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92号

関西なにわ会報告

大村 哲哉 

 十月二十九日 秋の関西なにわ会を明石で行った。十三時三十分JR明石駅集合。何時ものことながら五分前の精神は生きており、直接懇親会場舞子ビラに行く四名を除き十五名は定刻に集合。明石公園前に待機するバスヘ。海峡の風景を愛した万葉の歌聖であり、持統・文武朝時代の役人としても活躍した人麻呂を祭る柿本神社、人麻呂ゆかりの月照寺を経て天文科学館へ。 出席者十九名

 科学館ではプラネタリユウムの星空を女性の解説付きで楽しむ。私のように戦闘機に進んだ者は天測も巡航節の「三ツ星おろして入れた位置、古鷹山の上に出た」で星の名も何処かへ飛んでしまったが、艦に進んだ者は随分しごかれたらしい。

 数年前高等商船出身の元船長の講話を聞いたが、今は天測の必要がなく、若い人は天測を全くやっていないとのこと、時の流れを痛感した。

 約五十分間、天文科学館を見て、懇親会場の舞子ビラヘ。久米川は所用あり明石にて別れる。舞子ビラは元有楢川宮の別邸という由緒ある所、今は庭園に当時の面影をとどめるのみになっている。

幹事挨拶の後、澤本(倫)・府瀬川・栗原と訃報相次ぎ来年になると関西の面々にも会えなくなる者の出るのではと先約を断り出席してくれた樋口 (直) の音頭で乾杯、なごやかな懇親会に入った。夫人4名の参加を得て華やかな会になり話ははずんだ。

 加藤の腰椎大手術の闘病体験等お互いに健康を案じる話も多く、さすがに年だなとの思いを強くする。話は尽きないが時間も過ぎ、石井の加藤孝二作「戦いすんで五十年、期友を偲ぶ」の歌により再会を約して会を閉じる。

  なお、今後の会のあり方について、お互い寄る年波には勝てず歩行が苦しくなってきたので一定の会場での昼の会とすることを提案し参会者の賛同を得た。

追記

 幹事不精に亘ってもたもたと投稿を遅らせている間に、高井 實の訃報が入った。前回の報告に毎回欠席の返信を書く友の心情に思いを馳せたが、今回の会欠席の返信が高井の絶筆となった。