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86号

平成13年度なにわ会年末クラス会記

阿久根 正

「なにわ会年末クラス会」は、十一月二十八日、「グランドヒル市ヶ谷で開催された。靖國通りに面し、由緒ある市ヶ谷台の麓に位置する会館は、防衛庁管轄の「市ケ谷会館」(昭和三十九年設立)を本館とし、六十二年に設立された「新館」とからなつている・

関係者には、格安の利用価値があり、旧海軍の「水交社」(戦時中・東京と佐世保でお世話になった)が思い出されて懐かしい。当日は快晴に恵まれ、晩秋の小春日和が有り難い一日であつた。

「昨年は、膝を痛めて来られなかったよ」と懐かしい笑顔の柳由教官を始め、紅二点(村山天人と山根天人)を含む八十七名(一名増・減で総数は予定どおり)を受け入れる。なかには、歳を重ねて、体詞も定かではないが、「靖國」と「年末の会」だけは無理してもと、はせ参ずる多数の期友を迎えてたゆまぬクラスのきずなが認められ、幹事冥利にして、やり申斐があるというもの、心温まる安らぎを覚る。

その間、泉五郎君の「緊急提案」が一同に配布された。その趣旨は、加藤・押本両君の積年の比類のない「なにわ会」に対する責献に報いる一端として「記念の文集」を作ろうではないか、ということである。

受付で集計作業に入る頃には定刻となり、担当の室井幹事の司会により、「開会」が宣せられ、最初に、本年亡くなられた八名を含めた戦没者並びに戦後の物故者に対する黙祷を捧げた。

次いで、中村幹事から、本年の物故者八名(一月に堀見君、五月に山口君、足立、伴及び佐藤の四君、七月に石黒君、十月に小沢君、十一月に菅井君)を偲び、お互いに歳を重ねて、自重が肝要なりと。改めて、八兄のご冥福を心からお祈りする。

続いて、来年の行事予定につき、

(1)参拝クラス会は65日(水) 同懇親会は「靖國会館」にて.

(2)年末クラス会 1128日(木)「グランドヒル市ケ谷」にて

 それぞれの設定調整済を報告。

続いて、来年度幹事の紹介が行われた。

 懇親会の嚆矢としては、久し振りに、柳田教官のお言葉をいただく。

『昨年は膝の故障で参加出来なかったが、諸君と同じ海軍に籍を置き、時を同じくした教官と生徒との交わりは、つかの間の一年半程の短い期間であったが、その後、六十年、連綿と続いて切れることがない。 これは貴重な出会いであり、一期一会のこの機会を大事にしたい.これからも、諸君に教えて貰いたいことが沢山あると思う。同じ海軍の仲間として、同じ立場で、対等につきあって貰いたい。』と結ばれた。

いつもながらの、心温まる説話であった。

人生は、緑に始まり、縁の中に生き、生涯を送る.そして現世だけでなく、未来永劫(えいごう)に続く、とも言う。

「諸君の健康となにわ会の繁栄を祈念して」教官の音頭で、声高らかに「乾杯」.終って、開宴となる。

今次の会は、めずらしく、格別の連緒・報告事項がなく、壇上の演芸もなかった。

静かな宴席の態様に、一時、幹事の根回し不足かとも案じたが、間もなく、クラス会特有の和やかなムードの中で、お互いの久闊(かつ)を叙して、交流の輪は広がり、宴席は限りなく盛り上がっていった。案ずるよりは、というが、八十路を控えて、お互いに、よってきた落ち着きと悟りの境地も近く、枯淡と和睦(わぽく〉を求めるのも、自然の摂理か。この会には、村山と山根の両天人が華を添えたが、もう一組の参加を予定した足立之義夫妻が、直前になって不慮の怪我(その後、大過なく、ご放念をとのこと)のため、欠席のやむなきに至ったことは、本人が当初に幹事を引き受けていただけに、心残りも一入であろうと、同瞭としても残念なことであった。

人間、誰しも生きる限りは元気でありたいと思うもの、静養して元気の回復を祈りたい。

親密にして、淡々と進行した宴も終りに近づく.幸田君の音頭で軍歌「同期の桜」をもって気を奮い、会を閉め括る.

新世紀幕開けの今年は、真の独立国家「日本」たり得るかを問われる一年でもあった、

筆を持つ今頃、自衛艦三隻が、日本の旗を掲げて、クラスの面々が懐かしい横須賀、呉、佐世保の各基地を出港して、インド洋方面へ航行中である。日本もこれでようやく、「テロ」に対する国際的責任を果たすことが出来る。歴史的な船出といっていいだろ。′

十二月一日には、皇太子ご夫妻に、待望の第一子、内親王様誕生の超朗報があった。国を挙げての祝福は、連綿と引き継がれてきた皇室の、さらなる継続を意味して、日本の歴史や国民にとっても大きな意義があり、これ以上の喜びはない。多事多難な一年ではあったが、総じて来年に対する期待は明るいのではなかろうか。

幹事一同として、今年中に賜った教官始め会員各位のご支援、ご協力に深謝して、来年の再会を楽しみに、ご健康をお祈りします。

 来年の幹事は

信頼の厚い(兵)左近允尚敏、幸田正仁、中村正人(留任)、

(機)三澤 禎、   (経)高柳行雄

の諸兄である.よろしく願います。

 (左近允尚敏は健康上の都合で溝井  清と交替)

出席者 八十七名

 教 官(一名) 柳田益雄

兵学校(63名)

 安藤 昌彦、足立 英夫 足立 喜次、阿久根 正、相沢善一郎 旭  輝雄、伊佐 弘道、伊藤 孝一、伊藤 正敬、飯野 伴七、泉  五郎、磯山 醇美、市瀬 文人、今井 政司、岩本  修、上野 三郎、浦本  生、大谷 友之、岡本 俊章、長村正次郎、門松 安彦、小灘 利春、小林 貞彦、後藤英一郎、後藤  脩、幸田 正仁、畊野 篤郎、左近允尚敏、澤本 倫生、柴田 英夫、渋谷 信也、定塚  脩、新庄  浩、杉田 政一、鈴木  脩、多胡 光雄、都竹 卓郎、辻岡 洋夫、出口 勝己、東條 重道、名村 英俊、中川 好成、中村 正人、中山  皎、林  藤太、原田 種睦、樋口  直、平野 津朗、平川  進、宝納 徳一、堀 剣二郎、間中 十二、松下 太郎、森園・艮巳、矢田 次夫、山下 茂幸、山田  穣、山田 艮彦、山田  良、山根眞樹生、山根 純子、若松 禄郎、和田 恭三

機関学校(12名)

安藤  満、片山  勇、金枝 健三、藏元 正浩、佐丸 幹男、齋藤 義衛、野崎 貞雄、三澤  禎、村山  隆、村山 玲子、室井  正、山下 武男

経理学校(十名)

阿部 克巳、神林  勗、亀谷 敏明、窪添 龍輝、高杉 敏夫、高田 俊彦、高柳 行雄、深尾 秀文、槇原 秀夫、吉江 正信

会友(一名)

藤瀬 韶国