平成22年4月29日 校正すみ
昭和５１年３月寄稿
井上海軍兵学校校長の遺稿
故山本元帥国葬に際し生徒に訓示（昭和十八年六月五日）
故山本元帥ノ人格、力量ニ就テハ、元帥ノ戦死発表以来、全国ノ新聞紙上ニ色々卜紹介セラレテ居ルノデ、諸子モ山本元帥卜云フ万ガ如何ナル方デアックカト云フコトハ概ネ知り得タコトト思フガ、本日ハ校長ガ故元帥ニ接シタ間、校長ノ見夕元帥ニ就テノ話ヲスルコトニスル。
校長ハ山本元帥ニ直接ノ部下トシテ接スル機会ハ五回アック。
一 明治四十二年十一月、校長ガ海軍兵学校ヲ卒業シ、此ノ江田内デ練習艦宗谷ニ候補生トシテ乗組シテカラ、濠洲ニ遠洋航海ヲシテ内地へ帰ツタ時、即チ翌四十三年ノ七月迄ノ八ケ月間、元帥ハ当時大尉デ宗谷分隊長トシテ勤務セラレ、直接御指導ヲ受ケタ。因ミニ当時ノ練習艦隊ハ阿蘇卜宗谷ノ二艦デ、宗谷艦長ハ鈴木貫太郎大佐、後ノ大将、分隊長ニ山本元帥当時高野大尉、次室・候補生指導官附トシテ古賀峯一中尉、現聯合艦隊司令長官古賀大将ガ居ラレク。阿蘇ノ方ハ艦長ハ佐藤鉄太郎大佐、後中将、副長ハ谷口中佐、後大将、次室ニハ近藤信竹少尉現大将、澤本少尉、現中将、海軍次官ガ居ラレクト記憶ス。
二 明治四十五年、校長ガ二年日ノ少尉デ四月カラ七月迄海軍砲術学校普通科学生ノ時、山本元帥ハ大尉ノ教官デ、吾々ハ兵器学ヲ教へテ戴イタ。
三 其ノ後永イ間元帥卜一所ニ勤務スル機会ハ無力ツタガ、昭和十一年十二月カラ翌十二年十月マデ約十一ケ月、校長ハ中将ノ二年目デ、海軍省デ、制度ノ調査立案ヲ命ゼラレクガ、元帥ハ当時海軍次官ヲシテ居ラレタ関係上、直接元帥ノ命ヲ承ケテ勤務シ御指導ヲ受ケタ。
四 昭和十二年十月カラ十四年十月マデ二ケ年、校長ガ海軍省軍務局長トシテ服務中ハ職務柄、海軍次官デ居ラレク元帥ニ始終接シ、種々感化指導ヲ受クルコト非常ニ多カツタ。
五 昭和十六年八月カラ昨年十月本校ニ釆ル前迄一年三ケ月、校長ハ某艦隊司令長官トシテ、直接聯合艦隊司令長官タル元帥ノ直属ノ部下トシテ勤務シ、尚十七年八月カラ十月迄ノ間ハ、同一地ニテ作戦セル故御日ニカカル機会モ多カツタ。
尚校長ガ航空本部長ヲシテ居ル期間ニモ、元帥ハ聯合艦隊長官トシテ会議其ノ他ノ為上京セラレク際ニハ、度々会議ノ席上、其ノ他ニ於テ御会ヒスル機会ハ多カツタ。
今カラ話スコトハ、此等ノ機会ニ私ガ直接元帥ニ接シテ受ケク印象ヤ、見聞キシタ元帥ニ就テノ話デ、新聞等ニ出テ居ラナイコトヲ主トシテ紹介スル。今カラ私ノ話スコトノ中ニハ動(ヤヤ)モスレバ相当機微ニ亘ルコトモアルト思フ故、今日ノ話ハ各自ノ修養ノ糧トシテ心ノ中ニ留メ、他人へハ妄リニ口外セヌ様ニ注意シテ置ク。
① 元帥ハ頭脳ハ飛ビ抜ケテ明晰、物事ノ判断ハ実ニ文字通り快刀乱麻ヲ断ツガ如ク尚常ニ先ガ見エルコトハ、余人ノ追従ヲ許サヌ所デアック。之ガ為、元帥ノ言ハルルコトハ時トスルト大変ニ変ツテ居リ人卜違ツタコトヲヨク言ハレルノデ、吾々ハ 「オヤッー」 ト思フコトガ度々アック。何故ニ左様ナ違ツタコトヲ言ハレタカト云フコトハ、後ニ至ッテ漸ク分ル様ニナッタガ、人ガセイゼイ一手先力二手先迄ノコトヲ考へテ物ヲ言ツテ居ルノニ元帥ハ五手モ六手モ先ヲ見テ物ヲ言ツテ居ラレタ為デアル。之ハ元帥ニハ良ク先ガ見エル為デアル。
戦争ニ於テモ何カ一ツノ作戦ガ行ハルル場合ニ、大概ノ人ハ至極簡単ニ旨ク行クモノト物事ヲ割合ニアッサリ考へテ居ル様ナ場合デモ、元帥ハ公開ノ席等デハ何モ云ハルナイガ、私共ニハ率直ニ「アァ簡単ニハ行カナイゾ」ト予言セラルルコトガアリ、御自分デハチャント旨ク行カヌ場合ノコトヲ、前以テ頭ノ中デ練ツテ居ラレタ様デアル。又不思議ニ元帥ノ予言ガ的中スル。其処デ作戦ガ予定通り進マズ実施ニ多少ノ齟齬ヲ来シタ様ナ場合ガアルト、先ノ見エヌ連中ハ （私等モ此ノ連中ノ一人）周章トマデハ行カズトモ一寸面喰ツタリ憤慨シタリ悔シガツタリスルガ、元帥ハ「俺ハサウ旨クハ行カヌト思ツテ居タヨ」ト平然タルモノアリ。
而シテ此等ニ就テモ元帥ハ決シテ理由ノ無イコトハ云ハレナイ。山勘デ物ヲ云ハレナイノデアル。元帥ノ先ノ見ユル判断ニハ必ズ然ルベキ根拠ガアル。ソシテ其ノ理由ハ必ズ判然卜吾々ニ対シテ言明セラルルヲ常トシタ。伺ツテ見ルト元帥ノ基礎トセラレル資料ガ常人ノ考へ及バザル事ニ出発シテ居ルコトヲ知り、之ハ到底凡庸ノ企テ及バザル所デアルト感ジタコトガ度々アック。
② 元帥ハ決シテ誘惑ニ乗ラナイシ、輿論、風潮ニ惑ハズ、世評ノ如キハ勿論問題ニセズ、自己ノ思フ所ヲ判然卜言明セラレ一路所信ニ邁進セラレル。其ノ間身辺ノ危険素ヨリ知ラザルガ如シデアル。何事デモ必ラズ御自分デ自分ノ答卜云フモノヲ出シテ持ツテ居ラレル故、他人ノ出シタ答ニ引ゾラルル様ナコトナキ方デアッタ。之ハ勿論頭脳ノ良サモアルガ、元帥ハ素々私心ガ無ク、名誉慾モナケレバ出世慾モナイ故、正当ナル判断ガ出来、夫レニ信念ガ強ク、勇気ガアル故、之ガ出来タノデアル。斯様ニ元帥ハ人ノ真似ハセヌ人、何デモ独自デ考へテ結論ヲ出ス人ナル故、元帥ノ言行ニハ常ニ独創ガアッタノデアル。
③ 元帥ハ満身是胆卜云ツタ様ナ極メテ胎ノ据（ハラワツタ勇気ノアル人デ、」恐ロシイト云フコトヲ知ラヌ人デアック。米内大将ガ海軍大臣ノ時、或ル日私ニ「山本ハネ、怖イト云フコトヲ知ラナイ人ダヨ、深イ崖ノ上ノ細路ナドヲアルク時ニハ大抵ノ人ナラバ余り艮イ気持ハシナイモノダガ山本卜云フ人ハノソット其ノ崖縁ニ行ッテ平気デ谷底ヲ覗ク様ナ人ダヨ」ト云ハレク。
④ 元帥ハ意志ノ強固ナ人デアッタ。信念ニ邁進シテハ百万ノ敵モ恐レヌガ、叉身ヲ持スルニモ意志ノ極メテ強イ人デアル。元帥ハ煙草ガ大変御好キデ、次官時代迄ハ随分煙草ヲ喫ハレ、葉巻モ大好物デ良ク喫ハレタガ、丁度支那事変中、最初ノ煙草ノ値上ゲノ時（昭和十三年ダックカ十四年ダックカ記憶セズ）ピツタリ煙草ヲ廃メラレク。当時私共ニ対シ 「俺一生煙草ヲ廃メルノデハナイ。蒋介石ガ参ル迄ハ喫ハナイガ、蒋介石ガ降参シラ又喫フ」ト言ツテ居ラレタ。昨年聯合艦隊旗艦デ御目ニカカツタ際、私カラ「蒋介石ガ参ル迄ハ煙草ハ御喫ヒニナリマセンカ、実ハ「グアム」デ分捕ツタ良イ葉巻ガ沢山司令部ニ在リマスガ」ト申シ上ゲタ所「ウン、矢張リ蒋介石ガ降参スル迄ハ喫ハナイデ居ル。葉巻ハ内ニモ沢山蔵ツテアルヨ」ト答へラレタ。
⑤ 元帥ハ又極メテ正義感ノ強イ人デアル故、何事デモアラユル角度カラ之ヲ検討シテ正シイト考へタコトナラ必ズ賛成セラレ「ソレデ良シ」ト云ハレルノデ其ノ点部下トシテモ仕事ハ極メテヤリ易クモアリ又張リ合ヒモ有ツタ。元帥ハ其ノ反面トシテ正義ニ反スルコトヲ非常ニ憎ミ又嫌ハレク。自己ノ出世慾ニ駆ラレテ山本次官ノ許ニ窃カニ書面ヲ寄セテ「何々ノ職ニ行キ度イ」等卜運動がマシイコトヲスル如キ人ハ頭カヲ軽蔑セヲレ取合ハナカツタ。
⑥ 以上述べタ所ノミヲ聞クト、山本元帥ハ峻厳其ノモノノ如キ冷タイ理智一点張リノ人ノ様ニ思ハレルカモ知レナイガ、実ハ然ラズ、ソレトハ反対ニ元帥ハ非常ニ感ジ易イ情味豊カナ人デアック。元帥ハ良ク「感激性ノ無イ奴ハダメダヨ」ト云ハレタ。時ハ昭和十三年五月頃ダッタト記憶ス。支部事変当初ノ渡洋爆撃隊ノ指揮官ガ内地へ帰還シ大臣室デ任務ノ報告ガアリ、若イ飛行機搭乗員奮戦ノ状況ヲ具サニ報告アリ、誠ニ感激深キ報告デアックガ、報告終ッテ山本次官ハ次官室へ退ガラレ、後ニ続イテ私モ次官室へ退ガツタ所、山本次官ハ涙ヲ滝ノ如クニ流サレ、拳デソレヲ払ツテ居ラレク。其処へ只今報告ヲ終ツタ航空部隊指揮官ガ入リ来リ、之ヲ見テ指揮官モ共ニ涙ヲ流シ、次官ノ手ヲ堅ク振り「有難リ御座イマス。之ヲ知ツタラ死ンダ部下モ満足スルデセウ」ト云ツタノデアック。私ハ此ノ時「コノ山本次官ノ涙コソハ正ニ部下ヲシテ喜ソデ水火ニ飛ビ込マセル将軍ノ涙ダナ」ト感ジタ次第デアル。
昭和十二、三年ハ実ニ支那事変ノ海軍作戦ノ最高潮ナ時デ、軍務局等ハ日曜モ祭日モアツタモノデナク、全クノ三百六十五日ノ出勤デ、紀元節デモ天長節デモ仕事仕事デ非常ニ多忙デアックガ日曜日等十一時頃ニナルト、秘書官ガヨク「次官カラデス」ト云ツテ、美味イ寿しヤ洋食弁当等ヲ軍務局長室へ持ツテ釆タモノデアル。又暑イ日ニハ氷菓ヲ下サッタリ果物ヲ届ケテ戴イタリシタモノデアル。
斯様ナ次第デ元帥ハ非常ニ情味タップリノ人デアツテ非常ニ親シミ易イ人デアルトハ思ツタガ、怖イ人卜云ツタ様ナ感ジハ一度モ持ツタコトガナカツタ。
斯様ナ人故、「クラス」ノ人達ハ元帥ニ対シ非常ナ尊敬卜信頼ヲ持チ、大変元帥ヲ愛シテ居ツタ様デアック。又元帥ガ航空本部ニ居ラレタ時ナドモ元帥ノ室ニハ海軍省構内（海軍省、軍令部、艦政本部、航空本部）ノ重要職員ノ二人ヤ三人集マッテ居ラヌコトガナイ位デアック。之ハ皆ンナガ何デモ山本元帥ノ所へ相談ニ行ク為モアツタト思フガ、又格別ノ用事ガナクトモ何トナク人ノ集マル室デアツタノヲ知ツテ居ル。一体海軍省内等デ、何トナシニ人ノ集ル所ハ省内デ最モ重キヲナシテ居ル人ノ室卜見テ差シ支エナイ。叉人徳ノ有ル人ノ所デナクテハ、サウ年中人ガ集マルモノデハナイ。以上ノ事実カラシテモ、元帥ガ如何ニ一般カラ尊敬セラレ且人気（良イ意味ノ）ノアツタ人デアルカガ分ル。
元帥ガ次官ノ時ニハ次官室ニハ毎日、新聞記者ガ大勢押シカケテ来テ一時間位モ話シ込ソデ居ルノヲ見タガ、元帥ハ新聞記者等ニ媚ビルデナシ随分ズバリ、ズバリト物ヲ言ハレルガ、記者連中ハ次官室へ来ルノヲ楽シミニシテ居タ。良ク記者ガ私ニ「次官ノ所へ行ッテ居ルト一時間居ツテモ少シモ退屈セヌ」ト云ツテ居ッタモノデアル。
私ガ昨十七年十一月現地ヲ立ツテ本校ニ赴任スル前日御暇乞ニ行クト元帥ハ「君ヲ東京デ慰労ノ御馳走ヲシテ呉レル様ニ某氏ニ頼ンデ置イタカラナア」ト云ハレ私ノ内地帰還後、某氏カラ一夕元帥ニ代ッテノ饗応ヲ受ケクガ、其某氏ハ『山本サンカラ「井上サンハ奥サンヲ亡クシテ全ク孤独ノ生活ヲシテ居ル人故戦争ノ慰労モサルコトナガラ家庭的ナ温カ味ヲ以テ充分接待シテ呉レル様ニ」ト云ツテヨコシマシタヨ』ト云ハレタ。元帥ノ行キ届イタ情味ノアル人ダト云フコトハ之デモ良ク分ルト思フ。
時ヲ明確ニ記憶シナイガ、昭和十三年カ十四年土浦ガ大洪水デヒドイ目ニ会ツタコトガアル。私ハ当時軍務局長ヲヤツテ居タガ多数ノ航空関係ノ海軍士官ヤ下士官兵ノ家族ガ家財ヲ大部流失シタノヲ知リ即時救済ノ必要ヲ感ジ義援金ダトカ何ダトカ云ツテ居タノデハ時磯ヲ失スルヲ思ヒ、非常手段ヲトルニ決シ、山本次官ニ海軍ノ御金ヲ五万円程即時ニ出シテ戴キ度イト申シ上ゲタ所、即座ニ承知シテ出シテ戴キ罷災家族ノ急場ヲ救フコトガ出来タ。之等モ元帥ノ度胸モ手伝ツテハ居ルガ、一面困ッテ居ル人ニ対スル元帥ノ情深イ思ヒヤリガ之ニ同意セラレタ一大動機デアラウ。
斯ヤウニ元帥ハ極メテ情味タップリノ人デ、私ノ見ル所デハ何レカト申セバ元帥ハ元来ガ情ノ人デアルガ、ソレヲ理性ノ衣デ旨ク包ンデ居ラレクノデハナイカト思フ。
⑧ 元帥ハ酒一滴モ飲マレナイ。宴席へ出ラレテモ番茶ヲ銚子へ入レテ来サセソレヲ盃ニ注イデハチビリチビリ飲マレタ。ソレデ居テ席へ酒ガ廻ツテ皆ガ陽気ニナルニ従ツテ同席ノ人卜巧ニ調子ヲ合セテ陽気ニヤラレル故、酒党モ少シモ気不味イ思ハシナイ、又第三者カラ見ルト恰モ一緒ニ酒ヲ飲ンデ居ル人ノ様ニ見エル。
昭和十四年八月ノコトト思ウ。元帥ガ次官カラ聯合艦隊司令長官ニ御転任ニナツテ御出発ノ前日位卜思ウ。御別レノ席デ元帥ハ盃一杯ノ酒ヲロニ入レラレク。ガ時ナラズシテ元帥ハ真赤ニナツテ寝テシマワレタコトガアル。元帥ガ酒ヲ飲マレタノヲ私ガ見タノハ此ノ一度ノミデアル。
⑨ 元帥ハ果物ハ大好物デ、戦地デ御伺ヒスルトキ「パパイヤ」ト「マンゴー」ヲ持ツテ行ッテ上ゲルト大変喜バレク。何デモ銀座ノ千疋星ハ元帥ノ好キナ御店ダツクト聞イテ居ル。
⑩ 元帥ハ「メモ」ヲ書クニモ又長文ノ公文ヲ書クニハ何時モ毛筆ヲ用ヒラレタ
⑪ 元帥ハ格式張ツタコトガ嫌ヒデ殊更威厳ヲ作ルコトハセラレナカッタ。部下ニ対シテモ自分ヲ一段卜高イ所ニ据ヱタ如キ態度デ戒メル様ナコトハナサラナカッタ。何ウモ御自分ガ偉イナドトハ少シモ考へテ居ラレナカツタ様ニ感ゼラレタ。従ツテ親シミヲコソ感ズレ圧迫ハ少シモ感ジナカツタ。之ハ新聞記者カラ聞イタ話デアルガ次官官舎ハ十時過ニ伺フト女中ナドモ早寝カセテアリ、御茶ナドモ御自分デ運ンデ来ラレタト云フコトデアル。′
元帥ガ次官ノ時、私（局長）ニ次官室へ来イト云ツテ呼バレルコトハ滅多ニ無イ。大抵御自分デ気軽ニ局長室へ出カケテ来ラレクモノデアル。
⑫ 元帥ハ中々気ハ若ク、又極メテ無邪気ナ所ガアック。次官ノ時宴会ノ席デ愉快ニナルト（勿論酒ハ飲マレヌ）倒立ヲシタリサレル。面白半分ニ桜餅ヲ桜ノ葉ゴト食べタリシテ人ヲ菩バセラレルコトガアル。皿マハシ等ハ得意ノ芸デ玄人ノ域ニ達シテ居ラレル。銚子ノ底ニ掌ヲ当テ、真空ヲ作リテ之ヲ密着サセテソレデ人ニ酒ヲ注イダリ、又四本ノ指ヲ折り之卜拇指トデ水ノ満水シテアル 「グラス」 ヲ持チ上ゲテ見セタリ誠ニ器用ナコトヲサレタ。将棋、麻雀、「カード」等勝負ゴトガ好キデ又大変強イ。然シ元帥ガ米国駐在中キューバノ賭博場デ金ヲ儲ケソレデ視察旅行ヲサレタ等ノ挿話ハ他人ノ作り話デハナイカト思フ。
⑬ 元帥ハ如何ナル階級ノ者デモ、又海軍部外ノ人デモ其ノ身分、地位ヤ職業ノ如何ヲ問ハズ、格別ノ分ケ隔テヲセズ、心カラ其ノ人達ノ人格卜云フモノヲ尊重シテ接シ、決シテ地位ヤ身分ノ低イ者ヲ頭カラ軽ンズルガ如キコトハ絶対ニセラレナカツタ。御自分ノ階級ガ可成リ上デモ若イ人達ヲ小僧扱ヒニナサル如キコトハ決シテナカツタ。
⑭ 元帥ノヤラレルコトハ実ニ多彩デハアルガ、然シ元帥ノ一言一行皆理由ガアリ、御自分ノ独自ノ考へカラチヤント後ニ釆ルべキ其ノ結果ナリ影響ナリ見透シヲ付ケチャツテ居ラレルノデアル。元帥ノ言行ハ決シテ場当リデハナク、出鯖目卜云フ様ナ点ハ少シモナイ。必ラズ確タル根拠ヲ有ツテ居ラレル点ハ凡人トハ大分達フ。従ツテ元帥ノ言行ニハ何トナク統一ガ有ツタ様ニ思ウ。
⑮ 元帥ハ人ノ一枚上手ニ出タリ、相手ノ手ノ逆ヲ使ハレルコトガ多イ。元帥ガ在米大使館附武官ノ時、某駐在員ガ元帥ノ前デ「メロン」ヲ鱈腹食ヒタイト貧乏駐在員ラシイ独言カ訴へヲ言ツタモノダガ、元帥ハ之ヲ聞カレ「俺ガ思フ存分食パセテヤラウ」ト云ハレ、「メロン」ヲ沢山求メテ食ヒ度イダケ食ハセタ由デアル。其ノ後程経テ其ノ駐在員ガ再ビ元帥ノ所ニ伺ツタ時、元帥ノ万力ラ「メロンヲ食ハセテヤロウカ」ト尋ネラレク所、某駐在員ハ「イヤ、真平デス。アレ以来「メロン」ノ臭ガ鼻ニッイテ、モウ見ルノモイヤニナリマシタ」ト云ツテ降参シタトノコトデアル。之ハ直接元帥カラ伺ツタ話ナルガ其ノ駐在員ノ氏名ヲ逸シタノヲ残念ニ思フ。此ノ話ナドハ若イ駐在員ニ最初ニ「ソンナサモシイコトヲ云フナ」ト戒メル代り一枚上手ニ出ラノタ所ナド如何ニモ山本元帥ラシイ。
先日ノ某新聞紙ニ、元帥ガ北陸ノ田舎旅行中、旅館ノ主人カラ「何力一筆」ト申出ラレ、元帥ハ→俺ハ油絵ナラ一寸画クガ」ト応酬サレクト云フ話ガ載ツテ居ツタ。之レナドモ其ノ田舎ニハ油絵ノ道具ナシト判断セラレ、旅館ノ主人ノ上手ニ出ラレクモノト思フ。
以上ノ話デ山本元帥ノ風格ハ概ネ輪廓ダケハ分ツタコトト思フガ、一体人ノ風格偉業等ハ決シテ簡単サモノデハナイノデ之ヲ言葉少ナニ云ヘルモノデハナイ。私ノ今日ノ話ハ私ノ思ヒ浮ンダコトノミヲ話シタノデ之デ決シテ元帥ノ風格ヲ尽シテハ居ラヌ。唯元帥ニ関シテ一言デ云ヘルコトト云へバ、「元帥ノ如ク欠点ノナイ人ハ稀ダ」ト云フコト位デアルト思フ。此ノ話ヲ諸子ガ自己ノ修養ニ活用シ得ルヤハ諸子ノ覚悟一ツニアル。
此処デ序ナガラ一言注意シテ置キ度イコトガアル。ソレハ一般ニ偉人崇拝卜云フコトニ就テデアル。偉人ヲ崇拝シテ其ノ言行ニ倣ヒ自己ヲ磨クコトハ修養ノ捷径デアリ就中之ニ依リ自己ノ言行ニ実行ノ力ヲ与へラルル点ニ於テハ大変良イコトデアル。然シ其ノ遣り方ヲ誤ルト大変ナコトニナル故、慎重ナル注意ヲ要スル。ソレハ何ウ云フ点カト云フニ偉人英雄ノ言行ヲ無批判ニ真似ルコトノ危験ナ点デアル。之ニ関シ注意スべキ点ガ三ツアル。
第一ハ、凡ソ人ノ言行ヲ世人ガ伝へル場合ニ外部ニ表ハレタ言行ノミヲ伝へ、其ノ人ガ如何ナル気持、叉如何ナル理由デサウシタカト云ウコトヲ併セ考へズニ、無責任ニ之ヲ伝へルコトガ多イト云フ点、
第二ハ、人ノ言行ニハ其ノ人ヲシテ左様ナ言行ヲナサシメタ当時ノ世ノ中ナリ、社会ノ情況、其ノ他周囲ノ状況ヲ併七考へナケレバ意味ヲナサナイノミカ、時ニハ大変ナ誤解ニ到達スル惧レノアル点。
第三ニハ、凡ソ吾人ハ崇拝スル人ノ精神ニ倣ワンコトヲ努ムべキデアツテ、其ノ精神ヲ体得モセズ、叉身ノ程モ反省セズニ、枝葉ノ言行ノミヲ真似ル様ナコトヲスベカラズト云フ点、此ノ三ツニ注意ガ肝要デアル。
今後モ山本元帥ノ言行録ヤ伝記ノ様ナモノガ続々卜世ニ出デ諸子ノ修養ニ豊富ナ材料ヲ提供スルコトト思フガ、ココニ述べタ三点ノ注意ヲ忘レズニ真面目ニ修養スベキデアル。
（終）
（編注） この講話は全校生徒を剣道場に集めてされたように記憶する。
当時の訓示録から原文のまま転載した。
（なにわ会ニュース34号7頁）