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平成十二年なにわ会年末クラス会記

辻岡 洋夫

 本年度のなにわ会年末クラス会は、十一月二十八日、八十四名の出席を得て、グランドヒル・市谷にて、開催された。毎年お元気で、出席されていた柳田教官が、膝の故障のため、今回欠席されたことは、誠に残念であり、一日も早い御回復を、お祈りする次第である。

又体調が余り良くないと聞いていた白根行男君、浦本 生君が出席してくれたことは、本当に嬉しかった。

 本会の開催に先立ち、三回の幹事会を行い、前回の会場が手狭であったことの反省から、新庄代表幹事の発案により、グランドヒル・市谷に決定した。式次第・会場の配置・会食はバイキング方式とすること等を決め、会費も赤字とならぬ様、若干の余裕を以って設定した。

 会は藏元幹事の司会により開催され、最初本年度に亡くなられた七名を含め、戦没者並びに、戦後の物故老に対して、黙祷を捧げた。

戦後回を重ねて来たクラス会も今回が、二十世紀最後の会となり、なにわ会発足当時の若かりし時代を思い出し、誠に感慨無量のものがある。何かと暗いことの多い昨今ではあるが、本日は凡てを忘れ、時間の許す限り、大いに語り、大いに飲み、かつ食べて、実り大きい、有意義な会どなる様、念願する。又柳田教官の一日も早い御回復を、お祈りすると共に、二十一世紀に向って、元気で頑張ろうと、心強い挨拶があった。

 続いて、来年度の新幹事の紹介と挨拶が行われ、最後に東條重道君の音頭に.よる乾杯があり、懇親会に移った。

 懇親会では、新庄代表幹事より米海軍軍人(故人で、当時の護衛空母艦長)とその家族、日本人関係者の努力と心暖まる交流により、特攻隊員(第十八金剛隊)として、比島リンガエン湾で散華した、故丸山隆君の戦死の状況が、最近になり判明し、その遺品の一部が、遺族に返還されたと云う話、又鶴見の総持寺に建立された、故大西瀧治郎中将の遺書を刻んだ石碑についての紹介があり、一同に大きな感銘を与えた。

 矢田次夫君、原田種睦君より、夫々の健康に関しての体験他についての話があった。我々にとっても健康第一であり、向寒の折、風邪には充分気をつけて欲しい。

 杉田政一君より、地域の小学生との交流談につづき、同君作になる「鳴呼山本元帥」の

吟詠が行われた。この漢詩については、ニュース・八十三号を参照されたい。

 次に幸田正仁君と有志によるユーモラスな「白頭山節」があり、会場はドット沸く。

 各テーブルでは、夫々の話題に花が咲き、会場は大いに盛り上がり、しばし時の過ぎるの

を忘れた。

 会も終りに近づき、相沢善三郎君の「広瀬中佐」、後藤俊夫君の「戦いすんで五十年」の熱唱があり、前者は相沢君の十八番で、何時聞いても心に残る名曲であり、後者は故加藤孝二の作で、星影のワルツのメロディーにょる、平成十年の参拝クラス会の懇親会で同君を囲んで有志が合唱した。当日の同君の姿が、目に浮ぶ。

 最後は、恒例により後藤俊夫君のリードによる「同期の桜」の合唱があり、来年六月の昇殿参拝クラス会での再会を期し散会となった。

 不行き届きの点多々ありましたが、出席者各位の御協力により、盛会裡に会を終了出来ましたこと、幹事一同厚く御礼申し上げます。健康には呉々も留意され、良い年を迎えられますよう念願致します。 
  来年度幹事
     (兵)足立之義、阿久根正、(機)室井正、(経)神林易

出席者   掲載略