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勇将パインに集う

      ′野崎 貞雄

三月三十一日恒例のパインなにわ会が開催された。集う者、二十名.予定は二十二名だったが常連メンバーの名村・大谷が所用で欠席となったのは残念であった。数日前まで、暖かで桜もほころび始めたのに、当日は朝から雪まじりの雨、気温も二度か三度で実に寒い。桜が開花して雪が降ったのは十二年振りだそうだ。

 昨年は丁度北村の三回忌法事と重なり欠席したので、俺にとっては二年振りのレス通いだ。

 大体揃った所でゴッド山本直枝さんが挨拶に来られた。九十をはるかに越えて此の気丈さに一同感服。「宴会に出ても皆さんに満足なサービスも出来ないので失礼します.」とのこと。我々としては横になって寝ていても良いから一緒に楽しみたいと思ったがそうもいかない。

一六〇〇開宴、幹事の左近允・中村の挨拶があり、今年は十一回日の由、昨年は二十五名名だったが今年は二十名、皆健康に留意してこれ以上減らないようにして、この会を盛り上げてもらいたいとの訓示.それはそうだ。パインなにわ会の灯は消さないように守り続けたいものだ。

 中山は第一回から連続皆勤、これは立派な記録だ。皆勤に敬意を表して乾杯の音頭をとってもらう。

 打方初め.後は五十年前のスマートな海軍士官になり切り、大いに飲み且つ食う。

 紅一点の応さんの周辺は特ににぎやかだ。パインのおねえさんもサービスこれ勤める。かってのSプレーの感じ、満喫とは言えないが、少々の色気もあり、酒もまわって陶然T艮い気分だ。

 中村・出口は榛名ガンルームで共にレス通いした仲だ.佐世保の山(万松棲)、川(いろは)、呉のロック(岩惣)、ラウンド(徳田)等よく行ったなぁ、あの項が懐かしい。

 宴たけなわの頃、相澤善三郎の演歌、踊りの披露あり、更に盛り上がる。応さんもつい最近山形へ行き仕入れてきた山形音頭を歌われ花を添えた。皆満ち足りて少々疲れも出てきた模様。一九三〇頃解散となる。

 おかみさん、腰を曲げて玄関まで出てこられ、挨拶、恐縮した。「何時までも元気で、また来年」と再会を約してお別れした。昔現役当時ならこれからが本番、それぞれ小部屋に移り、なじみのSと本番と行く所だが、それは昔の夢.夢を見ながらウトウトしている間に電車は横浜に着いて終った。

 某氏日く。

 「わずか一万円で昔のSプレー気分を味あわせてくれる.これは有難い.左近允・中村そしてパインのおかみに感謝せねばならん。」

同感々々!

 なにわ会の諸氏。 来年の三月頃、またやるはずだから是非出掛けてもらいたい。ガンルーム時代のSプレーを思い出し、活力が出て長生きすること間違いなし。

出席者 氏名掲載略