平成22年4月28日 校正すみ
平成16年9月寄稿
中西達二の手紙
海軍少佐 中西達二命 山口県出身 二十二歳
神風特別攻撃隊 常盤忠華隊 昭和20年4月12日南西諸島にて戦死
平成16年4月1日の『國』に掲載されていたので紹介する。
心残りありません 【四月社頭掲示】
現在の私には何等心残りありません。唯父上母上に対する不孝と不忠、父上母上の悲しみが気にかかります。父上にも母上にも私の死は最大の悲しみだろうと思います。
悲しんで戴ければ私も安心して出てゆける思いがします。がしかし、私は決して死にません。悠久の大義の道に何時までも歩を進めています。そうして必ず帰ってきます。あの國神社に、あの護国神社に、また、父上母上の枕元に。山口にも桜が咲いているとおもいます。明日散る桜が私だと思ってください。(中略)
山口のあの山、この川、あの道、この家、今眼前に次々と映じてきます。先日こちらに来るとき、山口の上空を旋回して、皆さんにお別れしようと思っていましたが、エンジンが少し悪くなったので宇佐に下りて修理したため、時間がなくて山口までいけなかったのが残念です。しかし、大島郡を眼下に見て、方便山もはるか彼方に見、確かに機上で皆とお別れした気でいます。
中西達二の最後の手紙
(パソコンで見つけたもの)
出撃の前日、南九州某基地にて私の雑感雑念をしたためて、御両親様へ不孝をお詫びする次第であります。生をうけてここに二十有三年、その間を回顧すれば限りなし。誰のためにもあらず唯御両親様へ育まれて今日に至りました。
ああ我その御恩に報ゆること何一つなし、万感交々(こもごも)至り筆進まず。
大日本帝国の危機愈々(いよいよ)到来しました。この時に当たり私は出撃を望み、選ばれて特攻隊員となりました。私の宿願達せられ無上の光栄に思って居ます。
「南西諸島の戦闘は、我が国の存亡にかかはる戦いであるが、全力をあげてその目的を達成せよ」とのお言葉をいただきました。連合艦隊長官は彼のZ旗をあげられました。
この時体当たり部隊の一指揮官として出撃する私の本懐、これに過ぐるものはありません。
父上、母上、泣いて下さい。いくら泣いてもよろしい、泣いて私を弔って下さい。
しかし父上、母上、私の本懐を察して下さい。その昔姉の云った言葉、私はまだ忘れては居ません。姉も墓の下で私を待っていてくれるとと思ひます。
現在の私には何等心残りはありません。唯父上母上に対する不孝と不忠、父上母上の悲しみが気にかかります。父上にも母上にも私の死は最大の悲しみだらうと思ひます。
悲しんで戴ければ私も安心して出てゆける思ひがします。が、しかし、私は決して死にません。悠久の大義の道にいつまでも歩を進めています。そうして必ず皈(かえ)って来ます。あの靖国神社にあの護国神社に、又父上母上の枕元に。
山口にも既に桜が咲いていると思ひます。明日散る桜が私だと思って下さい。私はかつて「忠花」といふ名前をつけました。
忠花があす散るのです。或いは未だ開かずに散るかもしれませんが、私の隊は出来れば「忠花隊」と名づけたいと思っています。
山口のあの山、この川、あの道、この家、今眼前に次々と映じて来ます。先日こちらに来る際山口の上空を旋回して、皆んなにお別れをしようと思っていましたが、エンヂンが少し悪くなったので宇佐に下りて修理したため、時間がなくなって山口まで行けなかったのが残念です。しかし大島郡は眼下に見て、方便山もはるか彼方に見、たしかに機上で皆にお別れをした気でいます。
不忠の臣達二は今ここにやうやく忠義の大道に取付かうとしています。しかしまだ忠の道は深遠です。不忠の臣達二が不忠の臣で終るのは当然であり、私は満足であります。
私は教官となって以来、出来るだけの努力をしてご奉公をつづけて来ました。私は全力を尽して御奉公し得たと信じて今満足しています。今出撃するに当たり、多くの人々から惜しまれる私は実に幸福と思ひます。短かった人生を、私ほど運よく華やかに過したものは少いだらうと感謝しています。多くの人々のおかげです。
明日私は十一時二十分、魚雷と同じ大きさの爆弾をかかへて、後に予備学生出身の田沢少尉と予科練出身の阿部二等飛行兵曹とを乗せて出発します。後日新聞社からもしくは大本営からか、三人で一緒にとった写真が届くかもしれませんが、その時は一緒に弔ってやってください。又私の隊の中には上羽坂の滝本少尉(恭三と同級の滝本君の兄さんで、私よりも附属のときも山中のときも一年上級だった人です)が一緒にゆきます。嘗ての上級生ではありますが、今では私の部下となって喜んでついて来て呉れます。共に秋枝中佐にまけまいと約束しています。私もあと二十日で大尉に進級するのではありますが、死んで中佐にならうと、少佐にならうと、階級はどうでもよろしい。大義の道にかわりなく敢て進級を望みません。
私は父上、母上から宗教心を持つ様に言はれましたが、何もこれとて考へませんでした。しかし今別に迷ひません。唯後日体当たりをするときに、寸前どんな気持ちになるかが気にかかります。これも父上母上のいはれる通りにしなかったためだと後悔しています。
迷わぬために歌でもうたって体当たりしてやらうと思っています。我に天佑神助あり、必中轟沈の確信があります。どうか四月十日前後の戦果をもう一度見て下さい。その中には私が沈めた空母が一隻ある筈です。
先日多数の同級生と教へ子のものが第一陣をうけたまわって、特攻隊として出てゆき大戦果をあげましたが、皆んなニッコリと笑って元気に私に挨拶して出てゆきました。
今度は私がニッコリ笑って元気に出てゆく番です。私達三人がドカンとやれば、何千人かの米軍が道づれに地獄まで来てくれるかと思へば実に愉快です。
人生これ程胸のすくことはないですよ。明日の出発はよくよく考へてみると実に楽しい気がします。こんなに嬉しく出てゆける私は又幸福者と思ひます。
さて最後に一つ、父上様、私はからうじて家門を汚しはしなかったと確信しています。
寧ろ衰へかけた中西家の誉を、一部分とりかへし得たと思ひます。あとは恭三にたのみます。恭三もきっと立派にお国のために働いてくれるものと信じます。
父上には失礼かもしれませんが、私は中西家の断絶をいとひません。「家亡ぶとも国全ければ悔ない」といふ考えであります。今国の危機です。我が大日本帝国が亡んだとしたならばどうなる、と思ふとき、家はどうでもよいといふ感を深くします。
我が国に於ては家だけでは成り立ちません。わが国に於ては国家あってはじめて成り立ちます。我が中西家は父上一代で断絶するとも、どうか父上おゆるし願いたいと思ひます。ああ、とりとめもなく唯思ひつくままに書きつらねました。一応これで筆をおきます。 父上、母上様の莫大なる御恩も、体当たり一事を以てお報ひする覚悟であります。どうか御両親様益々御自愛されて御多幸ならむことを地下よりお祈りいたします。
散る桜 残る桜も散る桜
散って護国の花と惜しまん
嵐吹けば 蕾桜も惜しからず
手折りて捧げむ 大君のため
仇しふね うち沈めてぞ地獄なる
鬼へあたへむ わが手土産を
すめろぎの 大和島根よ安かれと
南海深く 身は沈みつつ