一四一五閉会。ミニバスにて土浦駅に送って貰い解散した。

楼には、山本大将の手紙他、大先輩の遺品、又奉賀帳(通帳)に多くの名があり、各部屋の造作見学と共に、時間不足で見る暇が無く残念であった。

来年は、ツェッペリン伯号来航七十周年記念で、土浦市主催の記念行事を計画、霞ケ跡地に記念碑を建立する由である。