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平成22年5月6日 校正すみ

故小灘利春君の霊前に捧ぐ

池田 武邦

顧みれば今を去る60有余年、太平洋戦争(ぼっ)発の前年、昭和15年から戦争(たけなわ)となる昭和18年にかけて過ごした私たち海軍兵学校72期生徒の約3年の青春は、卒業後の戦争体験、敗戦後の日本復興にかけた半世紀にわたる人生の根幹を形づくるものでした。

中でも、最上級生、一号生徒として下級生の指導責任を負って過ごした1年間は、今日の教育制度には類を見ない貴重な体験でした。その貴重な1年を35分隊員として、小灘君と文字通り寝食を共に過ごせたということは、私にとって誠に幸いなことでした。

 当時35分隊の一号生徒は小灘君を含め9名でしたが、それぞれに個性豊かな人材が揃っていました。なかでも、小灘君は人並み優れて誠実、実直な人格者として、分隊員全員から敬愛されていました。極めて厳しい生徒館生活の中でしたが、然し小灘君は決して単なる堅物というだけの人物ではありませんでした。当時、持込を禁ぜられていた筈の趣味のカメラを小灘君は何故か堂々と生徒館に持ち込み、一号生徒の校内での生活の有様などを実に見事な映像に写し、今日に、貴重な記録として残してくれました。

 戦争の最中、昭和18年9月卒業した後、小灘君は八雲、足柄に乗組み、海上訓練を()た後、潜水学校に入りました。しかし、その頃、昭和19年6月、日本海軍はマリアナ沖海戦に敗れ、海戦の主力となる航空戦力の大半を失い、絶対国防線といわれたマリアナ基地も敵の勢力下に入り、戦局は極めて深刻な状況に陥っていました。この事態から脱却し、大勢を(ばん)回する為には当時の全海軍力を用いることは勿論、更にそれまで用いるべきではないとされていた特攻兵器の使用をも具体的に考ざるを得なくなりました。以上の戦況に対応して、昭和19年9月5日、第一特別基地隊大津島分遣隊に始めて回天部隊が設立されるや、小灘君は、選ばれてクラスメート14名の中の一人として軍の機密兵器「E金物」と称せられた人間魚雷回天の搭乗訓練に参加しました。

 当時の小灘君達72期のクラスメート14名の他は70期、71期から各3名、予備士官(各階級合わせて)20名程度が訓練を共にした搭乗員の全員であったということです。

 それから、約1ヵ月の後、レイテ沖海戦において関大尉の零戦による特攻攻撃を皮切りに比島方面における航空特攻は次第に日常化するようになりました。

 回天隊も、その後、続々と増強されると共に、大津島での訓練をえた最初の搭乗員達は、次々と西カロリン諸島、ウルシー、ニューギニア方面に出撃、(かえ)らぬ人となっていました。

 昭和20年4月1日、戦局は日毎に不利になる中、ついに敵は沖縄本土に上陸を開始し始めました。

 大津島分遣隊指揮官小灘中尉は、敵の本土攻撃に対応すべく八丈島回天隊隊長に命ぜられ、直ちに八丈島への転出命令が下されたのもその時でした。この出撃命令を受けた時、小灘君は「歓喜の衝撃が、背骨の下端から頭のてっぺんまで、ヅンと一気に突き上げた」と後にも先にも経験のない感激を表現していました。

 そして8月15日、終戦の日をこの八丈島で迎えました。

 前年9月に大津島に着任した14名のクラスメートは、その間、次々と出撃し結局生存者は小灘君一人になっていました。

 以来、人間魚雷回天のこと、特に回天で散った戦友の霊を慰め、回天の真実を後世に伝えることは、生き残った者の使命であり、責務であると定め、小灘君の80有3年の生涯を通じて最後の日まで「回天のこと」は一瞬たりとも心から離れることのない存在となりました。

 敗戦後は、京都大学農学部水産学科に入学、新しい人生の道を歩んだ小灘君は、日本水産株式会社に入社、再び海に(かか)わりのある戦後の日本復興にふさわしい水産業会に入り、後年は関連会社「日水海運」で大いにその業績をあげました。

 停年退職後は、大部分の時間を「回天」の慰霊と真実を後世に伝える為に全力を投入する日々を過ごされました。彼のその献身的、かつ、回天の精神を持続し続ける姿に接したクラスメートの一人は、彼は{生ける軍神}そのものと言っていましたが、私も誠に共感を禁じえません。

 昨年末、そのような彼の業績が米国の「ニューズウィーク」誌に写真入りで大きく紹介、記事として掲載されました。著書には小灘利春監修「人間魚雷回天」のほか、近々出版予定の小灘利春・片岡紀明共著「特攻回天戦」があります。

 その小灘利春君は晩年病と闘いつつ、著書の完成を成し遂げると共に、与えられた使命をすべて終えて去る9月23日、彼岸の中日に静かに大往生を遂げました。

 私は小灘利春君のクラスメートであることを誇りに思います。 心からご冥福をお祈り申しあげます。

             合掌

平成18年9月27

        池田 武邦

(なにわ会ニュース96号17頁 平成19年3月掲載)

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