平成22年4月14日 校正すみ
比島沖海戦日誌抄
斎藤 義衛（機）
比島の沖に若い命をたぎらせてから既に二十二年目になるが、当時のすべては、時の流れにもいささかの影響もうけず、むしろより鮮明に今日に生きている。当時小生は捷号作戦戦の第一部隊に属する第二水雷戦隊旗艦能代の機関長付であった。そして比島沖海戦に参加したわけであるが戦場離脱の途次、即ち昭和十九年十月二十六日一一〇〇頃敵雷撃機の攻撃により沈没し、駆逐艦浜波に救助され、その後コロン島経由ブルネイに帰投し、シンガポ−ルにしばし待機の後、十二月初めに巡洋艦香椎に便乗して内地に帰ってきたわけであるが、この日誌抄は帰国の途次香椎のガンルームで書き綴っておいた記録の抜粋である。戦時中の記録としては小生にとって今はこれが唯一のむき出しの記録であり、我が子への最大の遺産となっている。その表紙と裏表紙に海軍と赤字で標識された罫紙を使用しているのも思い出を生々しくさせてくれる。以下拙稿をかえりみず当時の原文のままの抜粋を掲載させていただくこととする。
昭和十九年十月二十二日
「朝 一、二部隊ハ北ニ、三部隊ハ東ニ隠密裡ニ出撃シタ、ボルネオ島ノ未ダ覚メヤラヌ内ニ各部隊ハ速力ヲ上ゲテ「之字」運動ヲ開始シタ（（中略））」
十月二十三日
「未明ニハ我々ノ部隊ハ新南群島ニ近ヅキツツアッタ。ソノ日早朝訓練ノ終ラントスル時、量ヲ誇ル敵潜群ノ網ニカカリ猛烈ナル集団攻撃ヲ受ケタ。ソシテ旗艦愛宕ハ数分ニシテ沈没、摩耶ハ轟珍沈、高雄、妙高モまた大破シタ。（中略） 一万トン級ノ主力四隻ヲ喪失シ今期作戦ノ苛烈ナルヲ予想シ犠牲ハ覚悟ノ上ナルモコノ敵ヲ見ザル前ノ予期セザル痛手ニ無念コノ上モナク、愈々各艦ハ固ク、ソシテ警戒ヲ密ニシテ進撃態勢ヲ整エラレタ（（中略））愛宕ニハ重森が乗組ンデイタノデアルガ （中略）
十月二十四日
「艦隊ガ「ルソン」南方ノ島々ノ間ヲヌッテ太平洋ニ向ウ頃ヨリ昨日ノ敵潜ヨリ我動静ヲ探知シタモノトミエテ昼頃ヨリ「レイテ」ノ基地ヨリスル敵艦上機群ノ攻撃ガ開始サレタ。（（中略）） 武者振イツツ私ハ機関室ニ駆ケ込ンダ。未ダ敵機ハ遠イラシク、久シ振リニ耳ニスル主砲ノ雄叫ビノミガ艦ヲ圧ス如ク鼓膜ヲ小気味ヨク震ハス、駿馬ノ武者振イ立ックルガ如ク、勿論我々ハ防毒面ヲ装着、手拭ヲ首ニ戦闘服装ヲ整へタ、機関科員タル我々ノ任務ハ見エザル敵卜戦イツツ後ノ一回転マデ廻セバヨイノデアル。ソシテ甲板上ノ者達ガ一隻テモ多クノ敵艦ヲ撃沈シテクレレバ本望ナノデアル。艦橋ヨリ「敵戦爆連合約一〇〇機攻撃体制」ト通知シテ来ル。何トモ云へヌ一瞬デアル、唯計器ヲ、機械ヲ見ツメルノミ。窓越ニ兵隊達ハ我々幹部ヲジツト見ツメル。「キヤビエン」ノ戦闘ノ時モ缶室デソウデアツタ。機関長ハ悠然トシテ煙草ヲ吹カシティル、余リニ緊張シテイル自分ガ情ナクモ感ゼラレタ。ソシテ出来ルダケ微笑ヲ投ゲカケタ。機銃、スベテノ機銃ガ石油缶ヲ乱打スル如ク騒ギ出シタ。息ツク暇モナク猛射シテイル模様、ソシテ敵ノ急降下ノ有様ガ想像サレル、絶対ニ不死身ナリト信ジツツモ反面数秒後否瞬間ニ来ルヤモ知レヌ悲惨ナル光景、悪事態ヲ予想シソレニ対処スベク身構エル。艦橋ヨリ「敵機ハ大和、武蔵ニ集中攻撃中ナリ」ト。カノ巨艦ニハ武蔵ニ村山が、大和ニ高脇ガイルノダガ・・・（中略）・・・至近弾モ落下シ始メタ、急カーブヲ切ツテ艦ハコレヲ回避シテイル、時々猛烈ナル至近弾ニ手ヲ握リ、各部ニ電話電令ヲ飛バスモ機械共ニ異状ナシ。数回目ノ空襲デアツタ、続ク大揺レノノチニ艦全体ガユスリ上ゲラレタ。当ツタナト瞬間全神経ヲ緊張サセタガ計器ハ異状ナク機械モ変リナク、艦橋ニ異状ナシト報告スル。ガ時ヲヘズシテ左外軸中間軸受付近ニ破口、浸水シツツアリト報告シテ来ル。現場ニ行ツテミルト高速力ト水圧トデ数個ノ破ロヨリ海水ガ猛烈ナル勢ニテ噴出シテイル。直チニ応急修理ニカカルモ水勢ニ抗シキレズ徒労ニ終ル。水量ハ漸次機関室ニ充満シテクル。尚激震ノタメ中間軸受ガ船体ヨリ離脱シ何千馬力トイウ軸ノ回転摩擦ノタメ潤滑油ハ燻り悪性ガスヲ発生シ出ス。亦々対空戦闘ノラッパガ敵機ノ来襲ヲ告ゲル。熱気卜悪ガスノタメ指揮所以外ノ者ハ殆ソド倒レ病室前ノ応急治療所ニ収容スル。一艦ノ戦闘力ノ重大ナル要素クル足ヲ守ルタメ皆砲弾雨ノ中モ忘レテ褌一ツニナツテ海水排除、破口修理ニ奮斗シタ。日没ヲ待ツバカリデアツタ、ナントナレバソレデ空襲ハ終リヲ告ゲル頃合デアツタカラ。日没近ク機関参謀鈴木少佐ガ心配シテ艦橋ヨリ下リテ来ラレタ、ソシテ「唯今銀河一〇〇機編隊ニテ敵空母攻撃ニ通過シタ」ト元気ヲツケラレタ。日ガ暮レルト前哨戦ハ終リヲ告ゲ静カナ南海ノ夕闇ガ迫リツツアツタ。機械室浸水モ兵科の応援ニヨリ危機一髪ノ所ニテ喰イトメルコトガ出来、水ヲ出ス一方トナッタ。「艦内哨戒第二配備」・・・（中略）・・・
私ハ機関室を上ガッタ。中甲板ニハ本日の戦闘で傷ツイタ者達ガ足ノ踏ミ場モナク病室前ヲ埋メテイル。身体全体ヲ硬直サセテ苦シンデイル者・・・（中略）・・・
分隊員ヲ一人一人見回り元気ヅケテ上甲板ニ上ガッタ。
空ニハ南十字星ガ静カニ輝イテイル。各隊ハ速力を緩メルコトナク太平洋ヘト一路針路ヲトッテイル。タダ、艦首ニ切リ裂カレタ波ノ穂ノミガ明ルイ月ニ映サレテ後ニ闇ト消エテ行ク黒イ艦影モ空ニハ星ノ美シク輝キダシタ比島ノ海域モ明日ノ決戦ニ備エテ深イ眠リニ落ち込ンデ行ッタ。
十月二十五日
〇二〇〇第一、二部隊ハ「サマル」島ノ北ヲ通り太平洋ニ出タ。艦橋ヨリノ「〇五〇〇以降最大戦速即時待機トナセ」ノ指令ハ機関科員ノ士気ヲイヨイヨ盛ニシタ。
部隊モ隊形ヲ変へ会敵突入隊形針路一八○度「レイテ」泊地目指シテ南下姿勢ヲ取ッタ。顧レバ「ボルネオ」ヲ出撃シテ以来熱気ノ機関室内ニ頑張り通シ、水卜乾パンノミヲ口ニシ、用便モソコソコニ済マシタ此ノ数日デアル。部下百数十名ノ機関科員一人トシテ元気ノ衰へタ様ヲ見セル者ハナカッタ。〇五〇〇戦闘用意総員配置ニ就ク、日出卜同時ニ覚悟シティタ如ク昨日ヨリ敵基地ニ近ヅイタダケニ一層激シイ空襲ガ展開サレタ。モウ、今日一日デアル。石ニ噛リツイテモ目指ス「タクロバン」迄ハ（中略）
〇八〇〇遂ニ敵艦隊発見ノ飛電ガ旗艦大和ヨリ各艦ニ飛ソダ。戦闘ラッパハ暁雲ヲ衝イテ鳴り響イタ。遥カ南方ニ目指ス敵艦隊ノ林立スル様ガ目ニ浮ブ。轟然主砲ガ雄叫ビ出ス、続イテ艦橋ヨリ「大和ノ初弾敵大型空母ニ命中轟沈々々」ト（中略）全軍志気旺盛元気百倍デアル。爆裂音モ、敵モ凡テ消滅シ唯在ルハ眼前ノ吾人ノ任務ノミ・・・（中略）・・・
続々卜僚艦ノ戦果ガ艦橋ヨリ通報シテ来ル、至近弾ハ絶エ間ナク落下シ一刻モ油断ナラヌ時デアルガ、祖国ノ人々ノ欣ビニ溢レル顔々ガ浮ビ上ガッテ来タ。決戦トハ云ヒナガラ敵艦隊ノ煙幕展張ノ総退却ニ終ッタ。・・・（（中略）・・
「其ノ場ニ休メ」ニテ上甲板ニ上ガッテ見ルト機銃トイウ機銃ハ殺気立ッテ四囲ヲニラミ銃側ノ機銃員モ敵来ラバト身構ティル。海上ハ硝煙ノ匂ガ雲トナリ低ク垂レコメティル。後ヲ見ヤルト重巡鈴谷ガ中部ヨリ黒煙天ニ沖シ紅蓮ノ焔ハ次第ニ艦橋ニト迫リツツアル。魚雷ガ誘爆シツツアル。今将ニ最後デアル、重巡利根ガ鈴谷二横付シテイル、機関科員ハ駄目ダロウ、鈴谷ニハ級ノ吉岡中尉ガイルノダガ、気強イ彼ノコト部下達卜一緒ニ欣ンデ死ニ就イタコトダロウ、唯安カレト祈ル。附近ニハ敵機ノ姿ハ見エズ、全軍集合ノ号令下艦隊ハ戦場離脱ヲ開始シタ。此ノ戦デ鈴谷ノ外筑摩、鳥海及ビ駆逐艦数隻ガ沈没シタ。・・・（中略）・・・離脱シツツモ空襲ハ続イタガ、応戦シツツ我々ハ故国ヨリノ大本営放送ヲ耳ニシタ。
我戦場離脱スルトミルト我ニ返ッタ如ク敵基地ヨリハ新手新手卜全力ヲ挙ゲテ艦隊ヲ激減セント攻撃シテキタガ「スリガオ」海峡ニ入ル手前デ夜ニ入ッタ。
翌二十六日朝マタマタ日ノ出卜刻ヲ同ジウシテ攻撃ヲ仕掛ケテクル、艦隊ハガッチリト組ンデコレニ十字砲火ヲ浴ビセツツ空襲圏外へト避退シツツアッタ。→北ボルネオ」ヲ出撃シテヨリ不眠不休五日間帝国海軍伝統ノ頑張リノ精神ヲ発揮スル秋デアル。艦橋ヨリモ水雷士ノ小林中尉ガ「モウ少シダ頑張レヨ」ト云ッテクルガ敵機ハ其ノ頃ヨリ戦艦群ノ攻撃ヲ断念セシモノトミエテ小艦艇ヲ攻撃シ出シタ。駆逐艦ヲ引キツレテ艦隊ノ先陣ヲ承ルサッソウクル本艦ノ如キハ敵ニ云ハシムレバ恰好ノ目標デアッタカモシレナイ。〇八〇〇頃ヨリ機銃ノ音モ艦ノ動揺モ激シクナリダシタ。ト頭上ニ少シク激震ガアッタカト思ウト艦橋ヨリ「左舷高角砲附近ニ小型爆弾命中火災消防ポンプ起動」ノ令アリ。コレヲ各部ニ伝へタ瞬間轟然タル鳴動トトモニ我々ハ吹キ飛バサレテシマッタ。艦内ハ真ノ闇トナリ、床ニ伏セウツ、艦ハ左ニ大傾斜・・・ググーグート小刻ミニ亦大キク奈落ノ底ニハマリ込ソデユク。呼吸シツツモコレガ最後カト覚悟シタ。訓練シタ部下モ、機関長モ機械モ皆一緒ニ死ニ就ク時卜呼吸ヲ整へル。ソレモ一瞬ノ間懐中電灯ヲサグリ計器ヲ照シテミルガ凡テ故障シテ機関ノ状態ハ一切不明デアル。機械室ハ異状ナシニセヨアノ大激震ニテハ魚雷ノ命中シタコトハ確カデアル、電話モ勿論通ジナイ。
一マズ、指揮所ヲ上甲板ニ移スコトトシテ機関長ヲ先頭ニラッタルヲヨジ登ル如クニシテ上甲板ノ明ルミニ出テ後部ノ機銃台ノ下ニ集マッタ。見ルト艦橋後部ノ煙突ヨリ猛烈ニ蒸気ガ噴出シテイル、缶室ガヤラレタノダ。温和ナ特務大尉ノ分隊長、缶長ノ顔、カッテハ分隊士トシテ倶二訓練ニハゲソダ缶部ノ下士官、兵六十数名ノ顔々ガ思イダサレタ。戦闘開始前ニ缶分隊長トハ指揮所デ微笑ヲ交シテ交替シタバカリダッタノダガ。直チニ探知員ヲ走ラセル。艦隊ハ既ニ西へ西へト一条ノ水跡ヲ残シテ避退シツツアル。千切レ雲ノ飛ブ上空ニハ敵機ガ虎視眈々トシテイル。探知員ノ報告ニテ魚雷ハ一・三缶室ニ命中、二・四缶室モ浸水大破ノコトガ判明シタ。傾斜十五度左舷ハ海水ニ既ニ洗ハレティル。万事終レリカ。
尚モ念ノタメ探知スル。右舷機械室ニ注水傾斜ヲ回復スルトトモニ私ハ機関長ニシタガッテ、血走ル兵隊ヲ押シ分ケ屍ヲ越へテ血塗レノ甲板ヲ通ッテ戦闘指揮所ナル艦長ノモトニ報告ニ上ガッタ。・・・・（中略）・・・・
マモナク機関ノ使用不可能トミテ駆逐艦ニヨル曳航準備ガ令セラレタ・・・・（中略）・・・・
ソレカラモ三十分間隔位ニ避退スル艦隊ヲ攻撃シタ帰リノ敵機ノ銃撃或ヒハ我ニ止メヲ刺サントスル雷爆撃機ノ攻撃ガ最後迄繰返サレタ。急降下ノ度ニ甲板ニ身ヲヒソメル。不気味ナ金属音ヲ立テテ銃撃ノ水シプキト共ニ機影ガ大キク過ギ去ル。機銃員ハ傾斜シ赤ク染マッタ甲板上ニ身ヲササエツツ敵機を打チマクッテイル・・・(中略）1100頃亦敵雷撃機ガ攻撃シテ来タガ、動ケザル我ガ艦、艦橋前部ニ轟然ト命中、黒煙ガ上ッタ。皆眼ヲ閉ジタガ、幸いニモ火薬庫ハ誘爆セズ艦ハ次第次第ニ左前ニ沈ミ始メタ。此ノ魚雷攻撃デ軍医長、軍医大尉ガ全身火傷ニテ後部ニ運バレテ来タガ、サスガ軍医科士官苦シミツツモジット耐エ忍ンデイタ。・・・（中略）・・・残念ナガラ艦ハ沈マザルヲ得ズ、御神影ハ海上ニ移シ、総員後部ニ集合シ、不気味ニモ沈ミ行ク艦上、軍艦旗ハ下サレタ。私ハ機関長ノ後ニ立チ君ケ代ヲ奉唱シタガ熱イ涙ダケガトメドモナク流レ軍艦旗モ何モナクナツテシマツタ。鳴咽ノ叫ビガ四囲ニ響イタ。・・・（中略）・・・
私モ機関長・分隊長卜共ニ白靴ヲ甲板ニ揃へテ右舷ヨリ海中ニ飛ビ込ミ急遽艦ヲ離レタ。二〇〇米モ離レタカ、後ヲ見ルト今将ニ懐カシキ我等ガ能代ハ棒立チトナリ黒煙ヲ天ニ沖シツツ散ラントシテイル。我等機関員ニトッテ終生忘レ得ヌ四本ノスクリユーハ南海ノ日ニ輝イテ別レヲ告ゲテイル。能代ハ我々ニ送ラレルガ如ク垂直ニナルヤ姿ヲ波間ニ没シテ行ッタ。
ヤガテ秋霜・浜波ノ二駆逐艦ガ近ヅイテキタガ弾薬箱ヲ投下シテ再ビ速力ヲ上ゲテ走リ去ッテ行ッタ。見ルト敵数機ガ彼ノ艦ニ急降下、後方ニ水柱ガ二ツ、三ツト続イテ上ガッタ、ガ水煙ノ消へタ後ニ応戦シツツアル勇姿ガ再ビ現レタ。波モ次第ニ高マリ、銃撃ニ戦友ハ一人、二人卜水ヲ紅ニ染メテ沈ンデ行ッタ。
・・・（中略）・・・
ヤガテ我々ハ浜波ニ救助サレ合流シタ駆逐艦数隻ト共ニ二十数節ノ高速デ夕暮レ近キ海上ヲ「ボルネオ」ヘト向イツツアッタ。油マミレノママ前甲板ニ転ガリ後ニ走リ去ル比島ノ水平線ヲ何時迄モ見ツメツツ。
（なにわ会ニュース08号11頁・09号13頁 昭和41年05月・09月から掲載）