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平成22年5月7日 校正すみ

佐原 進君への弔辞

日野原幹吾

 

海の男がまた一人鬼籍に入りました。

我々は、昭和15年12月、海軍機関学校に入校、翌年太平洋戦争に突入、繰上げ卒業で昭和18年9月に同校を卒業しました。

君はイ36号潜水艦に乗組み、ウルシー泊地攻撃とマリアナ海域での作戦にそれぞれ参加、2回とも敵の激しい爆雷攻撃を受け、九死に一生を得て生還されました。

ウルシー泊地攻撃では、人間魚雷4基を発進させ攻撃は成功しましたが、同級生都所静世君の発進を見送るという痛恨の運命を経験することになり、そのことは一生君を苦しめました。

戦後は、海上自衛隊結成に参じ、以来要職を歴任し、定年退職後は、勝手の違う民間企業で、従業員養成の幹部として活躍されました。

最近は一切の仕事から離れ、家庭菜園を楽しんでおられました。流石に秀才であり、畠は整然とし、色々な作物に挑戦されました。人事の煩いを避け、一人で黙々と畠に打込む喜びを語られたことがありましたが、楽しそうな笑顔が忘れられません。

君と私とは、広島二中、機関学校と通じての同門の誼みの仲ですが、機関学校に入校した広島弁の若者は7名。うち3名は戦死。残る4名も次ぎ次ぎと先立ち、私一人が残りました。最後の友人を見送る悲しさは言葉に尽くせません。

君は寡黙で温和な人でありました。君子の交わりは水の如くと申しますが、よくそれを体しておられたと思います。良き父、良き夫であったことは衆目が認めるところであり、御遺族の御無念を思うと心が痛みます。

どうか天に在って御遺族を見守って上げて下さい。

平成10年7月17日

海軍機関学校第53期代表 日野原 幹吾

(なにわ会ニュース80号9頁 平成11年3月掲載)

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