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平成22年4月27日 校正すみ

里村 保少尉の想い

平成8年9月15日

桂  理平

 里村 保少尉は大阪府立住吉中学校から海軍兵学校に入った。この中学校から同時に合格したのは西尾 豊君と私の三人であった。

 昭和十五年十二月一日に入校したが、当時支那事変は長期化して泥沼に足を突っ込んだように、解決の兆しが見えなかった。青少年にとっては「徴兵」は避けて通れない状況で、どうせ軍隊に行くのなら志願するのが真の男であるという意見が多くなってきた。これは一つの考え方で、大義名分は護国の大任を果すということである。

 住吉中学校は開校以来十五年目の新しい学校であった。時代の要求に答える形で兵学校七十期生には里村章先輩(保君の兄)をはじめとして4人が入り、七十一期には中地勘也先輩以下五人が入学していた。

中学校では約五十人で一組をつくり、五組の同級生がいた。その中からの江田島行きだったので、合格した後の顔合わせで初めて知り合った次第であった。

 兵学校時代、三人は同じ「部」、同じ「分隊」になったことがない。しかし、指導教官から「出来るだけ多くのクラスメートの名前を覚えて交際をするようにすべきだ」と教えられて、クラスの中でも親しい友人としての付き合いが始まったのである。

 昭和十八年九月、江田島を卒業して艦隊実習の後、駆逐艦玉波に乗組み太平洋を狭しとばかり航海して軍艦や船団の護衛任務についた。私は航空母艦(略して空母ともいう)瑞鳳に乗組み主として横須賀―トラック間の飛行機輸送に従事した。

 昭和十九年五月、サイパン沖海戦の準備のため、第一機動艦隊はボルネオ島の北東の海上にあるタウイタウイ島の碇泊地に集結した。玉波も瑞鳳も集った。

或る日、私は湾外の敵潜を警戒する哨戒艇の艇指揮を命ぜられた。戦隊の軍艦から内火艇一隻が選抜されて、順番に哨戒艇としての任務につく。

 午後四時頃、対潜警戒の準備をして哨戒艇を指揮する哨戒母艦に出頭した。今日の母艦は駆逐艦玉波であった。玉波の舷側に哨戒艇が数隻目刺しのように舫(もやい)索をとって繋(けい)留したが、各艇から派遣された艇指揮はクラスの者が多くて「やあやあ、久し振りだなあ、元気でやっているか」と声を掛け合ってから玉波に移り、前部士官室に入った。そこに里村少尉がいた。航海士をしていたと思う。 髭を生やした艦長と話しをしていた。

 彼も私に気付いて笑顔を向けてくれた。続いてクラスが四人ほど入ってきた。

 艦長は我々に哨戒勤務の命令を伝達した後に、温和な表情になって

「お前連は航海士のクラスなのか、任務につくまで少し時間があるようだからここで臨時のクラス会を開いたらどうだ。酒保を出して、もてなしてやれ。」と里村に指図された。

 菓子やサイダーのご馳走になり近況を語り合った。勤務中だから酒やビールは当然なかった。クラス会がこんなに何処でも簡単に開けるとは思っていなかった。

 大いに喜んだのはよかったが、間が抜けていて艦長のお名前やクラスの名前も全然覚えていないのだ。当時、玉波がすぐにあんな運命になるとは思ってもいなかった。今では誠に申し訳ないことをしたと慙愧(ざんき)に堪えない。

あの時一緒にいたクラスの人がいる筈だが、名乗り出て頂けないかとお願いする次第である。

 哨戒に出発するに当たり、お互いの健闘を誓って元気に別れたが、最後になろうとは夢にも思わなかった。彼は健康に生まれついていて水を飲んでも肥える性質のようで、栄養満点の様子に見えた。特に頬が丸々と出ており元気一杯なハートナイスな好青年であった。ただし、大阪出身なので大阪弁をしゃべったら、言葉のアクセントの点では苦労したのではないかと思っている。

 「艦隊がサイパン島沖海戦に敗退して沖縄の中城湾に避退し、停泊した時(六月二十三日頃)、内火艇の艇指揮として夜、風雨の中を私の乗っていた駆逐艦浜波に横付けしてきた里村を艦橋から見たが、残念だが声を掛けることは出来なかった。」と同じ駆逐艦にいたクラスの豊廣 稔君が戦後になって語ってくれた。里村少尉を最後に見たチャンスだったろう。

 玉波は七月七日、マニフ湾を出港し船団を護衛して更に南方に出撃したが、残念ながら敵潜水艦に雷撃されて全員戦死と認定されている。天は彼等に無情であって武運つたなく戦死してしまった。残念で仕方がない。

 お兄さんの里村章大尉は弟保少尉の戦死を知った後、比島沖海戦中の十月二十七日に艦爆機を操縦してマニラ付近の航空基地を発進して、レイテの敵艦を攻撃に向かい戦死されている。

 里村家では優秀な兄弟二人が国のために殉じている。ご家族の悲しみに対してはお慰めする言葉がない。心より哀悼の意を表してご冥福を祈る次第である。

             (平成八年七月七日 記)

(なにわ会ニュース75号10頁)

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