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平成13年9月寄稿

編集長押本直正君 ご苦労様

樋口  直

 昭和二十年八月の敗戦と共に海軍時代の「クラス会」は解散しました。 終戦前後のゴクゴタに紛れ、名簿も散逸し、級友の生死すら完全には把握出来ぬまま、終戦処理業務や戦犯問題に追われた毎日でしたが、民族興亡をかけた非常の時期に、奇しき因縁に結ばれた絆だけは断ち切れるものではなく、戦死した諸兄の七回忌に当たる昭和二十七年秋、始めての慰霊祭を國神社で執り行った時、交通事情、宿狛事情、その他の理由で参列出来なかった御遺族にも当日の模様をお伝えし、また、我々の追悼の意も併せて表明することを念願して、大谷友之君.泉五郎君の発意でガリ版刷の文集らしさ物を発刊したのが最初でした。

 

 当時、巷(ちまた)に溢れたカストリ雑誌の御多分に漏れず、この文集も第三巻でつぶれましたが、加藤孝二君の戦死者、遺族に対する異様なまでの思い入れは深く、その後タブロイド版の連絡紙に姿を変え、ついて「バイパスニュース」(名簿の補完としての消息紙)として定期刊行するようになり、品川弘君という良き協力者を獲て、更に「なにわ会ニュース」として脱皮することになりました。じ来、回を重ねて八十四巻に及んで今日に至った訳です。その間、原稿の収集、取捨、校正の為に、眞鍋君、市瀬君、名村君、叉、山田良彦君がこれに加わり、更に北村卓也百、病の癒(い)えた押本直正君が参加して、渋谷信也君の店や名村君のオフィスで発送の業務を行い、昭和五十三年に品川君が亡くなるや、間もなく加藤編集長の後を受けて押本君がその任に当って発刊を続け、その体裁も遺族中心の加藤流から門戸を広げた押本式に変わりつつ、途切れもせずに今までやってこられました。片肺エンジンに鞭打ち、燃料ポンプの機能も失いながらあらん限りの気力体力を没入して呉れた押本君の努力と業績には、我々一同ただただ賞賛と感謝の言葉しか有りません。

 

 それぞれが家庭を持ち、生活を支えながら、手弁当でボランタリーに皆の為に奉仕して来た成果は、今後とも見事に続いていくことでしょう。

 これからは未だに健康優良児を以て鳴る伊藤正敬君が引き継いでくれることになりました。御承知の如く、同君は今までにも級友全員の出身中学一覧表、物故年月日の時系列表、そして住所地域表等手間の掛る作業をこなし、名簿に付随した貴重な資料を整理してくれた業績かあります。

 

 これからは其のユニークな特色を生かして、加藤、押本色とは一味違った紙面を提供してくれることと思います。先の見えて来た長くもないこれからの人生を、固く結ばれた絆を大切に最後までお互いの消息だけは取り合ってゆきたいものと痛感しますので、有形無形に新編集長の伊藤正敬君をサポートしていこうではありませんか。

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