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94号

平成十八年度湘南なにわ会新年クラス会記

           上野 三郎

 

 

恒例の湘南新年クラス会が、一月四日正午からいつもの鎌倉市「二楽荘」で開催され、摂氏五度以下の震える寒さに拘らず、三十三名と近年にない多数の出席者(昨年二十七名)で賑やかであった。

 先ず戦没者及び戦後物故者に黙祷を捧げ、開会の辞、松下なにわ会幹事の挨拶、乾杯の音頭で親睦(ぼく)会に入る。

途中伊藤正敬君より緊急連絡網の機能実態を昨年末の柳田教官逝去の伝達状況で確認し、誰の所でストップしているか原因の調査をした。

 

 後列左から 樋口直、相澤、後藤寛、窪添、左近允、宮田、若松、上野、名村

中央左から 市瀬、安藤、伊藤正敬、深尾、原田種睦、出口、松下、椎原、浦本、幸田、豊廣、中村正人、

前列左から 小灘、大谷、中井、足立喜次、辻岡、上田、渋谷信也、山田良彦、新庄、山下茂幸

 料理の皿が重なり、アルコールが適度に入り気持ち良くなったところで、相澤君の何時もながらの美声の披露があり、一挙に盛り上がった。続いて後藤君の名調子も聞かれ一同聞き()れた。いつもはこの辺で歌もとぎれる所だが次から次へと役者が代わり留まる所がなかった。

また、安藤君からは戦後秘話として写真を示して次の紹介があった。

「零式三座水偵に搭乗し、カムラン湾上空を飛行中の昭和二十年二月にB-24に撃墜されたが、着水し一命を取りとめ、後バリー島で敗戦を聞かされた。その後撃墜されたB-24の搭乗員と連絡がとれ、多数のメール交換の後、昨年十月十四日サンフランシスコで怨讐(おんしゅう)を越えての出会いが実現した。当時の心境はリング上のボクサーと同じで生きるか殺されるかのみが眼中にあり、相手がアメリカ人か日本人かの意識は全くなかったと打ち解けあった。」

 初参加の名村君から「いろは」会の状況として「一〇〇名以上(クラスは十二〜十三名で会の中心)の潜水艦乗りを中心にした会で毎月東京での集まりを楽しんでいる、参加を歓迎する。」

 なにわ会会計担当の窪添君から「なにわ会年末の会費残は二五三万円と、昨年は五八万円減少した、近々会の継続が問題となるだろう。」

  終わりに樋口君から「なにわ会の会合は國神社昇殿参拝、年末クラス会、本日の会と総て参加人数が増えて、非常に良い傾向であり、皆元気な証拠である。今年も明るく元気で来年の再会を期そう。」

三本締めで三時間半に及ぶクラス会もあっと云う間にお開きになった。