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平成22年5月14日 校正すみ

なにわ会でお世話になった皆様へ

藤田 昇 家族

かねてより「なにわ会」でお世話になっていました藤田昇の死去についてお知らせいたします。

毎日の生活のなかで、頭のなかでは分かっていながら心や感情では受け入れにくい事がありますが、肉親 (又は自分)の老化、命の問題もそのうちに入るかも知れません。

暖冬と言われた今年ですが、寒暖の差が激しく私たち家族にとっては殊の外寒さを感じる冬でした。

1月29日(木)にいつもの通り仕事に行きましたが、2、3日前より腰痛を感じていたようです。その腰痛が、徐々にひどくなり、午前中にお世話になった病院に診察を受けにいきました。検査入院のため病室にいる間に、様子が急変し、そのまま意識を失ってしまいました。結果的には、かねてより隠しもっていた大動脈癌が破裂し心臓、呼吸が停止しました。そのときにそのまま逝ってしまう事が多いそうですが、本人の体力と生命維持装置のおかげでその後3日半、入院しておりました。

ちょうどお(へそ)の裏側の太い血管が破裂したようで、手の施し様のない状態でした。CTスキャンだけが診察の材料でしたが、数日の腰痛はこの血管が膨れ上がり腰の器官を圧迫して起こっていたという事です。ちなみに本人はそのことをちっとも知らなかったと思います。意識もなく寝ているだけの状態でした。暫らくはこのままの状態かとも思いましたが、2月1日(日)に容態が悪化し夕方5時53分に息を引き取りました。家族を亡くされた方の多くがお感じになるように、予想はついても最後は本当にあっという間の出来事で、寝ている状態だけでも家族を結びつけていた太い糸がぷっつりと切れた感じでした。

73歳という高齢ながら倒れる当日まで仕事を続け、体力の衰えはあったものの、現役の生活を続けることが出来、ある意味では幸せだったのかもしれません。子供たちが成人してからは、年をとるごとに夫婦の時間も増え、それなりに思い煩いはあったと思いますが穏やかな毎日だったようです。

今までお世話になっていた「なにわ会」もここ2年間は、慣れないながら係のお仕事をさせていただいたようです。あまり几帳面とは言えない本人なので皆さんには、ご迷惑をおかけしたことと思います。

特にお伝えしたかったのは、今回の一連のことでお友達の皆様の迅速な親身の対応に対する家族の心からの感謝です。

2月4日(水)におこなった葬儀でも、お忙しいなか遠路足をお運びいただき故人に対する思い、私たち家族への慰めをたくさん戴きましたことも、この場をお借りしてお礼を申し上げます。また、お気遣いのお電話、お手紙等様々な形で思いやりを示してくださり本当にありがとうございました。

戦後数10年を数え、戦後の混乱さえ知らない人が、日本の大半を占める時代となりました。物の見方、人に対する見方、価値基準が根底から変わってしまった混乱期で故人を含め皆様方の年代は、特別の仕事、役割を担ってきたと思います。その中でも戦争という特異な状況を共に過ごし、共に命の危険を経験したということは、他の者には量り知れない重さがあることと思います。

葬儀の際に戴いた弔辞には、そのような意味で胸にこみあげるものがありました。また私たちの知らない故人の一面を知り得たように思います。

人の命には限界があり、本人も死ぬときは一気にいってしまいたいと言っていたその通りになってしまいました。頭のなかでは当たり前のことですが、心でそれを受け入れるにはまだ時間がかかりそうです。出来ることなら少しでも長く生きてはしいというのが本当の気持ちで死というのは、受け入れにくい不自然なものに感じてしまいます。

故人が生前にたいへんお世話になり、またご迷惑をおかけしましたことお詫びと感謝を重ねて申し上げます。

故人が心の拠り所としていました会の皆様にご報告致します。

最後になりましたが、訃報を聞いて駆けつけて働いてくださった鈴木脩様、泉五郎様、茂木允様、また白い軍服姿で心をこめた弔辞を読んでくださった泉五郎様に厚くお礼を申し上げると共に、貴会のご発展をお祈り申し上げます。

藤田昇遺族一同

 (なにわ会ニュース79号10頁 平成10年9月掲載)

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