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平成22年5月6日 校正すみ

郡重夫君への弔辞

新田吉太郎

憶い起せば日米風雲をつげる昭和15年の暮、君は吾等同期600有余人と共に、海軍兵学校の門をくぐり、伝統ある江田島生活のもと、海軍士官としての練成に努められました。

今君の訃報に接し、そして君の霊前に立つ時、遠く懐かしくそして厳しい思い出が、霧の彼方から湧くように思い出されるのです。

思えば卒業までの1年間、第30分隊で起居を共にした日々を、また一人一人の面影、そして君の積極果敢な姿を目に浮べるのです。

昭和18年9月、卒業とともに同期は、日本の命運を賭ける空と海の戦場にそれぞれ旅立って行きました。艦船勤務となった君は、戦艦山城、空母翔鶴、雲鷹、駆逐艦磯風、潮とともに転戦し、3度海上を漂流する激戦を経ながら命を全うした強運の持主でした。空母雲鷹に赴任の途中、翔鶴で君と会った事、又、前後して雲鷹に勤務した事など、今まざまざと思い出されます。人生25年までと覚悟した時期を乗り越え、更に戦後の混乱期を乗り越え、そして人生を全うした君、ただ惜しむらくはもう少し永生きしてはしかった。幽明境を異にしたが今敢えて貴様と俺と呼ぼう。そして江田島健児の歌を、同期の桜を高らかに歌おう。

 郡重夫君、安らかに眠って下さい。

海軍兵学校第72期 新田吉太郎

 (なにわ会ニュース67号14頁 平成4年9月掲載)

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