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平成22年4月28日 校正すみ

ウルシーに散った福田斉少佐

 

佐丸 幹男

 

福田斉少佐は我々のクラスメートであり、福岡県出身の逸材である。温厚でもあり、豪快でもあり、又、内に包んだ護国の激憤は並々ならぬものがあった。果せるかな、彼は回天(人間魚雷)搭乗員として、回天作戦の最初のものである菊水隊に参加し、西カロリン諸島ウルシー環礁内の敵艦に体当りを敢行したのである。時に昭和191120日であり、母潜は伊47潜であった。

彼と私は海機一号生徒の時、第14分隊員として約1年間を共に過ごした。兄弟以上に強い絆で結ばれている我々である。

回天で散った彼のことは、片時も忘れることが出来ないのである。加えてこの菊水隊には母潜は伊37潜であるが、同じく友であり、第14分隊員であった村上克巳少佐も回天搭乗員として出撃して征ったのである。同じ分隊から最初の菊水隊に2人もの回天搭乗員が出たのである。こんな名誉なことはないと思われる。これに反し、私自身はと言えば、潜水艦乗組として全力を尽くしたとは言え、それは2人に遠く及ぶものではなく、又、ついに死所を得るにも至らなかったのである。顧みてその不甲斐無さにただただ恥じ入るばかりである。

村上克巳少佐のことについては、別稿で書いたので、ここでは福田斉少佐の事に触れて行きたいと思う。同少佐に対する点描である。

1 声援録に書いてくれた言葉

海機卒業の時に、私の持っている声援録に書き込んでくれたのが次の言葉であった。

「共に男だ征かうじゃないか5尺の鉢に3尺の秋水伊達に侃くじやない」と。
 勇(こん)な筆跡の中に彼の気概を知り、その人となりを偲ぶことが出来る。

2 伊47潜掌水雷長兼潜航長 岡之雄少尉の記述の中から(注 搭乗員について中尉・少尉と書かれているのはその当時の階級)

47潜友会で刊行している潜友会誌「伊47潜友会」第2号(昭和59年7月)〜同第5号(昭和62年7月)に記されている事項からの抜粋である。

これによって福田少佐の最期の状況を知ることが出来る。

(1) 菊水隊出撃に際し長官訓示の写真

昭和1911月8日0900菊水隊出撃に当り6艦隊長官三輪中将の訓示

(2) ウルシー泊地着、「轟沈」 の意気込み

「掌水雷長司令塔へ′」艦長に呼ばれて司令塔に上がると、艦長は潜望鏡をのぞきながら「戦艦が……、空母が……」と航海長に方位を読ませながら張り切った声をあげている。司令塔は殺気を感じさせる異様な雰囲気の中にあった。

「掌水雷長参りました」と届けると艦長は待ちかねたように潜望鏡を私に渡し、「見た状況をはやく頭に入れ、スケッチをしてくれ」と言う。接眼部に目を当てると、ひさしぶりのまぶしさだ。リーフの向うに駆逐艦が数隻、その向うに巡洋艦、さらに向うに空母・戦艦などが、いるわ、いるわ少しずつ視野を変えて見るとその数100隻あまり、一番近い駆逐艦までの距離5,000と見た。私はスケッチを2枚でまとめようと頭の中に描きはじめる。30秒、1分とすぐたってしまう。艦長から「どうだ、出来たか」と言われ、もう少し見ていたかったが、急を要するので潜望鏡を艦長にかえす。早速、方位盤の上に電報発信紙″をおくと、たった今見たままの状況をサッと描き上げる。その間に艦長は回天搭乗員の仁科、福田両中尉、佐藤、渡辺両少尉を交互に呼んでは潜望鏡をのぞかせている。搭乗員達が「すごい大艦隊.だ!」「やりがいがある」「艦長ありがとうございました」と口ぐちにさけぶ言葉が断片的に耳に入ってくるが、私は、今見たばかりのアメリカ大艦隊の姿を、それこそ夢中で描いていた。やがて簡単なスケッチが出来上がりそれを艦長に見せる。司令塔へ呼ばれてから10分ぐらいたっていたであろう。「あとで清書しておいてくれ、ご苦労!」という艦長の言葉をあとに発令所に降りる。予備士官室に戻るなり、ウルシー泊地内の米大艦隊を望見した興奮がさめないうちにとスケッチの清書と二つ切り大の方眼紙の裏に人間魚雷回天が命中し、米空母真っ二つ″の絵を描き上げた。早速、その絵を士官室に持っていった。先任将校が絵を見るなり「よし、やるぞ′」と力つよく声を上げ、搭乗員に見せた。仁科中尉はしばらくその絵を見ていたが、無言で静かに筆をとると「轟沈」「海軍中尉仁科開夫」と書いた。つづいて他の搭乗員もそれぞれの官氏名を書いていく。私はじいーツとその手もとを見つめていたが、彼等のなんら平常と変わりない淡淡とした姿には非常に心を打たれた。

(3) ウルシー泊地内へ発進

昭和191120日午前3時「回天第2発進準備!」次いで「1・2号艇乗艇用意!」が発令され、搭乗服も勇ましく「七生報国」の白鉢巻をキリリと締めた仁科、福田両中尉が発令所に入ってきた。思いなしか微笑を浮かべているように見える。仁科中尉がふところに黒木大尉の遺骨を大事そうに抱いているのが分かる。それを時おり新しい白手袋で軽く押さえている。やがて艦長は司令塔から下りて両中尉の前に立った。「ウルシー泊地の情況はきのう見た通りである。いまなお警戒の模様はない。本艦は予定通り行動する。仁科中尉、福田中尉は回天に乗艇し、令により発進せよ。会心の必中により回天の威力を遺憾なく発揮せんことを祈る!」一語、一語力が入りこぶしを握り締め、平常をよそおいながらもみずから感動し、両中尉の復唱が終ったとき目頭をこぶしでぬぐっている。発令所に居並ぶ私達も心の奥から湧き上がる感激にまるで金縛りになってゆくようである。― ― 中略 ― ― 

福田中尉も「潜航長お世話になりました。」と握手して仁科中尉に続いて機械室に入っていった。機械室でも、機関科員が総出で片側へ並び通路をあけている。もうその時は、私は込み上げてくる涙で両中尉の後ろ姿さえかすんで見ることが出来なかった。1号艇は電動機室から、2号艇は機械室から、すでに「第2発進準備」で乗艇の用意はすっかり出来ている。両中尉は機械室交通筒の下で訣別の握手をしてそれぞれの愛基に乗艇して行った。 3、4号艇とは司令塔から航海長が必要事項の連絡をしていた。艦長が司令塔に戻ると仁科、福田両中尉から「乗艇終り、ハッチ閉鎖」と元気な声で報告して来た。これで発進準備は全く完了、後は「発進用意」を待つだけとなった。「3、4号艇の順に発進し、2号艇の発進は最後になった。

艦長が電話で「福田中尉、3基とも順調に走っている。大物をもとめて会心の突撃を祈る。なにか言うことはないか?」と聞くと「バンザーイッ!」の一声を残して、さきに行った3基を追うように発進していった。時に4時20分であった。

(4) 福田斉中尉についての想い出

搭乗員の中で一番おとなしい人であったように思う。機関科だったせいか機関長たちとはよく話しているようであったが私は必要以外に口をきいた覚えはない。一度であったが発令所回りを説明したことがあった。「これはなにー」「どうするー」などと研究心旺盛な人のように見受けられ、いま死地に向かう人とはどうしても思えなかった。また、一見してお母さん子のようであったが、このような人こそ真の男の魂が心の奥深くひそみ、死生果断のとき、一気にほとばしるのではなかろうか。発進の時、最後の電話でただ一言「バンザーイッ!」の絶叫が福田中尉のすべてであったように思えてならない。

3 伊47潜航海長重本俊一大尉の記述の中から。(注 搭乗員について中尉・少尉と書かれているのはその当時の階級)

これは伊47潜友会で刊行されている会誌「伊47潜友会」の臨時増刊号(昭和59年1月)の記事の中から抜粋したものである。実質的には先の岡少尉の記述と同じく、回天特攻菊水隊の時の記事である。重複するところがあるが、人がかわれば若干見る角度も違い表現にも差異が出てくる。参考になると思われるので、ここに記載のこととした。

(1) 回天搭乗貝

人間魚雷という空前絶後の恐るべき特攻を敢行する搭乗員は、生きながら肉体を国家に捧げきり神となっていた。この人連は人間の域を越えて光り輝く神であった。伊47潜の乗組員達は、この人達に対して至れり尽くせりの奉仕を惜しまなかった。艦内は神殿であり、清浄そのもので乗組員達の精神も浄化されて行った。

(2)搭乗、発進、散華

搭乗命令を受けた2号艇の福田中尉は、何時もの元気な声で「お世話になりました。行きます」と挙手の敬礼をしながら謝意と決意の言葉を残して機械室の交通筒を上がり、回天に乗り込んだ。搭乗の終ったあと艦長は全搭乗員の緊張を少しでも和らげようとして「アイスクリームはうまかったか」と声をかける。搭乗員達は皆「おいしかった。有難うございました」と謝辞を述べる余裕があった。そして最後に発進した2号艇の機関学校出身福田中尉は、その豪快な性格通り、電話が割れるように渾身の力を篭めた雄叫びをあげて壮絶な発進をした。それは「必ず敵をやっつけます。日本海軍萬歳」というものであったに違いない。

又、特攻隊員が、黄泉の国へ旅立つ前に述べた謝辞ほど謙虚で美しいものはない。人間この世の最後の瞬間はこうあるべきだと私は教えられた。

(3) 福田中尉に対する寸評

福田中尉は機関学校第53期の明朗な快男児である。絵筆が達者で即興的に何でも巧みに描いた。死地に赴く人とは決して思えない明るさが、すべての態度に現われていた。けがれを知らぬ新雪のような精神で短い生涯を閉じるのである。

彼もまた、生れた時から神に近い徳を持っていたのであろう。

 

福田斉少佐の最後の情況がこのように伊47潜の士官によって記されている。やり甲斐を感じて快心の発進をしていったことは明らかであり、彼の本望とするところであったであろう。忘るまじ、この壮挙を!‥福田少佐の果敢なる発進とその最期を!‥

(機関記念誌65頁)

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