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平成22年5月15日 校正すみ

松原義人君への弔辞

中村 元一

 謹んで故松原義人君の御霊に申上げます。
7月27日の夜、突然貴様の訃報に接した。病状の小康を得た貴様を見舞うべく、面会許可の連絡を待っていた矢先の訃報で、驚愕(きょうがく)慟哭(どうこく)している。

顧みれば、昭和15年12月1日、ともに第72期生徒として海軍兵学校に入校したが、親しく口を利くようになったのは、2年後、45分隊の一号で一緒になってからだった。

貴様は柔道係、俺は短艇係で、互いに元気に満ち溢れ、張り切っていた。

伍長補の役目の一つとして、作成した週末大掃除の任務分担を分隊全員の注目を浴びながら自習室の黒板に書いて発表していた長身端整な貴様の姿がはっきりと眼前に浮んでくる。

我々の一号、69期譲りの紳士タイプである貴様は、寡黙にして温厚篤実な人柄で、下級生の信望も極めて厚かった。

貴様は空へ、俺は海へと別れることになった昭和18年9月15日、卒業式における武者振いにも似た興奮と感動が、つい昨日のように蘇ってくる。

そして貴様は、飛行学生を経て中攻操縦員として、サイパン強行作戦に参加するなど歴戦奮闘されたのであります。

ともに生存して終戦を迎え、それぞれ新しい道を歩んだわけであるが、クラス会や分隊会で貴様と会うのが大いなる楽しみであった。

昨年10月7日、田中、田久保両分隊監事をお囲みして渋谷で行われた45分隊会が、ついに貴様との最後の出会いになってしまった。

昭和から平成に改元されて未だ7ケ月に満たない現在、既に、木村貞春君、大岡要四郎君を喪い、そして今また君を喪うに至りました。まことに痛恨、悼惜(とうせき)の極みであります。

 ご遺族のご悲嘆もいかばかりかとお察しいたします。

「朝に死に、夕に生まるるならい、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。」

という鴨長明のことばもありますが、生死必滅会者定離、つくづく世の無常を痛感いたします。

心から君のご冥福をお祈りします。

どうか安らかにお眠りください。

平成元年7月30日

なにわ会代表 中村 

(なにわ会ニュース61号19頁 平成元年9月掲載)


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