TOPへ   物故目次

平成22年5月5日 校正すみ

鬼山茂樹君への弔辞

安藤 昌彦

 謹んで故鬼山茂樹君の御霊前に捧げます。
 君は.大正13年1月30日、福岡にて厳格な教育者の家庭に生を受けられ、質実剛健をモットーとする、福岡県中学修献館を修了、第72期生徒として海軍兵学校に入学、昭和18年9月15日、同校卒業と同時に41期飛行学生を拝命、百里ヶ原海軍航空隊にて艦上爆撃機操縦を専攻、第12航空隊付としてマレー・コタパルに赴任、印度洋方面作戦に従事、その後攻撃251飛行隊に転じ、台南にて終戦帰国、陸上自衛隊に入られました。

 自衛隊においては高射関係に専心せられ、長く日本陸上自衛隊連絡幹部として米国に在任、その激務に耐えられ、日本の防空体勢の確立に貢献されました。

 定年退官後は千葉トヨタ自動車グループの株式会社トヨタビスタ南干葉の取締役を最後に平成3年6日退職、自宅にて自適の生活を送っておられましたが、最近体調を崩され、入院加療、無事退院の後は順調に過され、つい先日のクラス会にも元気な姿に接しました。

 しかし、27日午前6時55分、心不全にて年改まるを持たず、急逝されました。
 ご遺族の痛恨、お悲しみに心より哀悼の意を捧げます。君は剛直にして爽邁、寡黙にして、慈意通ずる人柄であり、私も中学校及び兵学校同分隊にて親しく席を同じくする機会を得ました。

 戦中戦後を通じ、是、非それぞれ夢のうち、50数年は瞬く間に過ぎましたが、ただ今ここに、諸行無常会者定離を改めて感じずにはおれません。ゆっくりおやすみ下さい
 
 謹んでご霊前に一句捧げます。

 旅人の 彼岸を灯せ 寒昂。


  平成8年1229

(なにわ会ニュース76号7頁 平成9年3月掲載) 

TOPへ   物故目次