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平成22年5月6日 校正すみ

木村貞春君への弔辞

押本 直正

木村貞春君

 君が昭和60年8月12日、私にくれた書類がある。それには「木村貞春履歴書」と書いてある。

「何かあったら使ってくれ」君は私にそう言った。それがこんな恰好で役に立とうとは。

「木村貞春履歴書」によれば、君は大正12年2月2日生れ、本籍地は群馬県多野郡入野村とある。昭和15年12月1日、神奈川県立横浜第三中学校から海軍兵学校に入校した。

以来約50年・「貴様と俺」との付き合いが始まったわけだ。昭和18年9月、江田島を巣立った貴様は、八雲、沖鷹、神鷹の乗組みを経て、19年9月潜水学校に進み、潜水艦のマーク持ちとなり、伊号156、伊号502号に乗艦し、過ぎし大戦を戦い抜いた。そして昭和20年8月の終戦はシンガポールで迎えた。

翌年8月帰国した貴様は、10月横浜銀行元町支店を皮切りに、以来40年に亘り本店、神奈川支店、大阪事務所に勤務し、安浦、元住吉・相模大野、大和、厚木、磯子の各支店長及び湘南中央地区の本部長、さらに不二家電機株式会社に出向し、その経営に当った。

貴様の履歴書はここで終っているが、この後間もなく休調を乱した。4年に及ぶ療養生活はさぞ苦しく辛かったろう。

半世紀に亘る貴様との付合いが目に浮ぶ。それは江田島の海であったり、湘南のゴルフ場であったり、鎌倉の病院であったりする。

66歳という年齢を迎え、これからのんびりできるという時に貴様は逝った。

謹んで御冥福を祈るのみ。

平成元年3月15日

海軍兵学校第72期クラス会

代表 押本 直正

(なにわ会ニュース61号5頁  元年9月掲載)

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