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平成22年4月27日 校正すみ

都所静世生徒

三澤  禎

 

四号時代の13分隊と二号時代の11分隊で一緒であった。

彼は血色が良く「トマト」の様に丸々とした赤味のある顔で、精力的かつ腹が据っていた。11分隊では三田、合志、都所の3人が大柄でいかつく、逆に一号は略々皆おとなしく小柄であり、一号にとって煙たい存在であったかと思われる。3人の他は飯塚、佐原、野崎、小生と皆おとなしいタイプであった。前の3人は皆戦死したが後の4人は生存している。

昨年の舞鶴の慰霊祭の折、佐原から、11分隊当時一号に反発した抗議のため温習時間になっても、二号全員が寝室から動かず、小生が一号にクレームを申し出たことがあったと云うことだが、肝心の小生の記憶が殆ど消えてしまっているが、その内容は、11分隊の二号の態度が悪いと他の分隊の一号より指図されて、一号が文句を云ったことに反発したと云うことで、一号が謝り和解して納まった由である。当時、絶対服従の厳しい規律の中で、これを行うのは余程腹が据っておらねば出来ないこと、小生は唯ひきずられて動いたに過ぎなかったものと思われる。

或る時、都所と合志の2人が巡検後屋外で、殴り合いの喧嘩を行ったことがあった。2人とも血のにじんだ顔で戻ってきたが、お互いきっぱり決着をつけた模様で、事の詳細は云わなかったので分らなかったが、お互いに強い気性であり、サッパリとして後をひくことは全く無かった。合志は特に正義漢であり、真面目な気持で都所にクレームをつけることがあった様である。

都所は回天特攻で戦死した。彼の実兄も攻撃405飛行隊(銀河)で特攻隊の搭乗員であり、整備員であった小生と木更津飛行場でお会いしたことがあった。兄弟揃って特攻隊になられたとは、誠に言葉もない。唯々、頭が下がるばかりである。合志も硫黄島で玉砕した。

(機関記念誌84頁)

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