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ブログ 平成21月分

日記 3月31日 HPの訂正
 今日は3月31日、明日から学校は新年度になります。区切りのいいところで、分かる範囲で、昭和15年入校時の分隊別生存者の名簿を訂正しました。そして人員表も訂正しました。

 先日掲載した八雲実習員の写真を見られた方(なにわ会の購読会員)からメールを頂き、3班の写真をメール添付で送って頂きました。この方は72期が卒業後艦務実習で乗艦していた時の八雲乗組70期の岩淵先輩の甥ごさんです。岩淵先輩は八雲から.19年3月駆逐艦曙に転勤、同艦砲術長として活躍、19年11月13日にマニラ湾で敵機と交戦中に戦死されています。個人の遺品の中にあった八雲実習員の写真を甥の方が持っておられ、親切にも送っていただいた次第です。古い写真でぼけていますが懐かしい方も多いのではないでしょうか。

3月30日 ニュース最終号
 なにわ会ニュース100号発送してから半月経過、多数のかたから電話、手紙、メールで感想を頂きました。おおむねご期待に添えたものが出来たと感じています。
その中から主なものをまとめてみました。
なにわ会ニュース100号に関する感想(要旨抜粋) 21年3月30日まで
旭 輝雄
 大兄の御心労並びに御努力に衷心より感謝申上げます。東郷元帥の連合艦隊解散の辞・米内大将の帝国海軍解散の辞とならび樋口兄のなにわ会解散の言葉は、海軍に籍を置いた者にとっては、感慨一入と言った処です。
泉 五郎
 正になにわ会の掉尾を飾る会報となりましたネ。
上野三郎
 100号までは編集を受け持つと公言して来て来られた貴兄のプレッシャーも大変のものがあったと思いますが、無事約束を果たされた事に敬意を表すると共に、ご苦労さんと申し上げます
川越重比古
 加藤君の遺影は、期友の懐旧万感の想いを象徴するもので貴兄の非凡、スマートなセンスに感銘しました。
杉田繁春
 最終記念号に相応しい198頁に及ぶ大力作、本当に御苦労様でした。厚く御礼申し上げます。
樋口 直
 「なにわ」会の悼尾を飾るのに相応しい出来上がりでしたね。これ一冊で会の創立から細かい経過、歴史が全部わかり、記録に残せる資料になります。最終ページの加藤君の写真は功労者の面目躍如として、彼が会員全員に挨拶とお別れを言っているようで涙が出ました。
平川 進
 見事な出来栄え、心から感謝申し上げます。
平野律郎
 裏表紙の加藤の写真、生き生きとして最終号にふさわしい良い写真ですね。
堀剣二郎
 100号らしい豪華版で大変だったでしょう。
百瀬 茂
 なかなかの大作で編集御苦労さまでした。表紙のアイディアは結構でした。
山本省吾
 HP及びブログの立ち上げにより、内容が充実され従来の会誌のエキスが整理され後日に残されていることです。これは全く貴君のボランティア活動によるものであり、他のクラスでは見られないことと思います。金銭に替え難い有り難いものと深く感謝しています。
金枝健三
 特に裏表紙の亡き加藤兄のにこやかな挙手の礼の写真、貴兄編集の妙に頭が下がります。 加藤兄のこの会誌発行に注いだあの情熱を今再び思い起こし、改めて 彼の冥福を祈る次第です。
高杉敏夫
 すばらしい見事な出来映え、感謝感激しつつ熟読します。
高田俊彦
 100号の見事な完成おめでとうございます。表紙の写真が全部カラーに出来て良かったですね。
(ご遺族)
猪口 信
 過去の「ニュース」の総集編も加わり立派に纏められており、この1冊ですべてがわかり感動しました。
横川康春
 巻末の加藤孝二さんの写真は懐かしかったです。それに寸分隙のないキリットした敬礼の姿(腕の角度など)に鍛え抜かれた帝国海軍士官の嗜みが偲ばれました。
岡野武弘
 最終記念号として、まことに豪華にして内容充実の格調高い思いで多い出来栄えの作と思いました。
加藤好子
 なにわ会ニュースと共に、主人が舞い戻って参りとても嬉しく存じました。有り難うございました。2.3日は昔の思い出、また、皆様方との懐かしい一時を・・主人と楽しく過ごさせて頂きました。最後のなにわ会ニュースに主人もお仲間に入れて頂きどんなにか喜んでいる事かと存じます。
加藤康人
 号を追うごとに内容も装丁も創意工夫が施され、皆様のご意見が取り入れられ、これで最終というのは正直残念な思いが募って参ります。
鏡佐和子
 先ず目に飛び込みましたのは、海軍兵学校の写真でした。懐かしさと感激で胸がいっぱいになりました。
土原 弘子最後となりました100号、誠に立派なものになりましたね。
藤井 翆
 最終100号に相応しい装丁、内容ともに大変ご立派ななにわ会ニュース有り難うございました。{なにわ会}創始の事、会誌発刊の経緯など詳しく知る事が出来て、改めて皆様のご苦労に衷心より感謝申し上げる次第でございます。

このほか電話で沢山の感想や感謝の言葉を頂いています。

 3月28日 兵74期会報
兵74期会報「江鷹』21年4月号を頂きました。
74期は今年末でクラス会活動を終結しますが、その準備もあり、2月16日に全国幹事会を開いて次の決議を行っています。
1 20年度決算報告、2 21年度事業計画 
3 21年度収支予算
2 20年12月31日現在 正会員523名 
  準会員(ご遺族)253名
3 主な記事
 a 1号生徒との対抗戦(ゴルフ) 
   久保 陽氏の投稿
   ヨーソロ会の長い歴史の中でただ一度だけ行った一号との対抗戦の記事があった。概要が掲載されていて定塚 脩氏が優勝とある。
 (なにわ会ニュース33号7頁に前回優勝者高橋猛典君の実施報告記事、定塚 脩君の優勝報告記事が掲載されている。実施日時は昭和50年3月15日 場所は市原CC 72期の参加者は、定塚、石井、大谷、都竹、後藤俊夫、茂木、鈴木脩、澤本倫生、和田、西口、泉、河野、高橋、押元、柳田教官、真鍋、加藤孝二、猿田、伊吹、松山の20名。)
 b HPは会員の二男が引き継ぎ、当分の間管理を継続する。従来のHPは21年6月30日で閉鎖する。
 c 訃報
   山下広一氏 21年2月4日 逝去
   佐藤泰功氏 21年2月9日 逝去 
 d 地区のクラス会の記事が多い。

窪添龍輝君から振込用紙(追加の分)のコピーを頂いた。(会員7名 ご遺族10名)

日記 3月27日 CGCのカップ
 銀の優勝杯(なにわ会のゴルフ会 CGCの優勝カップ)について海上自衛隊幹部候補生学校18期会のHP(とわ会憩いの広場)に次のように掲載されています。
海兵72期の期生会誌「なにわ」掲載の記事を紹介致します。
海兵72期の期生会誌「なにわ」の編集責任者の伊藤正敬氏から長谷君を通して、「とわ会」のゴルフコンペの優勝杯に纏わる記事を掲載したいので何か書いてくれとの依頼がありました。
平成13年の海軍兵学校連合クラス会の席において、「とわ会」が海兵72期から立派な銀製の優勝杯を譲り受ける話が纏まりました。
譲渡の手続き一切を、山崎とわ会幹事長に委任致しました関係で、当時の詳しい状況を失念してしまいましたが、運よく山崎君が当時の資料を保管しておりましたので何とか原稿をしたためることが出来ました。
あわせて「とわ会」のゴルフコンペの状況も掲載したいとのことでしたので、河村ゴルフ部長にも寄稿頂きました。         18期生会会長 石川
なお、とわ会憩いの広場は↓で見られます。
http://towakai.web.infoseek.co.jp/osirase/osirase10.html#label164

兵75期会報古鷹第48号(A5版62頁)を頂きました。いままで200頁前後立った会報が48号から約1/3に
スリム化されています。
1 平成23年度末で兵75期会を終結する。
2 会報「古鷹」は「訃報・名簿訂正」を中心とした期会・期友に関する情報を主とし、スリム化を図る。
3 総員3390名中生存会員1819名(生存率53.6%)

日記 3月26日 八雲の写真
 資料を整理していて、昭和18年9月15日から2月、艦務実習で乗艦していた八雲の候補生の写真が出てきました。これは昨年大谷友之君から送ってもらったものです。懐かしい人もおられると思いHPにとりこみました。

3月25日 クラス会費
 窪添龍輝君からクラス会費の入金状況の通知を頂きました。過去の年会費について会員3名、遺族会員1名、連絡報代について会員13名、遺族会員21名、有志会員1名の方から入金がありました。まだ未納の会員がおられます。振込よろしくお願いします。
23日、24日と連続訃報を流しました。100号190頁に掲載した海軍兵学校72期通信連絡網に誤りがありました。訂正お願いします。
桂 理平君の第2受信者「原田敏郎」、鈴木保男の第2受信者「澤本良夫」、都竹卓郎の第2受信者「豊田芳夫』、堀剣二郎の第2受信者「渡辺光允」を削除、都竹卓郎の第2受信者に「若松禄郎」を追加してください。
なお、期友の訃報を知った方は、とりあえず小生にご連絡下さい。最近、亡くなってから随分経過して判明することが多くなりました。ご協力お願いします。
また、190頁の注を再度ご確認、情報の伝達にご協力下さい。

山下茂幸君逝去
 訃報敬弔
氏名 山下 茂幸 君(名簿34P)
平成21年3月24日(火)0838
肝臓癌で逝去
喪主 妻 八重子 様
御通夜 平成21年3月29日(日)1800〜
告別式        3月30日(月)1000〜
斎場        かわさき北部斎苑         
   電話     044-822-3171   
   住所 〒213-0033 川崎市高津区下作延1872
   交通 JR南武線 津田山駅から徒歩7分
 発信元  伊藤 正敬

訃報 森園良巳君
新庄 浩君からの情報・
森園良巳君、平成21年3月16日前立腺ガンが胃ガンに転移して逝去。20日告別式が行われました。
メールで流しHPにも掲載しました。
コメント  深井
「第九銀河隊指揮官深井良」83ページ 4月30日 朝警戒警報発令 横空 ニ行ク 諸氏ニ会フ 森園ト共ニ水交社ニテ夕食 ・・・その時のお話、聞きそびれてしまいました。ご冥福をお祈りいたします。天国で、伯父と話の続きをされて頂ければと思います

日記 3月19日 100号の訂正
 なにわ会ニュース100号の140頁下欄11行から14行の
『4月 相澤中尉を中心に雷電隊の鹿屋進出。1ヵ月程で全員帰隊したが1機も戻らず。苦戦の連続だったと聞く。』を
『4月23日〜25日  相澤中尉指揮のもとに雷電隊鹿屋進出。連日の邀撃戦の後、5月16日帰隊。生粋の戦闘機乗りの大先輩黒沢少佐(63期)をして「相澤中尉、でかした! あっぱれ! 」と言わしめた。』に訂正してください。

同100号182頁上段21行の『和田 恭三』を『若松 禄郎』に訂正してください。

訃報 原田敏郎君逝去
ご遺族から次の葉書を頂きました。
主人原田敏郎21年2月16日逝去しました。

日記 3月18日 100号誤り訂正
 100号190頁海軍兵学校72期通信連絡網の訂正をメールで送りました。
100号13日発送しましたので今日で5日目、おそらくすべての方に届いていることと思います。もし、未着の方がおられたら、お知らせください。調査致します。

3月17日 100号
 今日あたり全部の会員になにわ会ニュース100号届くと思います。
ところで、始めの方にある「永代神楽祭について」の記事に誤りがありました。6月1日(木)を6月1日(月)、に訂正してください。(訂正用紙をいれてあります)

これからの永代神楽祭については、ニュース記載のとおり案内の往復葉書は出しません。当該頁に書いてあるように、参加される方は伊藤あてお知らせください。これのコメントでも構いません。葉書、メール、FAXなんでもけっこうです。お忘れにならないうちに送ってください。

日記 3月16日 ニュース100号
 今日は多くの方にニュース100号が到着したようです。随分多数の方から電話やメールをいただきました。最終号に相応しい大作とのおほめの言葉も頂いています。

日記 3月15日 100号の記事とHP
 ニュース100号の記事から次の頁をHPに取り込みました。
1 訃報の記事
2 戦記の記事
3 思い出の記事
詳細はHPを見てください。

日記 3月14日 なにわ会ニュース100号完成発送
なにわ会ニュース100号(最終号)完成、宅急便で発送しました。
ただ、永代神楽祭の日6月1日の曜日『月曜日』を間違えて『木曜日』として印刷してしまいました。差し替え用紙を入れましたので訂正お願いします。
190頁に新しい通信連絡網を掲載しました。第1受信者にはブログ、HP、メールで私から流します。第1受信者には平均5名の方を第2受信者としてつけてあります。第2受信者には希望者のみに流して下さい。
これでお約束の100号までの編集長の職責を果たすことができました。これも、校正担当の大谷友之君、都竹卓郎君、佐丸幹男君、窪添龍輝君を始め多数の会員、ご遺族会員のご協力のおかげだと感謝しています。
これからも、なにわ会の窓口となって、兵科上野三郎君、左近允尚敏君、機関科村山隆君、金枝健三君、主計科窪添龍輝君、高田俊彦君のご協力を得て情報配布に努めて行く所存です。
樋口 直君、泉 五郎君、引き続きご指導よろしくお願いします。

コメント  深井紳一
最終記念号14日に届きました。振込用紙が同封されていませんでした。すばらしい冊子にできあがっています。貴重なページを頂きありがとうございました。伯父深井良は昭和20年5月2日に厚木空で大山裕正氏、林慶治氏と「語る」と日記に書いていますが、雨降る晩に何を語り合ったのか大山氏に聞きそびれてしまった事が悔やまれます。

コメント  春日
奈良と茅ヶ崎で「なにわ会100号」を受け取りました。ありがとうございます。

深井さん。振込用紙は20年度以前の年会費未納者と連絡報代未払いの方だけに入れてあります。深井さんは両方とも納入済みですので振込用紙は入れてありません。

春日様 ご希望部数入っていましたでしょうか。

日記 3月13日 HPの更新記録
 加藤寿治君の訃報関連の記事を訂正しました。
更新記録の書き方を修正し、どこを修正したか分かりやすくしました。

日記 3月12日 伊366潜
 海上自衛隊潜水艦教育訓練隊から、平成21年3月発行の『潜水艦の友 第85号』を頂きました。その中に故角田慶輝君の書いた『伊号366潜水艦戦記(なにわ会ニュース72号20頁掲載・なにわ会HP掲載)』が取り込まれて掲載されています。このように、なにわ会ニュースが単に期友の間だけで読まれているだけでなく、このように広く読まれていることはまことに喜ばしいことです。これもHPの素晴らしい力とつくづく感じています。

訃報 加藤寿治君
 本日来た横須賀高校同窓会(朋友会)の会報で加藤寿治君の逝去を知りました。
平成20年10月20日 逝去
加藤寿治君とは4号の時第45分隊で一緒に1年間過ごしました。彼は昭和45年から60年まで母校横須賀高校の理科の先生をしていました。なにわ会とはまったくつきあっていませんでした。
訃報を直メールで流しました。近く配布する100号会報掲載の連絡網を直メールで送ります。自分の子の第2受信者のうち関心ある方だけに流して下さい。

日記 3月11日 小灘さんコンサート
 小灘裕子さんから頂いたメール
かねてより、父利春(回天会会長)と恩師の作曲家、中田喜直先生(72期 中田隆保氏の従兄弟)の追悼コンサートをしたいと願っておりましたところ、ちょうど工業倶楽部の方からお声をかけていただき、実現となりました。ひとりで一から準備したので大変でしたが、お陰様で満席となり、音楽やお話を皆様に大変喜んでいただく事が出来、父も先生も天国できっと喜んでくれていることと思います。
最近では、74期の会報「江鷹」に、田口康雅様が記事を載せて下さいました。
写真を4枚頂きましたが、うまくアップロード出来ません。HPに掲載しますので↓↓を見て下さい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/konada-konsa-t1.html

日記 3月10日 お手紙
 故滝沢昌彦君のお姉さま中田光子様からなにわ会の最後にあたり、思い出を書いた丁重なお手紙を頂き、さらに多額のご芳志を頂きました。
先に書いた今年の永代神楽祭の日にちの曜日 月曜日を間違えて木曜日の木とした誤り、すでに印刷済みですので、訂正用紙を入れることになりました。

日記 3月8日 歩こう会
 平成21年3月 なにわ会歩こう会記 上野三郎
平成21年3月5日に「本牧市民公園八聖殿郷土館」、「三渓園」への歩こう会に参加した。
この頃は気圧配置が冬から春への変換期に当たり安定しない天気の続く時機であったが、丁度晴天に恵まれ、最高気温も12℃と心地よい歩こう会日和だった。
根岸駅に10:30集合、
(男子4名、女子6名)
15:30解散、
歩行数6,500歩。
バスにて「本牧市民公園前」下車市民公園の中を100段余りの石階段を登り資料館に至る。
@「本牧市民公園八聖殿郷土館 法隆寺の夢殿を模した三層八角形の特徴ある建物 
熊本県出身の安達謙蔵が建立、横浜に寄贈され、市民に郷土の歴史を伝える資料館として、昭和48年に開館、幕末から明治にかけての本牧、根岸の写真や当時つかわれていた農具や漁具を中心に展示しており、興味深い。
二階には此の建物の名前の起源となった八聖人(聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮、釈迦、孔子、ソクラテス、キリスト)の彫像が飾られている。 
資料館を出て歩くこと15分、三渓園の入り口に到着。
A三渓園
シニア入園料300円を払い入園、観梅が目的であったが時機を失した恨みがしたが、三々五々群れの中に入る。大池越えに聳える旧燈明寺三重塔(京都より移設)の眺めは流石圧巻だ。
普通の公園位と侮っていたが、総てが本物だ。概要を簡単にパンフレットより抜粋紹介して置こう。
1.生糸貿易により財をなした実業家原三渓(1868(慶応4年)−1936(昭和14年))の手により完成、昭和28年横浜市に寄贈、財団法人三渓園保勝会により復興保全されている。広さは175,000uに及ぶ。
2.外苑部分は1906(明治39年)に公開、京都、鎌倉等から移築された歴史的に価値の高い健造物を巧みに配置。
3.内苑部分は1958(昭和33年)公開、原家の私邸であった。古建築で構成された瀟洒な庭の造りが立派。
4.重要文化財10棟、横浜市指定文化財3棟 此れだけの収集はたいしたものだ。
5.原三渓存命中は新進芸術家育成支援の場でもあった。近代日本画を代表する幾多の作品が園内から生まれており、芸術的雰囲気がプンプンみなぎっている。
梅を愛でる一行
初音茶屋で一服
此の茶釜は昭和になって掘り出された
骨董物、一斗一升の容量がある
参加者 左から高田、幸田、深尾夫人、小松崎夫人、伊藤夫人、深尾、品川夫人、加藤夫人、上野(他に村上(69期)夫人)

三渓記念館では原三渓の業績やゆかりの美術品に触れ、又原三渓の住いであり交流のあった文化人の出入した鶴翔閣では志村立美の美人画展の展示物を拝観した。
三渓園の散策を通じて歴史的に価値の高い建造物を、又多くの芸術品を此の地に凝縮した偉大なる実業家原三渓に改めて尊敬の念を捧げる。もう一度ゆっくりと訪れたいものである 。

日記 100号
 100号間もなく印刷終わり製本に入ります。13日発送の見込みです。この段階で原稿のミスを発見しました。いまから訂正出来るかどうか、月曜日に印刷やに問い合わせてみます。
それは、永代神楽祭の日にちを「6月1日(木)」と間違えたことです。21年6月1日は(月)です。訂正が間に合えば、いいのですが、間に合わなければ訂正紙を同封します。
74期の訃報
小原徳郎様 平成21年3月5日 没

3月6日 索引表
 HPで利用できる索引表を作成しました。TOP頁の索引目次2をクリックすると索引目次が出てきます。そこで該当する所をクリックすると、そのことが書いてある会報の号数と頁数が出てきます。
例えば、高崎孝一君の日記」があったがどこにあったか知りたいときは、TOP頁の索引目次2→索引目次の日記等→高崎孝一とクリックすれば掲載されている号と頁が出てきます。
ま た先日亡くなった大谷友之君のことを見たければ、TOP頁の索引目次2→索引目次のなにわ会ニュース索引表その8(物故者その1 あ〜そ 故人の名簿順)→大谷友之君の所を見れば掲載されている号と頁が分かります。大いに活用して下さい。

日記 3月5日 機55期会報
 海軍機関学校55期会報36号を頂きました。表、裏表紙カラ―写真で、総頁126頁綺麗に出来上がっています。
1 中央幹事会議事録の要約
  平成23年までは会誌の発行、諸行事の実施は可能。
2 53期生存者の状況(村山投稿)
  生存者24名 
   うち年齢相当のガタあるも元気 8名
  行動制限あり 16名
3 支部だよりとして45頁にわたって支部の活動状況や会員の動静が掲載されえいる。
4 訃報
 a 横山 崇二 様 H20年1月24日没
 b 原  庸道 様 H20年2月 8日没
 c 渡邊 正忠 様 H20年3月18日没
 d 菅野 定二 様 H20年4月 4日没
 e 森  家久 様 H20年5月 7日没
 f 小池誉志彦 様 H20年6月18日没
 g 若林 欣明 様 H20年9月30日没
 h 青木  弘 様 H21年1月14日没
5 還ってきた軍刀 「故森川恭男先輩を悼む」
と題して、横山 嘉司氏の追悼文が掲載されていた。
(その中に次の文があったので、転載する。)
「終戦時伊400潜で内地帰投、米海軍による武装解除の際、森川さんの名刀も没収された。
昭和50年代と思うが、増田君が静岡の百貨店で『アメリカからの戦利品の里帰り』の展示会を見た中に、森川恭男と署名のある軍刀を見つけた。早速森川さんに円楽確認した。主催者と返還交渉任され、最後は森川さんが静岡に赴き交渉の末、買い戻された。」
6 「あたご」衝突事故に思うと題して9頁の論文が掲載されている。

日記 3月5日 HPの管理
 HPの管理者について
管理者は21年8月で満86歳になります。今のところ管理に支障はないが、何時どの様になるか予測できない歳となりました。後継者もないので、その時はこのHPはどの様になるか案じていたところ、71期のHPは戦死した級友の甥ごさん(HP作成の専門家)、から引継いてもよいとの申し入れがありました。
また、74期のHPは、ある会員の次男が引継ぎ者となり、継続が決定、
新アドレス http://kouyoukai.info に新たに入力済であります。
なにわ会のHPについても、会員又はご遺族の子供さんやお孫さんや甥、姪ごさんの中から引継いでもいいといわれる方がおられると嬉しいのですが、どなたかお願いできませんでしょうか。
74期HPから
(訃報) 山下広一  平成21年2月4日没
     佐藤 弘  平成21年2月9日没 
会員数  521名

日記 3月4日 写真返却
 昨日送られてきたゲラ刷りをチェックして今日返送しました。これから印刷製本にかかり、15日までには発送出来る見込みです。昨日、100号に使用した写真も帰ってきましたので、それぞれ投稿者に返却発送しました。(23名あて)
これで、なにわ会ニュースに関する業務はすべて終わったことになりました。
これから会員に対する情報の配布は,HPとブログを主とし、あとは毎年9月、3月発行の連絡報(会員だよりだけでなくでなく、情報も配布したいので、連絡報の名前にします。)によることになります。
したがって、会員の情報は今までどおり、伊藤あて知らせて欲しいと思います。また、ブログにもどんどん書き込んで貰いたいと思います。

日記 3月3日 100号ゲラ刷り
 なにわ会ニュース100号のゲラ刷りが印刷やからきました。これから最終校正をしますが200頁もあるので大変です。
先日70期の会員だよりの要旨をブログに掲載しましたが、その中の訃報の記事 「佐藤 嘉三 様  H20.12.23没」を見た特4号生徒田島氏から、佐藤さんは呉水交回の元会長で親しくしていたのですが全然知らず、ブログで初めて知ってお悔やみに行ってきました。というメールをいただきました。
泉五郎君から、前にブログで見た故林慶治君の写真について電話があり、その写真掲載したブログの月日を教えました。
このようにブログが役に立っているのが分かって嬉しいです。

 先日放映された証言記録 人間魚雷“回天”」が次によりNHKで再放送されます。
【本放送】平成21年3月 6日(金)午後8:00〜8:43<中国地方向け(除く岡山)
【再放送】平成21 年3月8日(日)午後2:15〜2:58<中国地方向け>.

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