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平成22年5月13日 校正すみ

どん亀の戦死

村山  隆

「福嶋の家内です。主人が死にました」

電話の応答に出ていた家内は

「え ――、うそ ――

と、息をのんで、座り込んでしまった。

家内から受話器をむしり取って 、

「もし、もし、福嶋君が死んだんですって、冗談でしょう」

「今日(5月1日)の午後3時11分に息を引き取りました。心筋梗塞です。午前11時過ぎ頃、急に胸の両脇が苦しいと訴え、痛みが激しくなるので、掛かりつけの医院に電話をしましたら、万一の場合転送になるので救急車で総合病院に行って下さいとのことで、救急車で病院に行き、血液検査の途中駄目でした。あっという間の出来事なのです」と。後頭部をハンマーで殴り付けられたような激しいショック。

毎日、起きるとすぐ、一升の水を飲んで、腸内を洗い清め、昨年の伊勢旅行のとき皆に配った愛心棒(この棒で足の裏をもむ若石健康法)を愛用し、人一倍健康に気を使っている彼が、どうしてこんなことになったのか。彼の死を素直に信じることができようか。

時計を見ると、午後4時15分である。彼が息を引き取ってから、まだ、1時間が経つか経たないかである。夫人の悲痛な心境は如何ばかりであろうか、お慰めの言葉も出なかった。

常滑市在住で福嶋兄とは若い頃から親交の深いコレスの杉田政一兄が、機を失せず、福嶋宅で采配を振い、関係方面への迅速適確な連絡によって、大型連休に入ってはいたが、葬儀の準備は円滑に進められた。

5月2日1320 福嶋宅に着く。

福嶋兄は顔に白布を掛けられ仏間に寝かされていた。信じられなかった福嶋兄の死は現実であった。揺り起こせば、目をパット開けて今にも起き上がりそうな彼の気配である。穏やかな寝顔をしているが、やるべきことややりたいことを一杯抱えている彼にとって、その無念さを思うと、やり切れない思いで胸が詰まった。家内は福嶋兄の変わり果てた姿に、ワンワン泣き出してしまった。

 1400 遺体は自宅を出て名古屋市内の斎場に移された。ご遺族の手で、遺体に手甲脚絆を付け、足袋・草鞋を履かせ、手に数珠を握らせ、棺に納められた。そして彼が生涯誇りとし、愛し続けた海軍、その士官の夏・冬略帽がそっと棺に入れられ、機55期が寄贈した軍艦旗に覆われた棺は、通夜の客を持つことになる。

続々と生花が運び込まれ、場内に置ききれず、階段に、更に、道路にはみ出していく。予想はしていたが、彼の交友と商域の広さに改めて驚く。

1900から法主の読経が始まる。焼香の煙は場内に満ち、予定の2000を過ぎても会葬者の列は絶えない。

弔問客が多いため、通常1時間である明日の告別式は30分延長し、1時間半とすることに急遽変更することになった。

5月3日1100から告別式が始まる。海機第53期代表小田正三兄、イ401潜会代表矢田次夫兄、友人代表杉田政一兄、わざわざ福岡から弔問にみえた海227号会代表広川貞巳様の弔辞。面倒見の良い彼の人徳であればこそ、これ程多くの弔辞が朗読された。

参列した期友とコレス、神戸から来られた座光寺一好教官(機47期)や後輩も加わり、野崎兄の指揮で、海軍機関学校校歌を合唱した。みんな泣きながら天まで届けと大声で歌った。歌声は場内に響き渡り、参列者の中には貰い泣きをする方もおられ、福嶋兄への最後で、最高の(はなむけ)となった。

故森山晃兄から始めたこの校歌合唱は、「俺の葬儀のときにも歌ってくれ」と、今後恒例になるであろう。

軍艦旗に覆われ、多くの期友に担がれた棺は霊柩車に納められ、天国への新たなる旅立ちである。それぞれの思いを噛み締め、福嶋兄に永遠の別れを告げた。

彼の死が余りにも急で、納得出来なかったので、少しでもその原因を知ろうと、彼の日頃の行動について伺ってみた。

彼の手帳には、行動予定と実施状況がぎっしりと書き込まれているとのこと。一分一秒をも(ゆるが)にしない活躍振りである。特に、環境浄化の分野に頭を突っ込んでからは、寝食を忘れてその問題に没頭し、睡眠も僅かで、疲労が次第に体内に堆積し、身体に無理を強いていたことは明らかである。また、地元の諸戦友会は勿論、青葉会、イ401潜会、海227号会の会合には九州であれ、四国であれ、どんなに遠方のころでも都合をつけて必ず出席していた。

彼はがむしゃらに働き過ぎた。どん亀のように、凡帳面で実直な、心が広く気立ての優しい彼は、電話や手紙で用件を片付けることなく、どんなに遠くても、どんなに不便なところでも時間を都合して出掛けている。

これが彼の長所でもあり、弱点でもあった。あれだけ健康に留意していた彼が、良好な体調の故に、少しばかり健康を過信していたのではなかったか、悔やまれてならない。

彼は、職に殉じた。正に戦場における壮烈な戦死というべく、天晴れである。

彼には、もっともっと生きていて欲しかった。社会のためにも、戦友会のためにも、クラスのためにも、そして彼が最も愛した奥様や頼もしいお子様、可愛いお孫さんのためにも。

しかし、天命というべきか。

どん亀福嶋兄よ、安らかに眠り給え。

合掌

(なにわ会ニュース71号15頁 平成6年9月掲載)

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