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  金婚イベリヤの旅                             泉 五郎


平成11年2月8日 月曜 晴
 
 和光の車で成田へ。ルフトハンザ機、予定通り午後2時半発。フランクフルト経由リスボンへ。 
 概ね予定の飛行。往きの飛行機は空席多く、中に旅慣れて要領よき人は
   
 四人分 席ぶんどりて 寝ころがる     これぞまことの エコノミー客 

 真似ようとしたが、座席肘掛の倒れる場所は限られていて果たさず。飛行中の視界概ね良好。

 シベリヤの 雪山眼下に 機内食    異郷に果てし 兵士ら想う

 機内食質量ともに口に合わず。
 ひたすらに 時の過ぐるを 願うかな シベリア上空 時差ぼけの旅

 フランクフルトで乗り継ぎ、所要約三時間。空港で早速失敗

 馬鹿チョンと 侮り罰の 当たりしか    フランクフルトで カメラ動かず

 深夜11時リスボン上空に到達。所要実質十八時間。旅もこれからと気が張つていたせいか、
 左程疲労感もなし。

 街の灯の 時に明るく またかげ翳る   翼の下に 夜のリスボン

 上向けて 尿するなり リスボンの    空港トイレの 便器の高き  

 ホテル・ペンタに投宿、明日の説明を聞き就寝は1時を過ぎたるか。浴室便器の横に更に
 便器状の怪しげな物あり。 小便器といぶか訝りたるもさに非ず、才子の説の洗濯槽か。

2月9日火曜 晴のち時雨

 ホテルの朝食バイキング様式。総て日本と様変わりの大味。 午前バスにてリスボン市内見物

 石造り 水道橋の 高々と
 丘から丘へ ローマの遺構

 最初の見物、ベレンの塔やカラベル船を模した発見のモニュメントは時間無く、写真を撮るのが精1杯。

 テージョ川 望む白亜の ベレン塔     小城とまがう 物見櫓よ

 コロンブスの新大陸発見はポルトガルの誇り! そのモニュメントの壮大なる、まさに日本人の
 想像を絶するものあり。   

 そのかみの 大航海の 夢たたえ   群像躍る 巨大記念碑 

 夫々に 謂れあるべし 群像の   何を祈るや 何を語るや

 移動の途中、官邸前広場にて騎馬隊衛兵の一群と遭遇。交替の為らしいが、その行進さすがに
 見事であつた。

 ジェロニモス修道院、外観は些か古色蒼然。内部は照明不充分ながら、その壮大華麗さに感嘆。
 2階回廊では、その対称的な建物の構造に惑わされ、出口が判らず泡を食つたが、集合時間に
 ようやく間に合いホット一息。

 ジェロニモス 修道院や くろずみて    栄華のあとも 色褪せにける

  リスボン


 リスボンは歴史的建造物や記念碑を除くと、日本の一寸した地方都市くらいの感じか。
 所々にスラム街のような個所も残つている。

 市電は小型ながら情緒に富み、これまた一寸乗つてみたくなるような可愛い代物で、
 コマーシャルのデザインもなんとなく洒落ていた。

 リスボンや 年代物の ミニ市電   宣伝衣装も 色とりどりに

  リスボン

 1715年の大地震にも壊れずに残つた旧市街は、狭く入りこんで、秘密めいていた。
 道路も狭く住む人も貧しいのであろうか。小さな広場に井戸端のようなものもあり、
 ふと、昔流行つたイベットジローの 「ポルトガルの洗濯女」の唄を思い出す。

 リスボンの 中世偲ばる 旧市街    如何なる人の たつきなせるや

 昼飯は市内の小さなレストランで蛸の雑炊。珍しいといえば珍しいが、味はたいしたものでもなし。
 人手不足でサービス緩慢。

 バスでシントラへ約三十キロ。町並みの美しさ、石と煉瓦と壁面の色、夫々の個性豊かに、
 然も、全体として見事な調和を保つている。
 民族の芸術性の為せる業というべきか。ゆっくり出来なかつたのが甚だ残念。

 赤い屋根 白亜の壁に 石畳    飾り出窓に 溢るるロマン

 絵心は あれど技なき 我が身かな    何時の日如何に 思い果たさん

 やまあい山峡の 雨に煙れる シントラや   おとぎ伽の国に タイムスリツプ

 シントラからは程近いヨーロッパの西の果て、ロカ岬は風と雨であつた。 
 大航海時代の海の冒険者達、彼等は果たしてどんな気持ちでこの岬を眺めたであろうか? 
 丁度ロカ岬ではフイルム切れ、 後日同行池内さんより写真頂戴す。

 イベリヤの 西の果てなる ロカ岬    カピタン・コロン 如何に眺めし

 夢遥か 海の男を 見送りし    ロカ岬なる 地の果てに立つ

 リスボン連泊の夜は、ファドのオプションも参加せず、くたび草臥れて才子は食事も要らぬという。
 やむなく独りホテルの レストランで夜食。割と大きな食堂に客は私だけ、 
 後になつて池内さん夫妻が見えたが、気分は余り落ち着かず、貧乏人根性か。
 ウエイターお薦めの白身魚の丸焼きとグラスワインを注文、魚料理にナイフとフォークは難物。
 但し味は結構、量は充分。

2月10日 水曜 快晴

 朝六時、バスにてセビリアへ。質量ともに兵食並みの朝弁当。八時半頃漸く日の出。

 可憐なる 桜に似たる アーモンド    春なお遠き 南欧の旅

 コルクの樹 牧野千里に 点々と    高速道路を ひたすらに行く

 2度ばかりトイレ休憩、やたらとのどが乾くのは乾燥のせいか。

 知らぬ間に 国境超えて エスパニア   所々に 白き集落

 国境を感じぬあたり、EUの一体化を痛感。お昼頃セビリア到着。治安宜しからずと添乗員の
 警告頻り。

 公園は 平和のシンボル 鳩の群れ    されど物騒 園内散歩?
 セビーリア お伽の馬車で 街行けば     古き建物 像や噴水

 昼食は市内レストランでの本物の鳥料理、味も上々、但し量には些か閉口。
 セビリアの観光目玉は矢張り大聖堂か。おかげでジェロニモス修道院の印象も影が薄くなる感じ。
 然し余りにも壮大華麗に過ぎて、我々には単なる無機の別世界の感がする。
 引続き隣接するヒラルダ(風見の女性像)の塔、七合目あたりの回廊まで。その昔、老僧達に
 配慮してか螺旋状の スロープ構造、案外楽々と登る。

 ヒラルダの 塔の高みを スロープで    七十メートル 見晴らしの良さ

 いったん、ホテル・アル・アンジェラスにチェックイン。再びバスにてオプションのフラメンコ見物へ、
 盛況。
 但し会場での夜の食事には食欲不振。池内さん夫妻と同席

 フラメンコ 情炎の血の たぎるかや    妖しく激し 歌も踊りも

 同じフラメンコでも踊手によつては

 装えど 老いは悲しや フラメンコ    年増ダンサー 迫力の無さ

 ホテル アル・アンダラス・パレスはアメリカ風の機能本位で情緒なし。

2月11日木曜 快晴

 未明ホテル発。例の如きピクニック弁当。セビリヤに別れを告げ、バスでコルドバへ。 
 早朝のためか寒さも厳しく、
 未だシャッターを開けている店も疎らであつた。
 見物は街のたたずまいだけという感じ。
 もと回教寺院のメスキーターは回教とキリスト教の混交芸術作品。
 治乱興亡の歴史が偲ばれるが、何しろ駆け足旅行で予備知識のないところへ、似たような建物や
 遺跡の連続。
 おまけに内部は写真も撮れてないところが多く、物忘れは年のせいもあつてか、印象は残念
 ながら混交稀薄。
 但し現地案内人のドクター鈴木、まことに博学多識、説明はもうすっかり忘れてしまつたが、
 その時には大いに感心した。

 街に人出はなかつたが、ユダヤ人街、花の小径の綺麗な佇まいだけが印象的。
 奥の小さな広場からメスキータの塔を狙うのが、格好のシャッターポイントの由。 
 カメラのせいでうまく撮れなかつたのが残念。ということにしておこう。

 コルドバの 花の小径の 賑わいに    一役買うや 回教の塔

 ここでもゆっくりとは参らず、早々とコルドバを後に、またも退屈なバスの旅。
 コルクの樹が葡萄やオリーブに、また麦畑や牧草地に変わつても、見なれてくると、
 余り変わり映えのしない景色に少々退屈気味。
 たまには丘の上にぽつんと家が建つている。細い1本道が通じ、丁度子供の絵本に
 描かれている風景そのもの。
 肥沃の土地とは言えないにしても、その広さには感心する。

 陽を浴びて 見渡す限り 麦畑    何処にも見ず 人の姿を

 果てしなき オリーブ畑 丘の道    一際高き 塔と砦と

 添乗員の相澤さん、車中、日本より持参のテープで、戦後流行のラテンリズムを流す。 
 隣席の同年輩はスペインが大好き、今度でで九回目の旅行という、如何にも芸術家然たる
 ベレー帽の人、我が意を 得たりと軽くハミング、大変ご機嫌であつた。
 聞けばマジョルカ島に八ヶ月、滞在の経験もある彫刻家の由。音痴では人後に落ちぬ我なれど、
 久しぶりのラテンリズムに懐旧の情しばし。

 グラナダ近くになると多少山道らしくなつたが、概して大樹巨木の森林は見ず。
 グラナダの南に連なるシェラネバダ、その最高峰は三四七八メートル。北風を受けて雪を頂き、
 絶好のスキー場とか。

 風凛と 白き山肌 輝きて    遥かに望む シェラネバダ

 昼過ぎグラナダ着、ホテル・ロサンジェルスは甚だお粗末。昼食は本場パエリア料理というも
 ただの魚介の炒めご飯に過ぎず。
 同席新潟の老姉妹、具の数が不公平だわとこぼすことしきり。確かに日本ならも少し気配り
 するであろうが、矢張り 国民性の然らしめるところか。
 但しフラメンコギターの演奏付き。極めつきの民族衣装は流石にぴったり、
 心地よきリズムの響き、本場の歌声は、料理の味を補つて十分。

 食後バスにてアルハンブラー宮殿へ。

 豪壮贅を尽した大廈高楼も、今となつては空しき限り。かえつて王者の飽くなき欲望の
 空しさのみが感じられるのも年のセイか。

  アルファンブラー    贅を限りの 夢のあと  専制の世の 色模様褪せ

  グラナダや 陽は傾きて 影長き   丘に聳ゆる アルファンブラー

  スペイン

 夜は市内レストランで食事。夜のグラナダは冷え込みが厳しく、お粗末ホテルは案の定、
 夜間の暖房切れ。
 予備の毛布、パジャマにジャンパーまで着込んで寒さを凌ぐ。忽ち風邪再発気味。

2月12日 金曜 快晴

 ホテルの朝食、ワインも水も同じ値段。
 昔なら早速1杯というところ、残念ながら水や不味いコーヒーで我慢。
 それにしても、こちらの水が高いか、日本のワインが高いのか?

 八時過ぎホテル発。本日の旅程長躯四百q以上か。赤土のオリーブ畑を行く。見馴れてくると、
 初めは珍しかつた風景も、 段々と変わり映えせず、一寸退屈気味。

 巨大なる 黒牛なるやと 思いきに    近寄り見れば 只の看板

 さもあらん 闘牛の国 スペインの  知る人ぞ知る ワイン看板

 昼はドン・キホーテの作者セルバンテスが泊まつたという宿、異国の田舎情緒ゆたかな店で食事。 

 誰も皆 キホーテ像と 写真撮る   鄙びた村の 宿のもてなし

 店も村もまことに素朴。店に隣接する教会奥の路地では露店が店開き。野菜果物等は
 自然の実りらしかつたが、 日用雑貨などはお世辞にも結構と言いかねる品々を商つていた。
 この地方の貧しさが偲ばれる風景であつた。
 バスで狭い坂道をしばらく行くと、

 朽ちにける アラブの砦 丘の上に    白き風車の 並びて立てる

 もつともこの風車は観光用に建設された由、風車の中では土産物のミニ風車を売つていた。
 若いのか老けているのか判らぬ村人が、片言の日本語で盛んに売付けるのには閉口。

 マドリードの街は流石に大都会、郊外に近づくにつれ、団地風の建物が眼につく。 
 それらは矢張り近代建築風で、多少ともスペイン的な個性味が少なく、なんとなく興ざめ。
 市内は結構車の渋滞もあり、バスでの市内見物はただ通つたというだけ。日も暮れて甚だ
 印象に薄い。

 案内された土産物店は品揃えも洗練され、まずまずのお値段。多少日本語も通じ、
 皮製品等は日本に較べて甚だ格安。 買う気の無かつたジャンパーなど購入。

 夜はグラン・ホテル・コロンに投宿、とても上等のホテルとは言えないにしても、エレベーターの
 お粗末さには吃驚。
 ところ変われば品変わるの譬え通り、部屋のドアは施錠解錠にこれまた1苦労。
 例の新潟の姉妹は、壊れていると大騒ぎ、操作を教えこむのにこれまた一苦労。

 ただスペインの夜は遅い。朝も遅いから夜の遅いのも当然だが、日本との経度差から考えると
 どうも納得出来なかつた。

 帰つてから調べてみると、概ねEU諸国は日本と八時間差の等時間圏となつている。
 このあたりにもEU諸国の1体志向性が窺われるが、スペイン中部と千葉とでは、経度差だけ
 では実質十時間近くの差がある。
 朝も夜も遅いのは当然で、昼休みが長く、夕食が九時十時という習慣も納得。

 強行軍の旅だけに五日目にもなると、2人とも些か疲れ果てて食欲も不振。ヘビーな料理には
 辟易しているので、 ホテル近くのミニスーパーで、何か口に合うものは無いかと物色。
 ところが、たいした店でもないのに、その安いのには吃驚、手持ちのペセタ約4000円をはたいて、
 土産にチーズやワインを買い込む。

 夜はそのパンやチーズで満腹。

2月13日土曜 快晴

 ホテルの朝飯は例の如きバイキング、変わり映えせず。
 八時半過ぎバスでトレドへ。所要約一時間。
 現地ガイドの曰く、今から坂道を少し登り、ここより低くても駄目、高くても駄目という、
 絶好のポイントへ案内しますということ。
 成程、崖を隔てて見るトレドの街の絶景は、思わず息をのむ美しさであつた。
 左に聳える聖堂の尖塔、右には巨大な城塞の間に広がる街が、眼下タホ河の深い渓谷に
 遮るものとて無く、あたかも 浮かび上がるように迫つてくる。
 ただ惜しむらくは、ふと下を見るとタホ河の水が汚染され、白く泡立つていた。
 いずこも同じ文明の罪。

 空をき截り 朝日に映ゆる 古都トレド   古城尖塔 輝く家並み

 この絶好のポイントに立っても、素人の悲しさ、人物には山陰で陽が当たらず、背後の景色が
 輝くように明るくては、 折角の写真も人物がかげ翳つてなんとも不出来。ただのスナップも
 結構難しいものである。

 背後の丘の建物はスペイン陸軍士官学校の由、見たかつたが是非もなし。

 眺望を終え、今度は市内見物。

 三度目になる聖堂や城塞の壮大華麗さには、些か圧倒されて、ただぼんやりと観覧。
 それでもリスボンよりセビリア、セビリアよりトレドと、段々豪壮華麗さにも差があるようだ。
 矢張りトレドが圧巻か。町中、古武具を模した土産物、中には日本刀らしきものまで見うけられた
 のには1寸興味をひかれる。

 日本で言えば、京都や奈良のような伝統の都という感じか。
 覗く暇もなかつたが、街の店もなんとなく面白く、或るカフェテリアの店先、

 へさき舳先には 紙の骸骨 舟看板   無敵艦隊 夢の名残か 

 途中、車に家族連れらしきピエロが乗つていたので、写真を撮りたいというと喜んで出てきた。
 後で判つたが、その夜のマドリードでのお祭りに行く人のようだつた。
 お礼に、持つて行つた日本の用済み切手のコレクションを進呈、大袈裟に喜んでくれたのも
 一寸した思い出。

 フェスティバル    ピエロに扮し 往く人か   いと親しげに ポーズとるなり

 マドリードへの帰途、赤と白のストライプ、七輌編成のかわいい列車とすれ違う。列車を
 見たのは最初にして最後。
 ついでながら自動車はやはり欧州車が多く、日本車は殆ど見受けられなかつたのは残念。
  
 遅い昼飯は、2人でホテル近所の中華料理。久しぶりに満足。
 夜は闘牛見物。余り気は進まなかつたが、自由行動もままならず、折角だから闘牛でも
 観るかということになつた。

 最初の案内では正式の闘牛でなく、日本人向けの止めを刺さないやり方ということであつた。
 ところが、闘牛気違い現地ガイドの言によれば、なんともラッキーなことに、今晩だけは本式の闘牛。
 シーズンオフの只今、皆さんは本当についてますと、恩に着せられ闘牛場へ。
 何しろ広いドームで寒さが身に沁みる。ウイスキーを呑みながら待つこと暫し。

 数名の脇役を従えた闘牛士三人の登場は、さしずめ横綱の土俵入りというところか。 
 お国柄で、日本のように粛々とはいかないが、ファンファーレの楽隊に、金色衣装で絢爛颯爽と
 ご挨拶。まことに見栄えのするセレモニーである。

 上手な闘牛士から三人が順に1頭づつ、2回、計六頭。戦いの様はテレビでみての通り。
 最後の1突きに、1瞬にして斃れるのはいいが、1回で止めを刺しきれず、何回もやると
 ブーイングが始まる。

 いづれにせよ見物は1回で結構。
 勇ましく やがて悲しき 闘牛に 拍手する人 気の浮かぬ我

 荒れ狂い 角突き立てる 猛牛の   末路哀れや 血を流しつつ

 闘いに 斃れし牛の 忽ちに    2頭の馬に 曳かれ消え行く 

 夜の場外は寒気凛冽。それでも隣接のグラウンドではサッカーに興じている若者達が大勢。
 矢張りサッカー大国だけのことはある。

 市内レストランで夜の食事。家庭料理に毛の生えた程度のもの。
 食事中に土産用ワインの売込みあり、ワインより容器のドンキホーテとサンチョスの木彫りの
 人形が面白く、三万円は 些か高いかとは思いつつ注文。

 ディスプレーには格好の品。後日別送。

2月14日 日曜 快晴

 マドリードは高原の街、空気が乾燥しているセイか焼けに喉が渇く。
 買置きの水のボトルは、外のベランダへ出しておくと適度に冷える。
 明け方、水を取りにベランダに出ると、夜明けの空は紫に澄みわたり、折しも接近の木星と
 金星が、2つ並んで金色に輝いていた。

 明けやらぬ 空は茄子紺 金の星    銀の三日月 マドリッド冷ゆ

 十時過ぎホテルを出て空港へ、逆コースで予定とおり十五日2時過ぎ無事帰国。
 出迎えのあかりちゃん、たつた八日余りなのに,なんとなくおしゃまになつた感じ。

 孫あかり たつた八日で 様変わり    今浦島の 五郎爺さん

                                           この稿おしまい。