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柿崎 実の最後の手紙
妹・幸子さん宛   

幸ちゃん、長い間いろいろありがとう。
 とうとうお別れの時が来ました。もとより君国に捧げた命だもの、惜しいことは少しもない。 この手紙が届く頃は、私はもうこの世には居ない事と思います。思えば20年の一生も夢のようです。たのしかった事、かなしかった事と、今はもう皆たのしい思い出として私の頭の中に浮かんで来ます。
 兵学校の夏休暇で、幸ちゃんと一緒に海に行った事もあったなあ。あの時は真黒になって、本当に気の毒だった。さぞあとでこまったであろうと思うと、今でもおかしくなる。
 こうして静かに種々の事を考えると、俺は本当に幸福だ。本当に静かな気持ちで、この大壮挙を決行することが出来る。
 空には星が銀の砂を()いたように光っている。秋の満月が澄みきって輝いている。幸ちゃんもこの空を、この月をながめているだろうか。
 とにかく、人間に最も大切なのは、純真な気持ちだ。人が生まれた時の気持ち、自然の心、それが欲のために次第に濁ったものになったのだ。だから、まず欲をなくすことだな。この試練に打ち勝ってこそ、自然の心、不動心、即ち純真さが得られるのだ。・・(中略)
 生死観とは、死を考えるから起きる考えだよ。考えなければこんな事は問題ではない。人間は日常茶飯事とおなじ自然の一現象に過ぎない死をどうしてそれだけ大きな問題に考えるのか。之も欲のためだ。即ち、愛の欠乏した人間の考える事だ。臣として君の愛を感じ、子として親の愛を感じ、人としては神の愛を感じ、妻としては夫の愛を感ずる人にとっては、死ぬということは考えられない事だ。
 幸福とは満足することではないかな。
如何なる苦境にあっても之に満足し、之を開拓し、之を進めるべく努力する事、之が幸福なのだ。苦境にあわてて之に負ける人は、幸福を自分で捨てる人だよ。
 あくまで神を信じ、人を信じ、自分を信じて、苦境の中に突入してこそ、真の幸福を得る事が出来るのだ。
 幸ちゃんも一日も早く、そして長く、子として、親として、妻として、母として幸福な生活を送って下さい。私は死んでも、いつまでもあなた方をお守りしています。
 強く正しく優しく元気でおる事を
  遥かあの世で祈るぞ
  さらば元気で暮せ さようなら

          

菊水の友

参考資料 「柿崎隊長、山口兵曹の出撃」

光人社・『ああ回天特攻隊』より
横田 寛(当時回天二飛曹搭乗員)
 

翌2日のことだった。潜航後3時間ぐらいしたころ、艦内が急にざわついてきた。聴音室の報告を聞きもらしたかなと思っていると、「総員配置につけ!」の号令がかかった。
「隊長!いよいよはじまりそうですね」
「ようし、いっちょうやるか」
 ニタッと白い歯を見せて笑う柿崎中尉のそばでは、前田中尉が、さあ、いつでもこい、といった態度で、はち巻きをしめ直している。不思議にみんな落ちつき払っている。死を直前にひかえているなどとは、とても思えない。まったく不思議だと思う。と、いきなり、「回天戦用意!」
「搭乗員乗艇!」やつぎばやに号令がかかった。
 毎朝かかる乗艇訓練の要領どおり、回天の真下に行き、手をのばして筒内電灯をつけるや、艇内におどりこんだ。即座に電話をとり、レシーバーを耳にかける。
 「敵は何か?」
 「大型輸送船が1隻、駆逐艦が1隻。方位角、右60度、距離6,000、敵速14ノット、敵針270度。1号(柿崎)艇と4号(山口)艇を出す。他の艇は待機せよ」
「なにィ!3号(横田)艇は出さんのか!」
・・と、その時だ。
 「1号艇、発動!」と、1号艇への連絡の声が、私の電話にかすかにはいってくる。思わず特眼鏡をあげて、接眼部にピタリと目をつける。
 海の中は青空のように、コバルト色に澄みきっていた。その中で、10メートルぐらいはなれた前方の1号(柿崎)艇が、突然、ガガガ・・・ガガと軽快な熱走音を出し、スクリューが猛烈な勢いで回転をはじめた。まっ白い気泡が、煙のように見える。唇をかみしめながら、なおも見ていると、ガタンガタンと音がして、ワイヤーバンドがはずれ、甲板にくずれ落ちた。と思うまもなく、ガーッと熱走音の余韻を残して、見る間に遠ざかっていった。
「隊長!」
心の中で叫びとめる。ついで、息つく間もなく隣の(山口)艇がものすごい熱走音を発し、ガタンガタンとバンドがはずれた。
「ああ、ふたりとも行ってしまった!」
 ついさっきまで、私の前でほがらかに談笑し、観測訓練をしていた柿崎中尉と山口兵曹、ふたりの笑顔が、目の前に大きな幻となって現われてくる。・・しばらくは、司令塔との連絡も忘れ、唖然としていると、何分ぐらいたったときだろうか、突然、ドッカーンというものすごい爆発音が伝わってきた。しばらくすると、ふたたび前にも増したような大音響が伝わってきた。・・・。
 柿崎隊長はその遺品の中に、『海底日記』と題した大学ノートをのこし、そのなかにひっそりと辞世をしたためてあった。

共に死にゆくこの人形は

どこのどなたの贈り物」

隊長はいつも、御両親の写真を胸に収めていた。この写真とこの人形と、ふたつをしっかりと抱いて、20有余歳の柿崎隊長は海に沈んだ。

この夜、『海底新聞』の主筆の佐丸幹男中尉が、『柿崎中尉を偲ぶ』という詩をつくった。主題の添え書きには、「この日、柿崎中尉体当り敢行、感きわまってこの一編を捧ぐ」とある。

* 柿崎中尉を偲ぶ

佐丸幹男・伊47潜機関長付

(海機53期・柿崎中尉と同期生)

(なにわ会ニュース89号84頁 平成15年9月掲載)

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