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なにわ会のブログ 21年11月 

日記 111日 もう11月

 はや11月になりました。65年前の11月は41名の同期生が戦没しています。そのうち23名は航空要員で、これから航空要員の戦死者が増えています。また回天特攻で亡くなった方も出てきています。

 

 111日には攻405の小林 博君が比島タクロパンで、攻3の長尾栄二郎君が比島レイテ島方面で戦没しています。

 

日記 112

 65年前の11月2日の戦没者は戦407の桜丼 長君と戦313の依田興二君が共に比島オルモックで亡くなっています。

 

日記 113

65年前の本日の戦没者 戦165の猪口 智君が比島タクロバンで戦死。

 

日記 114日 栗原日記

 故栗原信也君の海軍経理学校生徒日記をHPに取り込んだ。

 

日記 115

 65年前の5日の戦没者は次の3名。

 巡洋艦那智の武井敏薦君と冨井宗忠君がマニラ湾で、戦303の近藤圭太郎君が比島バムバムで戦没。

 終戦後復員輸送に従事しいていた駆逐艦萩の新井田康平君がマニラ湾で亡くなった。

 

 海軍機関学校53期の成瀬秋夫君の卒業前3か月の修業日記をHPに取り込んだ。

 

 1112日の東京クラス会、出席予定だった宮田實君欠席に変更の電話有り。参加者40

 

日記 11月6日

 1112日の東京クラス会、出席予定だった岡本俊章君欠席に変更の電話有り。参加者39名

 

 65年前の11月6日の戦没者池田仲光君(316)が館山西方で、畠中重信君(12)がマニラ東方海面で亡くなっている。

 

 20年の昨日亡くなった新井田君のことについて、堀剣二郎君から「たまたま駆逐艦航海長として現地に居合わせていて、その最後について知っていた」と電話をもらった。

 

 菅原完君(77期)が月刊誌「丸」に投稿した丸山隆君の記事をHPに取り込んだ。

 

コメント  月岡

 こんばんは。ご無沙汰しております。あれからも拝見させていただいています。

今日が池田さんの亡くなられた日ですね。池田さんをはじめとします皆様の65年前の今日の日に謹んで御冥福をお祈り致します。

少しだけお話致しました池田さんの手紙ですが、学校の事が書かれているものをスキャナで取り込んだもので宜しければ、伊藤様に寄贈したいと思っております。宜しければ、メールに御返答頂ければと存じます。

 

日記 117

 先日書いた新井田君の件について、5日堀剣二郎君から電話、6日左近允尚敏君からメールを頂いた。

このようにリアクションが有るとブログを書いていて、とても励みになります。之からもよろしくお願いします。

 

 65年前の11月7日 302空の長尾利男君が箱根で亡くなっています。

 

 

日記 118日 東京クラス会参加者

 1112日の東京クラス会の参加者8日夜現在39名です。

 

 65年前の118日の戦没者 鷺勤務の大杉保夫君(主)が南支那海方面で亡くなっている。

 

日記 11月9日 東京クラス会

 原田種睦君から体調不良で東京クラス会欠席に変更と電話有り。原田夫妻欠席。更に和田恭三君から体調不良で欠席に変更の電

話、参加者は36名になりました。

 

日記 1110

 東京クラス会参加者のうち、平野律郎君、体調不良で欠席に変更の電話が有り、参加者35名になりました。

 

日記 1111

 東京クラス会明日になりました。今日また溝井清君から体調不良で欠席の連絡がありました。之で参加者34名に減りました。

 

 65年前の11月11日、木村 G君(254)が比島オルモックで,恵美純吉君(若月)が比島方面で,坂巻和一君(島風)が比島オル

モック湾で亡くなっている。

 

月岡真澄様(73期月岡様の兄の孫)から、池田仲光君が故郷に送った江田島生活を書いた手紙を送って貰ったのでHPに取り込んだ。

 

日記 1112日 東京クラス会

 211112日 なにわ会の東京クラス会が1300から1530まで、市ヶ谷のアルカディアで34名が集って実施された。これ

は、従来のなにわ会の行事が昨年末の年末クラス会で終りとなって、地方ではそれぞれの地区蔵氏会が行われているので、東京近辺

の者が年に一度ぐらいは集りたいという声が有り開催されたものである。

 今回は左近允尚敏君が会場の手配を行ってくれた。先ず司会は村山 隆君が引き受けて呉れて、見事な司会ぶりで会は円滑に推移

した。最初に左近允尚敏君が幹事として今回の会の経緯等を含め挨拶を行った。

次いで会員を代表して佐藤 静君が自己の近況等を含め格調の高い話を披露した。

ついで、伊藤編集長から連絡事項として次の5件について話があった。

1 永代神楽祭 22年から64

2 情報の配布 ブログ、HP、メール、年2回発行のなにわ会だより

3 HPについて

4なにわ会の経費見積もりと寄付についてお願い

次に遠路参加の高松道雄君は前回乾杯の音頭を取っているので、次に遠い所、浜松から参加の大槻敏直君音頭で乾杯、懇談に入った。

 懇談なかばで、相澤善三郎君と新庄 浩君からお話があった。

 そして最後に相澤善三郎君の硬軟取り交ぜた歌で盛り上がって、予定の3時半に盛会のうちにおひらきになった。

ただ今回は直前になっての、出席から欠席に変更された会員が8名もあって幹事は対応に苦しんだ。もう来年は大部分の会員が米寿

を迎えるので、已むをえないこととも思われるが、今後は事前に会費を納入して貰う事も考えねばと思う。然し、参加者は満足して

帰られたので良かったと思う。

 

65年前の1112日、達川猪和夫君(302)が比島タクロバンで亡くなっている。

 

日記 11月13日

 65年前の1113日は牧太郎(201空)がマニラ東方海面でなくなった。

 

 昨日の東京クラス会終ってひと段落だ。

 

訃報 坂元拓運

 三浦八郎君からの電話連絡。

 坂元拓運君 平成2111月14日逝去。(電話で奥様に確認。一昨日まで元気だったが、昨日風邪気味で医者に診てもらい薬を

のんで休んだ。今朝目覚めた時は異常なかったが、奥様がごみを捨てに行って帰ってきたら倒れていて、そのまま息を引き取ったと

のことであった。突然の事でまだ葬儀の日程は未定である。分り次第追って通知が来る事になっている。)

 

日記 1114日 HP

昨日の坂元拓運君の逝去で関連HP7ヵ所(21年訃報、現在員、兵生存者名簿、兵物故者名簿、21年後期名簿訂正、4号時の分

隊員数、同名簿)を訂正した。

 

日記 1115日 

坂元夫人から葬儀について電話をもらいました。HPの訃報を訂正しました。見て下さい。

 72期一同として弔電を打ちました。

 

日記 11月16日

 今HPを順に再点検して誤字脱字の修正、リンク切れの修正を行っている。戦後物故者、戦没者については終って、今戦記につい

てチェックしている。

 

日記 1117日 湘南なにわ会 後藤 脩君

 泉五郎君から後藤脩君について次のメールを頂きました。

(本日遺言執行人の桑畑和夫氏からの葉書による連絡。

「永年皆様にご友諠を賜りました後藤脩様儀、去る10月26日早暁ご自宅で、享年86歳をもって永眠なさいました。”人間は結局自分との闘い” との信念を貫き、無差別殺傷を許さぬジャーナリストとしての生涯を全うされたことに、ご臨終に立ち会った者一同深い感銘を受けております」(病状、葬儀等については言及なし)』

 

 上野三郎君から恒例になっている「湘南なにわ会」の案内を頂いた。

1 日時 2214日(月)1200〜

2 場所 二楽荘 鎌倉市小町2−7−2

3 会費 7000円(同伴5000円)

4 幹事 上野三郎君 市瀬文人君

5 回答 1215日迄 上野三郎君へ

 

65年前の1117日の戦没者 嶋津義公、谷口哲(共に神鷹)東支那海で。

 

日記 1118

 後藤脩君逝去の件について星野道子様(故猪口智君の妹)からもメールをいただきました。星野様、お手配有り難うございます。

1027日のブログで27日逝去と書きましたが、26日に訂正しました。(HPも訂正しました)

 

 65年前の11月18日の戦没者、井上哲君(イ177)ペリュー島周辺で消息を絶った。

 

日記 1119

 65年前の1119日の戦没者 多田圭(252) 比島レイテ湾で。

 

 海軍兵学校2号時代、54分隊員だった巻石蔵君と宮地榮一君が作詞した次の歌を泉五郎君から送ってもらった。

              作詞 巻  石蔵(七二期)

              作曲 田中 公夫(七一期)

 

流離の定め人の世に      有情四十の丈夫が

奇しくも結ぶ一年の      名残を長く留めんと

森の木陰に夢の花       乱れて咲きぬ五十四

 

君し知れりや武夫の      期せし覇業は難くとも

遂げずば止まじ胸に湧く    熱き血潮の雄叫びに

見よ古鷹の峯高く       北斗の空も揺るぐなり

 

ああよしさらば暁の      海に鍛えん此の腕

血に固めなん此の契り     傳統此処に創む可く

必勝の気に燃え立ちて     今ぞ勝利の道を行く

 

            作詞 宮地(富士)榮一(七二期)

            作曲 田中 公夫(七一期)

貴様は九州薩摩芋       俺は東北雪達磨

だけど今では江田島の     北も南も戦友だ

 

貴様はバテレンクリスチャン  俺は真言ナンマイタ

それも今では糞喰え      俺にゃ貴様が仏様

 

貴様は髯面親爺殿       俺は可愛いお稚児さん

それも同じ三号の       泣くも笑うも風任せ

 

何の縁か同じ世に       俺だ貴様と呼び合って

飯を分け合う縁じゃもの    閻魔の前でも俺貴様

 

訃報 間中十二君

 間中十二君が平成21112日に亡くなっていたことが、豊廣稔君からの電話連絡でわかった。

腹膜に腫瘍ができて20日程の入院後逝去されたとのことである。故人の遺志により家族で密葬された。

HPの関連項目を訂正した。

 

日記 1120

 65年前の11月20日の戦没者

吉用茂光、山脇美代次の2名 伊54潜で戦死認定(米軍資料 伊54潜は比島東方で1028日沈没) 

福田 斉がウルシー泊地で伊47潜から、村上克巴がパラオコッソル水道で伊37潜から発進した回天で戦死。

 

 先日亡くなった坂元拓運君の奥さんから葬儀を無事終えたこと、弔電有り難うとの電話を頂き、故人の最後の状況そのた故人のことを色々お聞きした。

 

日記 1121

 海軍兵学校78期の神奈川県支部の会誌をいただいた。A5版40頁のもので、会の行事活動の報告、と会員の近況(なにわ会だよりの会員だよりに相当)が中心になっている。

 

 74期談話室の記事から 74期池田泰輔 様 H21.11. 7 没

 

 65年前の1121日の戦没者 機の森下正美君(金剛)が台湾海峡基隆沖で、内田源吾君(浦風)が台湾北方で戦死。

 

日記 1122

 65年前の1122日の戦没者。 寺本実三君(256)が南西諸島方面で亡くなっています。

 

日記 1123

 65年前の1123日の戦没者は坂本博君(戦308)で、鹿屋で亡くなっています。

 

 今日は珍しく矢田次夫君から電話をもらった。間中十二君が亡くなったこと知っているかという事であった。HP、ブログ、連絡網で流してあると返事したが、彼は耳が悪くて理解してくれない。そこで,FAXで返事を流した。耳が悪い者とはどうしても疎遠になる。

 

日記 1124

 65年前の1124日の戦没者 酒井洋君(851)が小笠原諸島方面で、中岡克輔君(5)が比島レイテ方面で亡くなっています。

 

 魚谷健博氏(海機56期)が1023日前立腺ガンで逝去された。彼は海軍機関学校同窓会のHPを立ち上げられた方です。立派の

HPです。↓を見てご冥福を祈って下さい。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~jnec/

 

日記 1125

 65年前の11月25日の戦没者は熊野の小澤易一君、井ノ山威太郎君、戦302の田邊 正君の3名です。

熊野の最期 『重巡熊野の最後(左近允尚敏君)』がHPにある。↓を参照して下さい。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senki-1-kumanonosaigo-sakonjyou.html

 

 左近允尚敏君から先日亡くなった間中十二君について次のメールを頂いた。

『幸田君から電話あり、どんな様子だったか とのことで貴兄からメールでいただいた情報を伝えました。

彼は伊勢配乗になった6人のうちの一人だった、俺一人になってしまった、終戦時シンガポールにも6人いたが、これも俺一人になってしまった、と話していました。』

 確かに生存者少なくなっていて淋しい限りですね。羽黒配乗5人のうち現在生き残りは私一人だけです。

 

日記 1126

 65年前の1126日の戦没者 302空の石川淙三君が横須賀で亡くなっている。

 

 1117日のブログに『2号の時の54分隊の故巻石蔵君と故宮地榮一君が作詞した歌詞について掲載したが、既に1014日に掲

載していた。お互いボケの始まりのようですね。

 

日記 1127日 HP

 携帯でHPやブログを見ている会員から、最近戦記関連が開けなくなったが何かしましたかと問い合わせがありました。実はHP

を点検していたら、リンクしていない頁が随分あったので、それを修正し目次を訂正しました。戦記関連の取り込み数が245件と多

くなった為かと思い、戦記目次を、戦記その1(機関科まで)と戦記その2(戦争体験、終戦、その他)の2つにわけました。

 

74期の談話室から。

1126()福岡ネービー会が福岡市中央区今泉の「福新楼」で正午より開催された。出席者は当初27名の予定だったが急遽

出席できない事情が相次ぎ、4名が欠席し23名となった。

 福岡ネービー会も30年近く続けてきたが、会員の高齢化により連合クラス会は既に解散し、各期のクラス会も相次いで解散して

いる状況に鑑み、福岡ネービー会も先輩世話役の意見を聴取した結果本年を以って終了することとなった旨報告する。』

 このように、海軍関係のいろんな会合が最後を迎えているのは誠に淋しいが、これも高齢化の致すところ已むを得ないことと想う。

 65年前の1127日の戦没者 大村謙次(317)がサイパン島で、木村 力(265)が比島クラーク周辺で亡くなっている。

 

日記 1128

65年前の1128日の戦没者 飯塚勝男君(313)が比島上空で亡くなっている。

 

日記 1129

65年前の1129日航空母艦信濃が潮岬南方で米潜の雷撃を受け、沈没。同艦乗組みの菊池芳夫君と佃 次郎君(機)が亡くなっている。

 菊地君の最後について澤本倫生君の↓の報告がある。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~ma480/senbotu-kikutiyosio-sawamoto1.html

 

日記 1130

65年前の1130日の戦没者は有りませんでしたが、11月中に40名、9月の68名に次いで多くのクラスメイトがが亡くなっています。職種別に見ると次の通り航空が一番多く、回天特攻での戦死者が出て来ました。

艦艇10、航空、潜水艦、回天の順

10月 28名、39名、1名、なし

11月 13名、22名、3名、2名。

 

74期 堀 喜久三様(1学年32分隊) 平成211127日 没

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