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平成22年5月13日 校正すみ

父 西川賢二

丸橋恵美子

 先日は父西川賢二の納骨の際に、お心遣いをいただきほんとうにありがとうございました。同期の皆様のご弔意、父に報告してまいりました。喜んでいることと思います。

昭和63年5月、母が亡くなり、わずか1年半後の父の死でした。とは言うものの、父にとっては、絶えがたく長い1年半だったのだろうと思います。毎日、2人一緒に仕事場に出向き、2人一緒に帰ってきました。まさに、二人三脚の生活でした。

仕事に精力的に打ち込み、従業員の人達も父にはビクビクしていたものでした。強い精神力と根性は、兵学校生活のたまものだったのでしょうか。

私達3人は、兵学校の数々の話を聞いて育ちました。父にとって兵学校は、誇りであり、青春だったのでしょう。生まれ変わっても自分は兵学校に行きたいと熱っぽく語っていた父を思い出します。

しかし、胃の手術を受けてからは、体が思う様に動かず、昔の父の面影は薄らいでしまいました。それも、母の献身的な世話で、ようやく元気になりつつあったところでした。母の死で、父は生きる気力をすっかりなくしてしまった様でした。それでも一年半、一人でがんばりました。最近、体の不調を訴えていましたが、胃を切って以来、毎日の様にかかりつけの医者に通っていましたので、こちらも安心しておりました。

春になったら一度父を兵学校に連れて行こうと予定していました。もう一度、元気を出してがんばってくれたらと願っていましたので。その日を待たず、ただ一人で他界しました。きっと母のもとに急いだのでしょう。今、最愛の母と共に安らかな眠りに着きました。どうかご安心下さい。きっと、天国より、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げていることと思います。どうか、いついつまでもお元気でお過し下さいますように。まずはお礼まで。

  定塚 脩

丸橋恵美子

 

先般・西川賢二昇天の報を一ケ月以上遅れて鈴木脩から聞き、鈴木脩の計らいで、四号同分隊の鈴木、後藤英一郎、田上、谷口、定塚と、聞きつけて申込んできた高松道雄、吉江幹之助から小生宛に送られてきた金員をまとめて、西川の娘さんである丸橋恵美子様(岐阜県各務原市)へおくやみの書面とともに送金しましたところ、丸橋様から右の丁重な手紙が送られてきました。(定塚 脩)

なお、娘さんの住所は、(略)

 (なにわ会ニュース62号12頁 平成2年3月掲載)

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