平成22年5月5日 校正すみ
加藤孝二君と「なにわ会」ニュース
伊藤 正敬
加藤孝二君が亡くなってはや一年が経過した。加藤孝二、押本直正両君のなにわ会に対する貢献の大なることは今更述べるまでもないが、押本君からニュースを引き継いだ者として、あらためて会誌からニュース85号までを読み直してみた。
加藤君は昭和27年の第1回慰霊祭の時から慰霊祭開催の最も熱心な推進論者であった。そして、この慰霊祭においては生存者に対する連絡係を勤め、さらに募金を担当した。
遺族会醵金についての提案
彼は遺族会を長く続けるために、生存者一人―月百円の積立を提案している。
バイパスニュースの発行に敢然として立ち上がる
3号までで立ち消えになった会誌に代わってバイパスニュースの発行に踏み出したのは加藤君であった。彼は、ニュース版ぐらいは横浜勢で引き受けると宣言、これが元で昭和38年以来38年間の長い間ニュースとして発刊されて、なにわ会の存続、発展に貢献している。この間、窪添君に引き継ぐまで、なにわ会の集金係も勤めている。
集金係としての加藤君
加藤君は昭和27年から平成6年までの42年間の長きにわたり、なにわ会の会計を担当したほか、この間江田島の銘碑設立募金の取りまとめ、海軍兵学校の写真帖代金の取りまとめにあたっていた。
この煩雑な集金係の仕事をこなしながら、なにわ会の基金について何時も気を使い、その残高は平成4年末には862万円に達している。彼が集金係担当中は折にふれ、クラス会の基金残高はその大部分がご遺族のご寄付によるもので、あだやおろそかに消費出来るものではないと強調していた。
そして、平成6年脳梗塞の初期の診断を受け、迷惑をかけないよう会計係を辞任した。
なにわ会に対する加藤の執念愛着
彼の奥様好子様の言葉「ウチのひと、お店で給料頂いているのを忘れているのではないですか。クラスのことになると目の色が変わってくるのですから。」 この言葉は如何に彼が「なにわ会」に情熱を燃やしていたかを示すものである。
戦没期友を思う加藤君
加藤君の戦没者に対する思いは凄まじい。ニュースに彼が投稿している期友はつぎのとおりである。
金原 薫 | 広瀬遼太郎 | 小山 力 | 平野 誠 | 松本 昌三 | 松浦 繁 | 堀江 太郎 |
水野 英明 | 江口 正一 | 土屋 睦 | 牛尾 久二 | 水谷 潤 | 小澤 易一 | 浜谷 文也 |
品川 弘 | 香西 宣良 | 大村 謙次 | 冨士 榮一 | 山科 享 | 濟田 正文 | 酒井 洋 |
加藤 敏久 | 菊池 祥一 | 小林 優 | 山田 三郎 | ー | ー | ー |
(戦後死亡者を含む)
加藤君のゴルフ
加藤君はCGCにもよく参加していた。CGCには第1回から参加しており、平成6年の第56回までに44回参加し、第9回大会ではグロス98で優勝、第28回大会ではグロス95で優勝している。また、12回大会ではグロス90を出している。
湘南CGCにも第1回から平成9年の43回までの間,34回参加し、コンペを盛り上げてくれた。記録をみると平成6年まではおおむね90から110で回っていたが、それ以降は急速にスコアが悪くなった。それでも平成8年までは皆出席で参加していた。クラスを大事に思う加藤らしいところである。
加藤君は本当になにわ会を愛し、戦没ご遺族のことを真剣に考えて、誠心誠意尽力された。改めて衷心から感謝の意を表し、御冥福を祈る。
(なにわ会ニュース86号33頁 平成14年3月掲載)