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平成22年5月13日 校正すみ

冨士 追憶

小灘 利春

 

  昭和19年4月、重巡足柄は陸奥湾から南下、横須賀に入った。マリアナ戦への備えである。軍港を眺めるつもりで測的所に登り、双眼望遠鏡を覗いたとき、視野に飛込んで来たのは機体を垂直に傾けたまま、まっすぐこちらへ向ってくる中型機であった。やがてスッと水平飛行に移ったその機は、まぎれもない逆ガル型の主翼を持っていた。日本海軍にもF4Uや、JU87のようなW翼があったのだと感動を覚えながら、群青の空に浮んで軽快に飛びつづける機、美に溢れたその姿を見守っていた。

 戦後、これが流星」であり、またクラスの富士栄一が早くからパイロットをつとめていたことを、雑誌「丸」や、級会誌で知った。こちらは海中に潜る身になったが、もともと飛行機が好きで、以来流星は紫電改とともに最も好きな機種になった。この2つだけはプラモデルを今も部屋に飾っている。

 クラス会などで富士と会う度に、少しずつ流星の話を聞くのが楽しみとなった。

 急降下中、機体が裏返しになる癖があるので、操縦桿を抱えて力一杯、押付けていたという。その姿を彼の名が出るたびに連想していたが、彼亡きあとも、想い出すごとにその懸命な大柄の若武者の姿が、流麗な流星の機影とともに眼前に浮び上ることであろう。

 この正月の湘南クラス会が、彼と話す最後の機会となった。「貴様の真面目さには呆れるなあ」と。小生には有難い忠告、警告に聞えた。残りの人生を意義あるものとするよう彼の言葉を思い出しながら自戒したい。

(なにわ会ニュース5336頁 平成60年9月掲載)

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