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10回パインなにわ会に寄せて

後藤  寛

 二月七日に案内をいただく。今まで殆ど毎回出席していたが、昨年は京都での戦艦伊勢の分隊会に出席のため、やむをえず欠席した。今年は早速に出席の返事をだした。パインなにわ会といえば、クラスの諸兄に会うだけでなく、ゴッドの山本直枝さんにお会いできることが、なによりも楽しみである。

 海軍時代は横顔賀に来た事がなく、小松の名も知らず勿論エスプレイをした事もない。

 しかし昭和四十八年に鎌倉に居をかまえてから、直枝さんとはしばしばお会いする機会があった。鎌倉水交会の恒例行事として、毎年十月に妙本寺において、上村将軍墓前祭を行っているが、その時はいつも出席していただき、上村将軍と小松にまつわる色々な思い出話をしていただいた。先代のコマツさんが上村将軍から外遊のお土産としてもらわれた真珠の指輪をわざわざはめてこられ、会員にその謂れを紹介されたことなどが思い出される。又、料亭小松物語が出版された時には、その著者を招いて講話をしてもらい、由緒ある小松の歴史をしっかりと勉強した。

 定刻に小松に着くと、直枝さんが玄関に出迎えておられたのでご挨拶をする。御高齢とはいえ、お元気で端然とした姿勢で折り目正しく挨拶をされ恐縮する。

 左近允、中村両幹事の挨拶および説明があり、早速に打ち方はじめ。例年のとおり、元気な会話がはずむ。今回は第十回であるが、会はますます盛会となり、出席者はゲストの応 蘭芳さんをいれて二十五名、過去最高の人数である。また応さんの熱烈なるファンである常連の藏元正浩君と野崎貞雄君が出席できればさらに増えるはずであったが、両君は北村卓也君の三回忌に出席のため来られなかった。

 相変わらずご多忙な応さんは群馬からやや遅れて到着された。それから応さんを囲んでの会話が弾む。応さんのマルチタレントとしての活躍ぶりはすでに紹介されているので省略するが、その時配布された2ページのコピーを拝見して、その多彩なご活躍ぶりに改めて驚嘆する。そのヘッドラインに「もう一人の自分を発見したい、その気持が、私を空へ、海へ、スピードヘかりたてるのです」とある。我々も高齢といわれる年齢となったが、それなりに新しい自分を発見するにはどうしたら良いかと考えさせられた次第である。中村幹事の紹介で特別余興として、藤昌冨美さんの藤流の日本舞踊、寿舞、花と寵が舞台で優雅に舞われ、一同堪能する。ちなみに藤さんは小松の近くのスナックのママさん。年中無休だそうで、機会があればぜひ行っていただきたいとの事である。

 恒例の相沢善三郎君の美声の唄がはじまり、ますますもりあがる。飯野伴七君の上海の思い出話、さらに軍歌調の中国の唄、真打は応さんの李香蘭の蘇州夜曲、さすがプロ、歌唱力も素晴らしく、中国の情景が目の前にうかぶ絶唱であった。

 集合写真撮影後、来年の再会を約して、めでたくお開きとなる。その後、希望者はあらかじめ用意されていた、二次会会場のぼんちへ集合、約十名、応さんを囲んであらためて歓談。終了後樋口君の車に山田、上田、森園の諸兄と便乗して、送ってもらう。洒の勢いもあって、車中でもにぎやかな三次会がはじまる。樋口君から、どこまででも送ってやるが、距離が長くなるほど事故の確率が高くなるから覚悟しろとのご託宣があった。しかし彼の外国仕込みの堂々たる安全運転ぶりを見て、すべて一任し、結局JR逗子駅に無事到着して解散した。何時ものことであるが、顔のひろい左近允、中村両幹事の周到な計画と手配りによって、大変楽しい有意義な一時をすごすことが出来ました事を改めて深謝します。

参加者 掲載略