TOPへ     物故目次

本稿は江田島のクラス会で海上自衛隊幹部学校資料として参列者に配付されたものである。

故草鹿校長の一周忌を迎えるに当り、本稿によって故人の面目を偲び、ご冥福を祈るとともに、緒言にもあるとおり、時の平戦を問わず、部下統率の原則は同じという観点から会員諸賢のご参考にもと再録した。
(編集部)

戦陣統率

草鹿 任一

緒   言

戦場に於いては諸般の情況が平時とは違うものがあるので、人の心も動揺し易く、従ってそれに応じて適時適切なる処置を要する。

然しながら、元来統率の原理には、平戦時に依り二つある筈はなく、又自衛隊の主任務は申すまでもなく戦場にあるのであるから、誰も皆所謂「常に戦場に在り」の心掛を以って、治に居て乱を忘れず、いつも油断なく真剣に修練に努め、それがそのまま習慣的に戦場に於いて行われるようになるのを理想とする。況や現在の我国情は、或る意味では既に戦時状態にあるとも言い得るのである。

この心掛の強弱、精粗が実践に臨んだ場合に非常な差を生ずることになる。

お座なりの真の気合の入らぬ演習や訓練はいくらやっても駄目であるのみならず却って悪い癖をつけることになる。

ここに気合を入れるというのは、唯無暗に表面上勢いよく気張ることをいうのではない。それは各人の心のたしなみの問題である。即ち演習、訓練等に際して常に心を細く使って、極力実戦の場合の通りであるように操作し、努めてその気分で実行することであって、これは余り外面に現われない心の中のことである。要は先ず以て本当に真剣味に徹することである。

平素からこの心掛けで自己を律し、また部下を指導するならば、実戦においても精神上の変動を少なくし失敗を少なくすることが出来るのである。この真剣味ということが万事の基礎である。

この基礎の上にたって、私はこれから先ず一般原則的の事項を述べ、進んで現在日本の直面している国情下に於ける自衛隊指揮官とし最重要と認めることについて述べたいと思う。即ち原則は何時でも何処でも変りはないが、日本には日本固有の歴史、伝統、国体に基づく独特の持味があり、また現在の国情がある。故に原則の下にこの特性を生かし、即今善処せんがために、如何なる点に力を注ぐべきかについては具体的の自分の意見を述べたいと思う。

原則的事項

1 指揮官の「我作り」

統帥の限本条件であり又殆どその全部であるとも言うべきものは、指揮官自身の人格、技能識量である。故に指揮官は自己の外に向って色々と気を使うよりも先ず内に向って自分自身の向上に努力を集中すべきである。

私が海軍兵学校に入学した時に最初に渡された書物に「勅諭の栞」というのがあり、これは勅諭を謹解し、それに東西の英傑の詩歌言文等を附記したものであるが、その中にこんな和歌があった。

 我に勝ち味方に勝ちて敵に勝つ

      これを武将の三勝という  源 義経

実にこの通りで、統帥の要訣はこれを出でないと思う。

「我に勝つ」とは、あらゆる我欲我執を去り神仏の境地を体得することである。一歩でも之に近づくことが一歩でも我に勝つ所以である。

筋道を正しく立て、本心を明かにすることは、物事に処する第一歩として欠く可らざる要件である。然し、それが単に頭の中の理屈だけであるならば、実際の物の用には立たぬ。善いことが何の苦もなく自然に運ぶようにならなければ本物ではない。これは限りなく奥行が深く、いくら修練を重ねても、もうこれでよいということはない。上には上があるのである。また、自分の頭で重いと思ったこと、それ自体が真実少しの狂いもないものであるかどうかが問題である。

一応理屈の上で筋道が判ったつもりでも千変万化の事象に迷わされず何時でも善処して行くことは本当に難しいことで、絶えず修練を続けなければならぬ。その修練とは渾身の勇を奮って心中の我執を去るべく努力することである。

そうすると自然に「味方に勝つ」ことが出来て、期せずして統率は成るのである。

「味方に勝」とは自分の部下と自分がお互いイ一心同体になりきることである。部下は自分と一つ、自分は部下と一つ。元来皆一つということが宇宙の実相である。その心持に全軍がなりきることである。軍記、風紀の大本はこれである。そしてこれは、指導官の作為的工作によるものではなく、指揮官が唯一心に我に勝つべく努めることによって自然に醸成されるものである。斯くして全軍真に一体となって充分なる働きをすることに依って敵に勝つのである。

戦陣統率の目的は敵に勝つことにある。これは判りきったことであるが、本当に骨髄にしみこませて置く心要がある。如何に全体が一体なっても、それが唯単に仲よくしているというだけで、生気溌溂たる正しく強い筋金が一本通っていなければ物の用には立たぬ。故に物心両面に亘る不断の訓練を要するのである。

之を要するに、「指揮官の正しい人格が本となって全軍が一体となり立派な働きをして敵に勝つ」これが統率の原理である。

 

ニ、嘗ての指揮官としての私の覚悟及び態度

 名実共に指揮官陣頭ということが私の理想とする覚悟であり態度であった。事苛も作戦に関する限り大小となく「自分が先に立って、自分の意志、自分がやるんだ」という心持を堅持して事に当るべく努めた。勿論、幕僚や隷下指揮官に夫々有能な人が沢山居て補佐して頂いたので、それ等の意見を容れ、任せるべきは任すべく吝かな気持は少しも無かったが、然しそれ等の人々に頼るとか或は自分がよく納得のいかぬことを有耶無耶の中に実施するとかいうことは一切やらぬことにした。

これが為には、所謂我に勝つ意味に於ける公正無私なる心情と、自己の職責に対する研鑽によって生じる手腕上の自信とが無ければならぬ。そして他の意見の取捨選択に当たっては何物にも拘泥せぬ伸び伸びとした心持を以て臨まなければならぬ。私はこのことについては、少尉の頃から苦心し続けて来たたが、天性不敏で少しも思うように出来ず、自ら省みて実に残念なことばかりだけれども、兎に角、これより外に手は無いから、一生懸命にこの心の養成に努めた。そして艦長となり、司令官、司令長官と年と共に経験を積むに従い、まだまだ駄目だがそれでも何時の間にか少しずつは進歩したようで、その時々に部下にはそのつかさ、つかさに於いては優秀な人物が沢山居られたが、「一艦なり一隊なり、全体としての運用については誰よりも自分が、一番腕があるんだ、豪いんだ。」という、何か知ら自然に、そういう自信が追々とついて来た。これは決して単なる抽象的、観念的なえらがりを言うのではなくて、実際それ相当の経験と勉強によって、自分の如き平性素質の悪い者でも、若い頃から次第に築き上げられた唯一の財産であったと言い得る。何時まで経ってもこの自信が出来ないようでは駄目で、それは自己練成に対する努力が足らないものと思う。

ところで、転勤して新配置に着任した場合に部下の幹部達との間にお互いがよく打ち解け合って指揮官として板についた仕事が出来るようになるまでには、その人の経歴及び新しい部下達との人的組合せによって、最初から可なりうまく行くこともあるが、大体に於いて先ず少なくも一・二ケ月は要するものと思う。その間、初めから熱心のあまり焦り過ぎて無理をしてはいかぬと同時に、早くお互いに了解し合って一体となるために自分の所信は遠慮なくビシビシ実行することが必要である。但し常に公正なる気持を失わず、決して感情的になってはいけない。これが大切であると思う。

生来の大人物ならば、概ね最初から何も言わず自己の意志通りに物事が運ばれていくだろうし、そんな人も沢山居られたが、私のような小器は小器なみに唯真正直にやるように努めたのであった。

指揮官としてはこの堅確なる心構えは絶対に必要である。いささかたりともルーズな気持からの人任せの考えは毛筋程もあってはならぬ。そしてこの心構えは唯自己の反省工夫によってのみ強化さるものである。

頑固なる勿れ、優柔なる勿れ、それはすべて自己の謙虚なる良心の底から出るものでなければならぬ。素より独りよがりの慢心は大禁物である。

以上は私の終始持続して来た理念的態度であった

 

三、接揮官としての私の修練法

冒頭にも述べた通り、戦場に於いては動もすれば必要以上に緊張し或は又逆に弛緩する等常軌を逸することがあり勝ちである。故に各員が平常心を失わぬよう特に深戒を要する。而してその根源は指揮官自体にある。指揮官の心理状態は自然に全軍に伝わる。いくらカムフラージしても必ず地金は出る。戦場の土壇場では殊にはっきりと出る。故に指揮官たるものは平素から不動の平常心の養成に努めなければならぬ。

私は昭和十七年秋、当時の主戦場たるソロモン、ニューギニア方面の海軍総指揮官たる南東方面艦隊司令長官の重職を拝命して、心中その光栄に感奮すると共にその責務の重大なるを痛感した。若し自分の判断処置に一寸の狂いでもあるならば直に国家の運命に関することともなり兼ねぬ。この重責を完うせんがためには先ず以て何よりも、如何なる場合にも自分が平常心を決して失わぬよう、倍旧の努力をしなければならぬと思い、その修練法としてラバウルに着任以後も暇さえあれは静坐数息観を励行して常に我執を払い除くことに努めた。

 (実は私は中学時代に之を保証人から指導され今日迄続けているが、生れつきの馬鹿で一向に進まず、青年の頃から現在までも内心まことに惨澹たる苦闘の連続である。)

次に、私は以前から「言行一致」、と「公正無私」とを自分の行為の規矩として極力実行に努めたが、之亦なかなかりょうしんの命ずる通りに実行出来ず、自分で自分に気に入らぬことばかりだが、無理にも実行することに真剣にやって釆たつもりであって、これはラバウルのような戦場では殊に非常に必要なことであった。

四、戦地に於ける平常心養成のため日課、週課の励行及標語の作製

ラバウルでは私は隷下に対し出来る限り海軍軍艦例規に定められた日課、週課等に準じ平時我海軍に於いて行われていた諸作業、行事類の励行を要望した。例えば祝日祭日の遙拝式の実施、諸点検の実施を励行し、又私は毎月予定日を定めて各部隊の農耕、陣地構築、陸戦訓練等の視察を行った。成るべく隅なく視察することにして陣地の如きは、凡そ其部隊の陣地は交通壕に至るまで一つ残さず隅から隅まで悉く巡視した。だから一方面の地区を視察するのにどうしても二、三日はかかり相当に多忙であった。堅いことばかりでもいかず、之も軍艦例規に準じて映画、演芸、武技等も適時に実施した。

要するに戦地にあっても極力日常生活を規則正しくして締まりのあるよう指導することが大切である。左に参考迄に当時の日記の抜粋を掲げる。

19 4 3日(月)神武天皇祭。半晴午後雨。華氏89度。

五時半起床。七時逢拝式。敵空襲時々あり。午睡。敵機撃墜確実。撃墜艦爆5(内不確実 1)

  429日(土)天長節。曇 89度。

四時四十五分起床。十時半遙拝式、終って撮影。昼食に視盃を挙ぐ。午睡。夕食後映画を見る。敵の空襲低調なり。

527日(土)海軍記念日。半晴夕方より雨。89

五時起床。十二時より兵員の排球試合を見、続いて准官以上の試合に参加する。夕食に祝盃を挙ぐ・・・(以上)

次に、これも平常心を養うための一助として実施したのであるが、私はラバゥルに着任後暫く様子を見ていると、部下の人達は皆落ちついて良くやっているので、この気分をそのまま表現し、かついやが上にも伸すために簡単明瞭なる標語を作って全軍に普及せしめたいと思い、自分の心に映するままに、「明朗闊達一意邁進」という標語を作った。

あのように切迫した戦場で士気を鼓舞するために大いに悲壮な訓示も時には必要なこともあるが、余り屡々豪そうなことを言っても駄目である。例えば生死問題等あの頃流行した堅いきまり文句を無暗にならべるのは、却って逆効果をおこすおそれが多い、殊に大戦初期の進撃作戦のように景気のよかった時とは違い、ラバゥルの如き隠忍の持久戦となると、益々そうであって、それよりも「生死とか「命」とかいうことには触れずに、唯一心に任務に精進する心を養成するように指導するのが一番良い、又時には自分の偽らぬ真情を吐露することにより部下に非常な良い感動を与えた或る部隊長の実例もある。

斯くして、往年ラバゥルの私の部下達は概ね平常心を持続して明朗闊達一意邁進、あらゆる苦難に打ち克ってよく奮闘を続けてくれたのである。

五、敢 闘 精 神

 軍隊は常に平常心を失わないと同時に、満々たる敢闘精神が漲っていなければならない。

人間常に「何糞ッ」が必要である。敢闘精神の薄い軍隊は物の用に立たぬことは言うまでもない。

 それについて、命令の出し方にも注意しなければならぬ。指揮官の考えが確りと定まっていないと、つい無意識の中に変な言葉を吐くことがある。

例えば、あの頃玉砕という言葉がよく流行した。それで命令や訓示の中に「我軍は玉砕を期して戦う云々」等というのが時々見聞きされたが、之は一寸聞くと勇ましいが、実は敢闘精神に徹底していない。それどころか、非常に弱い心持を表しているのである。つまり敵が来れば衆寡敵せず結局全滅するんだというような気持が言外にあらわれている。戦争の初期景気のよい頃にはこんな弱気な言葉は吐かれなかったが、次第に負け癖がつくと、ついこんな意気地のないことを言うようになった。勿論言っている本人はそんな弱いつもりではないのだが、心の何処かにそんな意識が潜在している、又たとえ指揮官本人は全然そうでなくても、この言葉を受ける多数の部下の中に「結局は負けるんだ」という観念を植え付ける恐れれがある。指揮官としては此処までよく考えて、先ず第一に自己の心中にかかる潜在意識の一片たりとも存在を許さぬ工夫が必要である。但し之は、「公正なる情況判断」ということとは自ら別問題である。

私はラバゥルが籠城戦となった後に、ある部隊の演習視察にこのことについて一言訓示したことを覚えている。即ち「時々玉砕を期して云々等という者があるが、玉砕とは何か、それは結局負けることではないか。初めから負けるつもりで戦う奴があるか。そんな弱いことでどうするか。我々は自分が玉砕するのではなくて、石に齧りついても敵を玉砕せしむるのである。皆そのつもりで確りやれ」と激励したのである。

尚この敢闘精神の持続については、指揮官は何処迄も本当の意味の強い正しい平常心を有し而して大局より見て時に強く時には又柔らかく自由な指導が必要だと思う。「水に常形なく兵に常勢なし」とは吾人の心の持ち方にもその儘適用出来る。

心に曇りなきは常形なきなり。故に部下の心的情況に応じて適切なる指示が出来るのである。

六、決  断

 いぎという時にグズグズしているのが一番悪い。自分のこうだと思う方へ迷わずに速決することが最肝要である。(平素静坐練心の効果は斯様な時にも現われてくる。)

作戦上の判断は、不充分なる資料の下に速に決定しなければならぬのが通例である。如何に頭の先で考えても、ある限界以上は判らぬことがある。考えれば考える程迷うものである。そういう場合にこそ、一心になって常形のない心水にパッと映ったものによって感得するのである。これは我々凡人にはなかなかうまく行かぬが、平素よりの不断の訓練により又その時の自己の真剣味によって、それが深ければ深い程、間違わぬものが掴めると私は確信する。これより外に手はない。

 私は、指揮官たるものは、「作戦上の自分の判断処置に対しては、後日に至り他の批判を許さぬ底のものがある。」というだけの確信を持たなければならないものと思う。之は他の批判を否定するなどという意味ではなくて、自己自身に向って言い聞かす言葉である。それ

2930

だけ真剣殊に徹すべきである。

 唯茲に注意すべきは、自己の内容が空虚では如何に一心不乱になっても何も出て来ない。故に内容充実について常に勉強せねばならぬ。特に一寸でも名誉欲とかいうような色気があっては迷いが出るものである。

山本元帥が、

「昭和十六年十二月入日、大詔を拝して」と題して書き残された一首

  大君のみ楯とただに思ふ身は

  名をもいのちも惜まざらなむ

ここ「名をも」と言われた一句をよくよく味わって見るべきだと私は思うのである。

 之を要するに

 1 決断は迅速を要する。

  机上の物識りは、ややもすれば実地の決断力に乏しい。

 2 決断は盲断ではいかぬ。明断でなければならぬ。

  物識らぬ実地家は時に盲断に陥る。

 3 故に常に心境の鍛錬と学識の修得とを怠ってはならぬ。

七、信賞必罰

 信賞必罰と口では容易に言うが実際問題となるとなかなか公正に行われないことがある。

私の見たところでは、平戦時を通じ一般に、それが人間特に日本人通有の美徳であると同時に又弱点でもあると思われるが、賞は重きに流れ易く、罰は軽きに失し勝ちなところがあるようだ。

 例えば平素意見を述べる場合には「軍律に反するものは法に照らして厳罰に処する」等と堂々と言うが、いざ実際になると、当然厳罰に処すべき事に対して思い切って之をなし得ないで、余計な情状酌量が入って、なまぬるい処置に終ることが有り勝ちである。そして、それを公平だと言う。一般に公平だと悦ばれるのは斯様な緩慢なる処置に対しての場合が多いように思うが、真の公平なるものはそこに何等の雑念迷想を交えない厳粛なるものでなければならぬ。人々の性格によるが、おしなべて我々は人情や他の評判等に弱すぎる嫌いがあると思う。戦場に於いて、指揮官はどうしても作戦関係に専念する結果、こんなことには関心を持っていても、ついそこまで気を配りにくいものであるが、しかし軍隊統率上厳粛なる軍律の維持は絶対不可欠の要件である。指揮官の唯一の大切な事である。

この点に関しては、現在の自衛隊としては特に注意すべき重要事であって、今日の世相に鑑み昔の通りに行かぬ事情があるとは思うが、幹部の方々は余程確かりした腹を持たれて、時には大勇猛心を要する場合があると思う。

八、戦務について

 私は、日本海軍の教育に於いて、戦務の教育が不充分であるということを、教育局長時代から痛感していた。この点については確かにアメリカ海軍に一○も二○も輸していたものと考える。先ず、正確なる時間の観念が足りなかった。

 次に、命令を出すに際し、よく諸般の情況を見て、それが万一受令者に到達しない場合に応ずるための、第二、第三ぐらいまでの補助(予備)手段を講じて置かなければならぬ。それが海軍省等で永らく仕事をしていた人の中には、どうかすると命令を一つ出して置けば何時も末端まで事は順調に運ぶものと思っているのではないかと感ぜられるようなことが時にはあった。若い優秀な人でも経験の少ない人程この傾向が見受けられた。

それから、やるべきことは即刻、几張面に片付けて行く、事務的慣習が不充分であった。

以上二、三私の所見を述べたが、要するに物事を綿密に考え、之を事務的に迅速確実に実行する癖をつけることが大切である。

 戦務の研究、修練は軍隊統率上非常に肝要なる問題であると思う。

2927

TOPへ     物故目次