TOPへ 佐伯物語目次   その1

「ほほう、うちの分隊士は先生のごたる」と、工藤が妙に感心している。

 竹崎は少年たちを目の前に並ばせると、

「自分は佐伯航空隊の竹崎中尉である。この中の大将は誰か」と言った。

 少年たちは直立不動の姿勢でいたが、そう聞かれて思わず皆が重雄のほうを見た。

「きみか。姓名を申告せよ」

 シンコクくらいは重雄にもわかる。戦争ゴッコでは普通に使う言葉である。

「金田重雄でありますッ」

 重雄は思い切り大きな声で答えた。語尾が思わず軍隊調になってしまっている。間違いなくカネダと言ったのだが、声が割れて、誰の耳にもガネダと聴こえた。

「ガネダくんか。よろしい。ひとつ聞くが、この入り江は君たちの陣地か」

「はい。そうでありますっ」

「そうか。じゃあこっちが悪い。君らの陣地に勝手に飛行機を入れた。すまん」

 少年たちは感動した。何がなんやらわからんが、中尉殿が俺たちに謝っちょる。

「しかし、ここは飛行機を休ませるのにドンぴしゃりの場所なんでなあ。君らにはすまんが、この入り江は本日より帝国海軍が借り受ける。いいかな」

 いいも悪いもあったことか。テイコクカイグンの御用じゃ。おお、こりゃ太《ふて》え話じゃ。

「もちろん、邪魔にさえならなければ、今まで通りここで遊んでもよろしい」

 つま先から頭まで、その顔面まで直立不動にして聴いていた少年たちであったが、ここまでくると、もう誰の目もその輝きかたが尋常でなくなっている。どうやらこの入り江はこれから下駄履きの置き場になる。そして飛行機と搭乗員が居る間も、そのまわりで遊んでエエということらしい。こら、たまらんがのう。

「ひとつだけ厳重に注意をしておくが、絶対にペラの下に入ってはいかん。いいな」

 この最後の訓告の場面まで来ると、全員が即座に声を揃えて「はい」と大声で答えるようになっていた。竹崎はそれで、彼らをこれ以上緊張させておく理由がなくなったことを知った。

「よし、では解散」

 彼は初めて人なつこい笑顔を見せ、少年たちにそう言った。

 それから自分の弁当を重雄に渡し、「陣地の借り賃だ。みんなで食え」と言った。

 少年たちはその中身に目を見張った。

 弁当といってもそれは機上応急食と呼ばれていたもので、狭い搭乗席にも持ち込め、飛行中でも片手で食べられるように工夫されていた特製の携帯食糧である。搭乗中は体力だけでなく集中力を長時間にわたって維持する必要がある。このため応急食には甘いものが少なくない。  

 その中身は硬い塩味のビスケットのほか、キャラメル、ゴムで包まれたピンポン玉型の羊羹、ヌガーという牛乳味のソフトキャンディ、それに乾燥梅干といったメニューだった。それらが詰まった古びた木箱は、少年たちには宝の小箱に見えた。

「箱は返してくれ。今ここで分けるといい」

 配分は重雄が受け持った。うまくしたもので、中尉どのたちが見ている以上、上級生が幅を利かせて欲しい物を取るわけにもいかず、むしろ太っ腹なところを見せたものだから、下級生たちには、宝の中でもエース格の羊羹やキャラメルが配給された。

「これはどうやって剥くんじゃろう」

 亮はゴム包装の羊羹を生まれて初めて見た。

 

 重雄は空になった木箱を竹崎に返し、礼を言うと、思いきって訊ねた。

「竹崎中尉どの」

「殿はいらん。竹崎中尉でいいよ」

「はい、これは何ちゅう飛行機ですか」

「零式水上偵察機」

「偵察機」

「そうだ。連合艦隊がいくら無敵だといっても、まず敵を見つけなければ弾の一発も撃てん。ハワイをやった時も、こいつが先に飛んで真珠湾を偵察したんだぜ」

「空中戦もやるんですか」

「ははあ、きみらは空中戦こそ飛行機の一番の仕事だと思っとるな。うん、それはそれでいい。しかしもしグラマンとやり合ったら、こいつじゃ歯がたたん。いくら搭乗員の腕が良くても、まず勝ち目はない」

「はい。すみません」

「あやまる奴があるか」

 竹崎は大笑いした。

「よし、せっかくだから、零戦にも中攻にもできん、水偵とっておきの戦法を教えてやろう。みんな集まれ」

 少年たちにも、この種の飛行機が鈍重で、華々しく派手な空中戦には向かないということはなんとなく判っていた。その点だけが少し残念であったのだ。全員が竹崎を囲んで座った。

「水偵は偵察用の機体だが、佐伯の水偵隊の任務はそれだけじゃない。俺たちの獲物は、敵の潜水艦だ。機体の腹のところを見てみろ」

 零式水偵は長さが約十一メートル。幅が約十四メートル半ある。遠目にはしょっちゅう見ていた機体だが、こうして間近に見ると子供たちにはかなり大きく感じた。まして、その細部をじっくり見られるなどは初めての経験だったから、誰もが真剣に聴いている。

「真ん中に、栗饅頭を並べたようなふくらみがあるだろう。あそこに爆弾を積む」

 彼が示した爆弾倉には二発の爆弾を収納できるが、これとは別に機外の懸架装置にも二発を懸吊《けんちょう》できる。この合計四発の爆弾が対潜攻撃兵器である。しかし、民間の子供たちには、そういった詳しいことまでは教えられない。それは軍機に属していた。

「ところでこの爆弾だがな、相手が潜水艦の場合は戦艦や空母に当てるより難しい。なぜだかわかるか」

 質問をされても、それに気軽に答えていいものかどうか、少年たちにはわからない。互いに顔を見合わせているうちに、視線は重雄に集まった。大将お前が答えろというわけである。

「潜水艦は小さいからであります」

「それもある。しかし肝心なのはそういうことじゃない」

 水中の物体を上から見ると、偏光の関係で実際の位置とは違って見える。ふつう、より浅くしかも手前に見える。

「それを計算できなきゃ外れるんだ。わかるか」

「カニを捕まえる時とおんなじじゃなあ」

「そうだ。じゃあ、ずれて見えないようにするにはどうする」

「ええと、そうじゃ、真上から見ればエエ」

「よおし上等だ。飛行機は真っ逆さまには降下できんが、できるだけ深い角度で降下すれば、それだけ誤差が小さくなる。これは腕と度胸がいるがな」

 しかしいくら腕と度胸があっても、垂直に降下しない限りその誤差はなくならない。それを正しく修正するのに必要なのは、正確な計算能力だという意味のことを、竹崎は言った。

「度胸だけじゃ駄目なんだ。だから、みんなしっかり勉強しろよ」

 竹崎はそう言って笑った。

 こんなことがあってから、少年たちは島の近くに水偵が着水するのを目ざとく見つけては、ここに遊びに来るようになった。入ってくる水偵は竹崎機ばかりではなく、彼の列機が交替で来ることもあった。どの搭乗員も弁当をくれたし、さわりのない範囲で飛行機の話も聞かせてくれた。

 ちょっとした悪影響があった。

 搭乗員と何度か接するうちに、飛行機のことを知った気分になってしまった彼らは、浦前の水面に、一日に何機も降りてくる水偵をつかまえては、その搭乗員の腕前を、言いたい放題に講評するようになってしまったのである。

「ありゃあだめじゃ、怖がっちょらあ」

「腰が引けちょるけえ、どんこん《どうにも》ならん」

「ほれ見ィ、言わんこっちゃねえ、やり直しじゃ」

 海鷲もかたなしであった。

 

 大入島と佐伯基地に挟まれた水域は、狭いところでも五百メートルほどの幅があり、そこが水上機のいわば滑走路に割り当てられていた。岸を離れた機体は水上航走でその線上に達し、それからエンジンの爆音を響かせて離水していく。訓練や任務を終えて帰投してきた機体は、同様のコースをとり、海上に滑り込むように着水する。

 飛行機の離着陸をその難度で比べた場合、圧倒的に着陸のほうが難しいと言われているが、水上機の場合は特に波の高さが問題となる。

 大入島が天然の防波堤となるこの水域はその点まだましなほうであったが、それでも平坦に均されたコンクリートの滑走路に着陸するのとはわけが違う。しかもまずいことにこの基地の上空は気流が不安定なことでも有名で、未熟な操縦員はもちろん、そこそこ経験を積んだ者であっても、波と気流の具合によっては着水をやり直すこともある。

 ところが亮たちにしてみれば、庭先に滑走路があるようなものである。彼らは岸に鈴なりになって、ふかした芋を頬張りながらショーでも見るようにいつもこれを見物していたが、

「のう、下駄履きが急降下しよるんを見に行かんか」

 ある時こう言う者がいて、少年たちは連れ立って少し遠出をすることになった。

 守後浦の前を西に向かって離水した水偵は、上昇しながら反転し、やがて機首を東に向ける。大入島から東に約三キロの洋上に、竹ヶ島という無人島があるのだが、彼らはこの島を目標に急降下爆撃の訓練を行うのである。だがこの空域は、守後浦からはちょうど後背となる方角で死角になっていた。少年たちはそれが見えるところまで行こうというのである。

「どこまで行くんか」

「ドウドウ鼻まで行きゃ見えるじゃろ」

 鼻というのは小さい岬のような地形のことである。守後浦からは、子供の足でも一時間とはかからない距離であった。しかし、そこまでたどり着いて少年たちが見た訓練風景は、彼らを失望させた。

 距離が遠すぎるのである。ドウドウ鼻から竹ヶ島までは直線距離で約5キロあった。数機の水偵が島の上を飛んでいるのはわかるし、それが順番に島に向かって降下しているのも見える。だがそれだけであった。

「よう見えんのう」

「だいいち、何が急降下か。ありゃお前、ゆっくり降りよるだけじゃ」

 距離が遠いぶん飛行機の動きも間延びして見えるし、降下角もさほど大したことのようには思えない。波のある海面に水しぶきを上げて着水する機体を、間近で見て、上手いの下手のと言い合うのに比べれば、盛り上がらぬことおびただしい。少年たちは早々にドウドウ鼻を引き上げ、見学ツアーはこの一回きりで終わった。

 

 海軍中尉井尻文彦が、所属の佐世保航空隊から派遣され、部下の数機を率いて佐伯航空隊に到着したのはこの頃である。井尻も海兵七十二期。竹崎や矢尾の同期だった。

 彼が到着した夜は、その他の同期生が集まってちょっとした歓迎会が行われた。海軍では、所定の規則に従えば隊舎での飲酒も公認されていた。

 この時佐伯航空隊に配属されていた同期生は、竹崎と矢尾のほかに、第九三一航空隊の和田智、飛行艇隊の濱田正俊がいる。

「防備戦隊には樋口と藤井がおるんだ。次は呼んでやろう」

「矢尾、大事な人を忘れてるぞ」

「それだ。井尻、もうひとり恐ろしいのがおるからな、覚悟しとけよ」

「原田教官か」

「なんだ、貴様知ってたのか」

「池上が葉書をくれた。そういえばあいつどうした。今夜は搭乗か」

 皆が濱田の顔を見た。池上勝也と濱田正俊はともに飛行艇隊に属していたが、池上中尉は、台湾沖航空戦の直後、九州南方海上に索敵飛行に出て未帰還となっていた。

「そういうわけだ」と、濱田が説明した。

 戦争である。戦死者は毎日のように出る。そして明日は自分が死ぬ。湿っぽくしても始まらない。井尻は同期生の霊に一礼すると、それから努めて明るく言った。

「池上が書いてたぞ。貴様ら、今でも教官に絞られとるそうじゃないか」

「それがさ、原田さんが俺たちに下宿を一軒世話してくれてなあ」

「おう、それも書いてあった。どういうわけだ」

「つまりだ、町場のレスは貴様ら純真な青年士官には不向きである、ということらしい」

 レスとは海軍の符丁で料亭のことである。料亭といっても、純粋に酒と料理を供するだけの店とは限らない。そういう心配のない場としては、海軍士官専用の公設クラブである水交社があるが、まだ中尉になりたての新米士官にはいささか敷居が高い。なんと言っても、まわりがみな上官ばかりの中で飲むことになる。

「それでだ、飲む時はその下宿で飲めということなんだ。なんでも婆さんがひとりいて、その煮しめが実に美味いらしい。どうだ、ありがたくて涙が出るだろう」

「むむ、教官のカタブツもいよいよ金筋が入ってきたな」

「しかもだ、その婆さんは、もともと佐伯藩の毛利公のお嬢様」

「ほう」

「の、お付きのお女中だったそうだ」

「ははは、そいつはいいや」

 井尻が哄笑したのにはわけがあった。

 七十二期は「お嬢様クラス」と呼ばれていたからである。

 原田は学生たちに、七十二期をもじって「なにくそクラス」と呼ばせたほどの厳しい指導を行ったが、一方「清く正しく美しく」という品性教育を徹底した。お嬢様とは「躾のいい」というほどの意味である。

「カタブツの教官にしては出来すぎた洒落だ」

「洒落なもんか。教官は本気で俺たちのお目付け役を選んだつもりだぜ、きっと」

 そんな具合に酒がすすむ。

「時に井尻、貴様も降爆訓練だってな。なんでまた佐伯くんだりまで出張って来た」

「対潜訓練の目標艦を務めさす潜水艦が足らんのだ。佐伯に一杯、佐世保に一杯ではもったい

ないだろう」

「ほんとか」

「いや、きっとそうだ」

「ははは、言ってやがる」

 本当の事情はわからないが、見当はつく。

 もともと佐伯航空隊と佐世保航空隊は、それぞれが九州の東岸と西岸における水上機部隊の主力で、従来から相互に協力し合う関係にあったが、この十二月に少し事情が変わった。

 佐世保航空隊は先の台湾沖航空戦に際し、指揮下の航空兵力の多数をこの作戦に投入したが戦闘はすでに述べたとおりの大消耗戦で、部隊はその約三十機を失った。

 海軍は疲弊した航空戦力を立て直すために、部隊の再編成をはかったが、その一環として、西日本の海上哨戒を担当する航空部隊を一元化することになった。要は、各航空隊の飛行機が不足して定数に満たないため、残った機体と搭乗員を一括管理して機動運用しようとした、と考えられる。こう書けば合理的にも見えるが、正直に翻訳すると、機体と搭乗員の使い回しであった。

 となれば元佐世保航空隊も本来の守備範囲を超えて、以後は西日本全域の哨戒に当たらねばならなくなる。井尻たちの派遣はこういう事情であったと考えていいだろう。井尻はこの後に書くように、すでに実戦経験を積んできていたため、派遣組の中では隊長格であった。

「すると井尻、貴様もこれからは、その、なんだ、新編の航空隊付か」

「そうだ。第九五一海軍航空隊だ」

「じゃあ佐伯空もそうなるのかな。しかし、俺たちはそんな話、聞いてないぞ」

「佐伯空は含まれんらしい。豊後水道守備の貴様らは別格なんだろう」

「おお、持ち上げてくれるなあ」

 持ち上げたほうの井尻が、実はこの中で最も歴戦の搭乗員になっていた。台湾に進出して、あの激戦を生き残った数少ないうちのひとりであった。

 索敵に出撃した井尻機は敵機と遭遇し一機撃墜の戦果を記録した。零式水上偵察機は、本来空中戦向きの機体ではないから、こちらから積極的に空中戦を挑んだわけではないだろう。   

 零式水偵には防御用の旋回式機関銃が一基装備されている。敵機の機種はさだかではないが井尻機を下駄履きと甘く見て肉薄したところで、運悪くその射弾を食ったのかもしれない。

 あるいは、敵機の攻撃を避けるために、井尻機が海面ぎりぎりの超低空飛行を行ったという可能性も高い。水上機はもともと海面に降りるようにできているのだから、海上であれば高度ゼロメートルの低空飛行が可能である。この標的に対して突っ込みすぎた敵機が、機体を引き起こしきれずに海面に自爆したのかもしれない。いずれにせよ、この件については井尻本人が語った記録がなく、詳細は永遠にわからない。

 確かなのは、この空中戦で井尻機も相当に被弾し、結局飛行不能になって不時着したということである。井尻は漁船に拾われて九死に一生を得たが、この強運がなければ台湾沖航空戦の未帰還者名簿の中に、彼の名も入っていたはずであった。

 佐世保に帰還した井尻は、本来の担当海域での哨戒任務についたが、ここでは敵潜水艦への爆撃を何度となく経験し、一度は撃沈の公算大という戦果を報告している。

 それらのことを、井尻はしかし同期の仲間たちには話さなかった。自慢話に聞こえるような話題を、自分から持ち出すのをこの男は嫌っていたし、この席にそんな必要もなかった。彼は久しぶりに楽しい酒を飲んだ。

 

 井尻たち佐世保からの派遣組は翌日から降爆訓練に入った。

 飛行機による降下爆撃について、少し解説したい。

 降下爆撃とは、爆弾を積んだ飛行機が目標に向かって降下し、低空に達した時に爆弾を投下するという戦技である。

 この降下角度が大きいものを急降下爆撃といい、緩いものを緩《かん》降下爆撃と呼ぶ。

 急降下の場合、降下角は最大で七十五度におよぶ。ここまでくると搭乗員にはまるで垂直に降下するような感覚らしいのだが、この角度が大きいほど、投弾された爆弾はより直線に近い弾道で落下する。緩降下より狙いがつけやすく、当然ながら命中率はより高い。

 しかし急降下という飛行そのものは、機体の操縦をもっとも困難にする運動のひとつであり、さらに降下から上昇に転ずる引き起こしの際には、力学的に相当な無理を機体に強いることになる。この時、物理的限界を越えた急降下を行った機体は、操縦不能に陥るか、もしくは空中分解するしかない。

 零式水上偵察機は当初から爆撃可能な機体として設計されていたが、急降下爆撃には向いていなかった。長時間の偵察飛行が可能なように燃費を良くする必要があり、機体はできるだけ軽く作られている。このため機体剛性の点で急降下にはいささか不安があったため、それまで降下角は三十度以内と制限されていた。これは緩降下爆撃であり、投弾後もそのまま降下して低空飛行で離脱できる。

 ところが敵潜水艦の制圧が重要課題となったこのころになると、爆弾の命中率を上げるため降下角度を四十度にとる、いわば準急降下爆撃ともいうべき戦法が、零式水偵にも採用されることになった。この場合、引き起こしの際の、機体への負担は当然ながら増大する。

 これはなにも、無茶を承知の神風戦法というわけではなかった。あくまでも機体強度の安全マージンを計算した上での降下角度である。

 しかし、井尻が佐世保から率いてきた、昨日や今日零式水偵に乗り始めたような操縦員にはもちろんのこと、すでに緩降下爆撃の実戦を経験している者にとっても、楽な操縦とは決して言えなかった。彼らが乗るのは軽快な戦闘機ではなく鈍重な下駄履きなのだ。

 繰り返すが、急降下爆撃とは、操縦員が、機体の性能と自分自身の技量とを、限界まで引き出して融合させねばならない戦法であるとともに、限界を越えてはならない戦法でもあった。その、真剣の刃の上をわたるような技術を習得するための、最も有効で確実な方法は訓練しかなかった。

 

 もっとも井尻自身が操縦桿を握るわけではない。彼の専門は偵察員である。

 零式水偵は三人乗りで、その内訳は操縦員、偵察員、電信員となっているが、ここで井尻が担当する偵察員の役割を解説しておきたい。

 飛行中、偵察員はまず航法を担当する。いわば生きたナビゲーションシステムである。

 零式水偵は、洋上を長距離かつ広範囲に偵察するための機体である。

 目印がまったくない洋上を飛ぶのは、たとえば私たちが砂漠をさまよい歩くようなもので、単純に目的地に到達するだけでも容易ではない。しかも偵察機は敵艦隊を発見し、その正確な位置を報告する任務を負っている。そのためには、常に自機の現在位置を正確に把握しておく必要があるのだが、これを生身の人間が計算するのである。

 次に、字義通り偵察担当としての役割がある。

 これも単純に敵を見つければいいというものではなく、敵艦隊を発見した場合は、その数、針路、艦種、さらに速度までを、目視で判断しなければならない。

 加えて偵察員は爆撃照準を受け持つ。照準と言っても爆弾は機体から投下するだけだから、飛行機自体の飛行コースを操縦員に指示するのである。

 以上に挙げただけでも、偵察員の仕事が多岐にわたり、そのいずれもが高度な技術を要することが分かる。しかも井尻は士官であるから、三名の搭乗員の最上級者となる可能性が高く、この場合は機長としての役割も加わる。

 機長には時として、作戦全体を見渡す戦術眼が必要になってくる。

 わかりやすい例がある。

 索敵の失敗が敗北の一因となったミッドウエイ海戦で、偵察機は「敵らしきものを発見」と報告し、司令部から「らしきとは何だ」「艦種を至急知らせよ」と督促を受けている。

 この偵察機の機長は、報告の正確さより早さを優先したわけであって、情報の取り扱い方としてはむしろ正しい。その情報の真偽や意味を判断するのは司令部の仕事であろう。

 ところが少なくとも司令部にはこれが丁稚仕事と受け取られてしまったようで、この海戦の敗北後に編纂された偵察員マニュアルには「空母の有無を第一報に含めること」と、わざわざ書かれている。

 現場からの情報が正確であるに越したことはない。ところが正確さを求めすぎると、今度は報告者が萎縮してしまい伝達は遅滞する。むつかしいところである。そこで偵察機の機長には状況を多角的に分析して、報告すべき内容を判断する能力が求められることになる。

 であれば、機長は現場の指揮官として、分析や判断に集中できる席に座ることが望ましい。少なくともそれは操縦席ではないだろう。もし敵機に発見されて攻撃を受ければ、回避運動のために操縦にかかりきりとなる。とても正確な判断などできようはずもない。

 こんな理由もあってか、兵学校では七十二期の飛行学生を志望するものに対し、

「操縦自体は別に士官でなくともできる。しかし偵察員の任務は、作戦や戦況に深く関与することだから、いずれ士官となる諸君は、偵察員の役割を深く理解しなければならない」

 というような意味の教唆を与えたことがあるという。

 聞きようによれば、君たちは優秀なのだから偵察員を目指しなさいという意味にもとれる。

 一般兵出身者や、同じ士官でも操縦員を志した竹崎などにすれば「なにを言ってやがる」と頭にくるような話かもしれないが、ここでは偵察員や機長の役割を理解していただくための、ひとつの考え方として紹介した。他意はない。

 

「高度五百」

 井尻が前の席で操縦桿を握る島越に伝えた。爆撃作業中の高度計の確認は、偵察員がこれを受け持つことになっている。

 訓練の投弾高度は五百メートルである。操縦員はそこで機体を引き起こすのだが、機体にも行き足がついており、実際にはそこからさらに百メートル以上突っ込むことになる。

 引き起こし運動が機体に相当な無理を強いることは先に書いたが、搭乗員にとってもそれは同じであった。肉体へのストレスは、鍛えられていない人間であれば失神しかねないほどだという。この運動を一日に何度も繰り返す。

 一途であった。その過酷を克服するための精神と肉体の極度な緊張を維持するには、訓練に対して一途であることがただひとつの方法だった。

 井尻は子供のころ小児麻痺に罹り、今で言うリハビリでこれを克服している。

 男の子というものは、まわりの子供たちと競い、時には争い、そういった競争をむしろ糧として育つ。この時代であれば、特に肉体的な競争がその重きをなしていた。競争ではあったが、点数主義に支配される苦痛のない、遊びと共にある、いわば無邪気な闘争と言っていい。

 しかし、野山を駆け回り、相撲をとり、川の流れに逆らってどれだけ速く泳ぐか、といった少年たちの競争のすべてにおいて、幼い井尻文彦は、誰と競うことも、争うこともなかった。 

 彼が勝たねばならない相手は、彼自身の肉体であった。そして、時として挫けそうになる心だった。少年はその意志の力を、ひたすらに、自分自身の内に向かってのみ注いだ。

 その性向は、外に向かっては引っ込み思案という個性になって表れたが、それは年齢よりも大人びた落ち着きと、思索の深さを彼に纏わせることにもなった。

 成長した井尻少年は、中学時代には野球チームに所属して、名一塁手と評判をとり、時にはマウンドを任せられるまでになっていた。さらに長じて難関の海軍兵学校に合格したことも、卒業後は飛行学生として認められたという事実も、その肉体が常人よりむしろ頑健に成長したことを証明している、

 井尻は禁欲的なまでに一途な海軍士官であった。少年時代の闘病経験が、二十一歳の彼を、そのように育てていた。

 

 初日の訓練を終えた井尻を竹崎が待っていた。

「どうだった、突っ込みは」

「うん、かなり速度が乗るんだな。最初は投弾のタイミングがとれなくてこまった」

「なんだ、そんなもんか」

 井尻は台湾での実戦でこの訓練以上の急降下を何度も経験していたから、機体の激しい運動そのものには慣れている。竹崎は「なかなか大変だったろう」と聞いてみたのだが、井尻にはあいにくだった。

「それより竹崎」

「なんだ」

「上から見たんだが、滑走路に見たこともないのが並んでたぞ。ありゃあ何だい」

「飛行機か」

「そうだ。双発だったが妙に小さい奴だ。一式でも銀河でもなかった」

「ああ、そいつは東海だ」

「トーカイ?」

「東の海だ。ちょうどいい、貴様に基地を案内してやる」

 和田はその辺に使える自転車がないかと探したが、井尻はそれを留めて言った。

「俺のペアも連れて行くよ。四人で二台占領しちゃ悪い。歩いて行こう」

 同じ機に搭乗する搭乗員の組をペアという。三人乗りでもペアである。

「島越、長谷川、一緒に来いよ」

 声をかけられた偵察員の島越一飛曹は、事情を聞くと

「それやったら、ほかの連中にも声ばかけまっしょ。分隊長は先に行っとって下さい」

 そう言って駐機場のほうに駆け足で戻っていった。

「へえ、貴様んとこの先任も博多か。俺んとこの工藤もそうだ」

「島越は長崎だよ」

「ホ、そうか、しかし同じにしか聞こえんじゃないか」

 竹崎は笑い出した。彼も井尻も中学は東京である。

 

 佐伯飛行場は九州東岸最大の航空基地である。ここを本拠地とする佐伯海軍航空隊は、昭和九年の開隊以来、艦上爆撃機と艦上攻撃機を主力とする攻撃部隊と、水上偵察機を中心にした偵察部隊で構成されていた。さらに地理的には連合艦隊の本拠地である呉の、いわば前進基地でもあったため、佐伯空以外にもこの基地を使用して作戦した部隊は多い。

 たとえば真珠湾攻撃の主力であった機動部隊の戦闘機群は、訓練期間中この基地に駐屯していたし、この時点では海上護衛に任ずる第九三一航空隊も佐伯基地を拠点としていた。のちに米軍の空襲が始まると、陸軍航空隊の第五十六飛行戦隊「飛燕」部隊もここに進出する。

 終戦時の状況を記した図面からは、飛行場の面積はざっと八十万平米ほどと推計され、この計算が正しいとしてお馴染みの換算を適用すると、東京ドーム十七個ぶんにあたる。

 長方形の敷地の長辺に沿って八百メートルの主滑走路があり、これに対して斜めに交差する形で五百メートルの副滑走路が舗装されているが、それでもまだかなり土地が余っている。

 大型の飛行機や、着陸速度の速い重戦闘機が着陸する場合は、この余裕部分の平坦な草地を滑走路として使用したらしい。草地部分は千五百メートル級の滑走路に相当するほどの長さがあった。

 水上機隊の駐機場は、飛行機の運用上海に面しており、飛行場というより港に近い。岸にはヨットや漁船を陸揚げするときのようなコンクリートのスロープが設けられていて、飛ばない時は機体を陸に揚げておく。機体の移動には車輪のついた台を使う。

 水上機の格納庫や整備場はその岸壁にあって飛行場からは独立しており、飛行場の門までは道すじで六百メートルほど離れている。その間に航空隊の庁舎や営庭、隊員の居住区、各種の工場などがあった。航空隊の庁舎というのが、清田の司令部が置かれている四階建てのL字型ビルディングである。

 庁舎と並ぶ兵員宿舎の背後には、こんもりと盛り上がった、長島山と呼ばれる丘があるが、そこには洞窟陣地が構築され燃料庫と弾火薬庫になっていた。

 それらが密集している野岡地区と飛行場との間は一本の細い川で隔てられている。中江川という。この川にかかる、美国橋と呼ばれている橋を渡ると、飛行場の門があった。

 

「あれか。変わってるなあ」

 滑走路の列線には、井尻たち佐世保組が初めて見る機体が四機停まっていた。左右の主翼に各一基のエンジンをつけた双発機で、スラリとした胴体の割に機首部分が不釣合いに大きく、しかもそこは温室のようにガラスで囲われていた。

「ドイツのユンカーみたいだな」などと誰かが言っている。井尻たちに追いついた佐世保組を入れて、見学者は十五人ほどに増えていた。

「東海」と呼ばれるその双発機の周辺には、運用を担当する搭乗員や整備員が何人か集まって電気部品の調整を行っていたが、その中に竹崎と顔見知りの中尉がいた。

 彼の説明によれば、この機体は福岡の九州飛行機が開発した日本最初の対潜哨戒機で、例の磁気探知器を備えており、しかも水偵より急角度の降下爆撃が可能であるという。実戦配備はこの佐伯航空隊が最初だった。

「ほう、初陣か。そりゃあいい」

「ばってん、なんか頼りなか機体やなあ。ダイブしても大丈夫なんかいな」

「そのダイブだ。こいつの降下角を聞いて驚くな」

「いくつだ」これは竹崎が尋ねた。

「七〇」

 水偵組はみな黙ってしまった。

「投弾高度三〇〇、一五〇で引き起こしだ。フラップが最新式でな、急降下制動板も兼ねとる。突っ込みなら彗星にも負けん」

「彗星」とは急降下爆撃専用の機体である艦上爆撃機の名である。

 急降下制動板は、急降下時の速度超過を防ぐための、要は空力ブレーキである。原理的には板状の部品を進行方向に向かって開き、意図的に空気抵抗を増加させるという単純なもので、急降下爆撃用の機体には大体装備されている、

 この制動板が、零式水上偵察機にはついていない。したがって急降下の限界点が低い。

「七〇度か。ダイブというより」

 竹崎が腕を組んだ片方の手であごをなでた。

「真ッ逆さまだな」

 ついでに書いておくと、海軍においては、急降下はダイブであり、相棒はペアである。

 英国海軍に基礎を学び、おそらくは戦前日本で最大の英語を使う社会であった日本海軍は、たとえばカレーライスを「辛味入り汁かけ飯」と呼ばせたような、野暮な敵性語排斥運動とはまったく無縁であった。

 零式水偵の読み方も、正しくはレイ式とされていたが、英語のゼロ式とも読まれていたし、これをさらに省略してゼロ水と呼ぶ者もいた。救命胴衣はライフジャケットだったし、同期の集まりをクラス会と言った。

 とくに井尻たち海軍兵学校七十二期生は英語に馴染んでいた。このことについても、いずれ物語の中で書くことになるだろう。

 

 戦争末期に佐伯航空隊の主力となった二機種、零式水偵と東海には、妙な因縁がある。

 東海を開発した福岡の九州飛行機は、航空機メーカーとしては後発で、自社開発の飛行機は少ない。それまでは主に練習機などを開発しており、東海が初めての実戦用機である。東海のあとは、日本海軍最後の傑作戦闘機と呼ばれる「震電」の開発にあたっていたが、その工場のラインには他社製の機体の増産が割り当てられていた。

 その主体となったのが、もともとは名古屋の愛知航空機が開発した零式水上偵察機である。最終的には、この機体の総生産数のおよそ九割が、九州飛行機の香椎工場や雑餉隈《ざっしょのくま》工場などで作られている。

 なぜわざわざ九州でという気もするが、同社は練習機の開発の過程で、水上機製造の経験を相当積んでおり、その実績を買われたのであろう。さらには同社が、試験飛行や引渡しの際に必要となる水上機用飛行場を、博多湾に面した西戸崎《さいとざき》地区に所有していたことも、理由として考えられる。

 余談が過ぎるかもしれないが、実家である愛知航空機は、まさにこの十二月、東南海地震で甚大な被害を受け、工場はその機能を停止していた。結果として、九州飛行機に製造の力点を移していたことが、リスク分散の功を奏したということになるかもしれない。

 そんなわけで、東海と零式水偵は、いわば父親の違う兄弟とも言えたが、対潜攻撃の実力に関してだけ比較すれば明らかに弟に分があった。なお、両機の正式採用の時期を比べてみるとそこには約五年の開きがある。

 

「高度五百」

 井尻の声は聞こえたが島越は操縦桿を引かない。

 それはこの日最後のダイブであった。出発前に、最後は三百まで突っ込むことをこのペアは申し合わせていた。三百は実戦での投弾高度だが、それまでの緩降下爆撃では、すでに何度も突っ込んだことのある高度だった。それを四十度の準急降下でやってみようというのである。

 言い出したのは井尻である。最後まで待ったのは部下たちに真似をさせないためであった。編隊全機の訓練が終了したところで最後にそれをやるならば、その心配はない。その気配りは指揮官としての責任でもあったが、他人に心配をかけたがらぬ井尻らしさとも言えた。

「どうだ、最後にやるんならかまわんだろう」

「分隊長もすれてきましたなあ。茶目ッ気が出てきたっちゅうか」

 茶目どころではなかった。伊達や酔狂でもなかった。車やオートバイを玩具にしてスリルを楽しむのとは意義も志も違う。そうやって少しでも自らの錬度を上げていくことが、この国を救うことになるのだと彼らは信じていた。島越は井尻のそういう気持ちを十分承知していたし井尻が軽率に勇を振るいたがる男でないことも知っていた。

 すでに何度も使った言葉だが、島越は井尻の先任である。正確には先任下士官。

 先任とは軍務についた順の早いことをいう。井尻は兵学校出の中尉で、島越は海兵団出身の一等兵曹だから、階級は井尻が上なのだが、島越のほうが搭乗員としてはベテランであった。そういうペアである部下に、井尻は了解を求めているのである。やってみないか、と。

「やりましょう。分隊士が私の腕前を認めてくれとるんなら百人力です。敵の潜望鏡ば浮舟で蹴飛ばすつもりで突っ込みますか」

「よし決まった。でだ、ついでに、角度もちょいと深めに四十五度で突っ込むか」

 規定高度や降下角は訓練においては厳格に守られるべきもので、井尻の提案は明らかに規則違反である。それを一度にふたつも犯そうというのだから、島越は首を捻った。

「分隊長。それはいけません」

「だめか」

「高度は良かです。どうせ実戦では突っ込む高さですけん。ばってん降下角は守りましょう。こいつの主翼は艦載用に折りたたみ式です。そのぶん弱い。東海とは違います」

 島越が言うと、井尻は礼を言うようにしっかり頷いて、それからこう言った。

「わかった。貴様に命を預けてるんだ。その判断に従う」

 無理は通らない。それが飛行機である。通そうとすればその先には死が待っている。井尻は好んで「細心大胆」という言葉を使った。そうなのだ。細心が先でなければならない。

 井尻の飛行靴の内側には、名前の代わりにその文字が書いてある。左に「大胆」と書かれ、右には「細心」とあった。ある時上官が、左右はなぜそのように分かれているのかと尋ねると

「わたくしは右が軸足であります」と、野球選手だった彼は答えたという。

 

 島越は降下角を訓練規定の四十度に固定して降下した。井尻が計器で高度を確認する。

 いつもより機速が大きくなる。高度を余計に下げれば当然加速がつく。機体の振動が大きくなってくる。

 この降下角での爆撃照準は操縦員が行う。要は目標に向けて機首を固定するだけだ。島越の視野の中心には、エンジンカウリングの基部につけた急ごしらえのT字型爆撃照準器がある。その向こうに竹ヶ島があるのだが、その姿はきっとぶれて見えただろう。

 井尻は、エンジンの轟音で聞こえるはずのない、機体が空気の壁を切り裂く音を聴く。彼が座る席の坐面には、クッション代わりに畳んだパラシュートが置いてあるが、それでも尻から機体の振動が伝わってくる。視界の両端で主翼がぶれているのが見える。

 それらの、まだ限界のこちら側にある異変を恐れずに直視する。それらが限界の峰を超える寸前を五感で捉えるためには心の目をそらしてはならない。操縦桿を握るのは島越でも、爆撃コースに乗った以上、彼は目標に全神経を集中しなければならない。そのサポートは偵察員の重要な役割なのである。

「四百五十」

「コースよーそろ」

「用意、テッ」

 井尻はほとんど間をおかずに島越に声をかけた。最後が投弾の合図である。操縦員は投弾と同時に操縦桿を引いて上昇運動に移る。

 井尻は高度三百の少し手前で投弾の合図を出した。島越はそこで素直に操縦桿を引いたが、行き足のついていた機体は二百を少しきったところまで降下して、それから上昇に移った。

 機体に異常は感じられない。急激な反転上昇をかけると、搭乗員の体内では血液が遠心力によって足のほうに流れ、彼らはちょっとした貧血のような感覚を覚えたが、それもすぐに回復した。

「高度三百、ドンぴしゃりだ」

 井尻の呼びかけには激励の嘘が少しだけ含まれていた。

「はい」

 大きく息を吐きながら島越が答える。

 上昇運動に移った機体は、上空で待っている編隊のほうに近づいてゆく。

 上に向かって飛ぶのは気分がいい。太陽に向かって、このままどこまでも昇っていけそうな気がする。井尻は飛ぶことにロマンチックな夢を抱いて飛行気乗りになったわけではないが、その気分と、決死の覚悟で突入するダイブのそれを比べれば、まさに天地の差があった。

 子供のころ、まともに歩くことさえままならなかった自分が、今こうして空を飛んでいる。井尻は空に上がるとしばしばそれを思う。

 歩く練習を始めたころ、彼の父は息子に言った。

 人間の体は目が見ている方向に進むものだ。怖いから足元を見てしまう。そうすると転ぶ。おまえが歩いて行きたいほうを見なさい。怖くてもだ。そうすれば体はそちらに進む。

 そうだった。そして、あれから俺はずっと、そうしてきたのだ。

「分隊士、着水針路をとりますばい」

「ああ、そうだな」

 うっかりしていた。何を考えていたのだろう。もう着水海面は目の前だ。右に大入島、左に基地が見える。そのど真ん中に機首を向ける。

「ちいと波が高かです」

「うん」

 確かに少し波が高い。佐伯湾の最奥部に位置するこの空域は、後背に広がる山地の関係か、気流や天候がかなり気難しく変化が早い。離水した時に比べて、風が強くなっている。  

 この海面に一回目のアプローチで着水を決めるのはなかなか難しい。何度もやり直すことになるかもしれない。こういう時は指揮官機がさっさと降りてしまうわけにはいかない。編隊の全機が無事に着水するまで、井尻は上空に踏みとどまらねばならなかった。

「島越、俺たちはしんがりだ。ちょっと高度をとろう」

 井尻は後続機に、先に降りろと手信号を送って、少し上空に占位した。二番機が着水針路に入っていく。

 

 亮は台所でいつものように芋を割っていたが、外で飛行機の音が聞こえると、それを両手に掴んで飛び出した。岸壁にはすでに何人かの悪童どもが出て待っている。

「今日は面白えぞ」

 少年たちは、こういう風の強い日は、いつものショーが一段と面白くなることを知っている。 

 まず、進入してくる飛行機が風にあおられて大きく翼を揺らす。それから波頭の上で大きく跳ねながら派手な水しぶきを上げるのだ。サーカスのようなその迫力が見所なのだった。  

 命がけの搭乗員にとっては小憎らしい話だが、少年たちは、別に残酷な興味を持って眺めているわけではない。男の子なのだ。困難に、果敢に挑む姿にこそ心は躍るのだ。下手だ何だと悪態をつくのも応援のひとつなのだ。これは許してやらねばならないだろう。

 最初に進入してきた二番機は彼らの期待を裏切り、浮舟を濡らしもせずに着水を断念して、再び上昇をかけた。続いた三番機も上手くない。機体が右に左に大きく傾いている。

「ああ、いけん。ありゃあ危ねえぞ」

「白波も出てきちょるけのう。あ、やっぱりやり直しじゃ」

 井尻機を除く編隊の全機が最初の着水を断念したところで、少年たちの表情には不安の色が濃くなってきた。

 彼らは過去に着水に失敗して海面に激突し、海に沈んだ飛行機があることを知っていたし、そうなった時、搭乗員が必ずしも生還できるものではないことも聞いていた。

 もしもそれが目の前で現実になるならば「面白え」どころではなかった。単純に面白がって眺めていたことが、なにか大きな罪を犯していたような後悔に、彼らは襲われ始めていた。

「見てみい、トンボ釣りが出てきよる」

 ひとりが指差した基地の方を皆が見ると、確かに、ディーゼルのエンジン音を響かせつつ、着水海面に向かって全速で走ってくる、タグボートのようなふねがある。

 それは佐伯航空隊に所属する飛行機救難艇一五三六号だった。

 三〇〇トンの小型船で、不時着水した飛行機の搭乗員を救助するための特務艇だが、機体を揚収するための起重機と、引き上げたそれを載せる広いデッキを有している。

 飛行機救難艇はほとんどすべての航空隊に配置されており、右のように公称何号と数字名が与えられているが、これとは別に、たとえば佐伯空丸というような、航空隊名に由来の愛称がつけられていた。

 ところが口の悪い者になると、これを、そのどちらの名前でも呼ばず、飛行機を吊り上げるところから「トンボ釣り」と呼んでいた。あるいはトンボとは、搭乗員のことを指しているのかもしれない。

 トンボ釣りが着水海面に向かっているのを知って、少年たちは安堵した。もっともそれは、不時着水した搭乗員の助かる可能性が高くなったから、という事情ではない。

「あれはの」

 と、年かさのひとりが下級生に教える。ほっとしたのであろう。口調が偉そうである。

「船が走ったら、そのうしろに波跡《なみあと》ができるじゃろ。そこんとこだけは海が平らになるけの、そこを狙って着水するんじゃ」

 島の子供たちは、船に関するこういうことについてはとにかく詳しかった。小型の救難艇が作る程度の航跡では、その大きさの点では十分とは言えなかったが、それでも井尻機を除いた全機が、その航跡上に、無事に着水を完了した。井尻は上空からずっとそれを見守っていた。

「まあだ一機、上に残っちょるぞ」

「波跡がもう消えかかっちょるけ、よう降りきらんのじゃ」

「向こうに行ったトンボ釣りが戻ってきて、もう一回均してくれるんを待つんじゃろう」

「そりゃ、待ち長えのう」

 少年たちは、着水海面の最先端まで行き着いてしまった救難艇がもう一度戻ってくるまで、たっぷり二十分はかかるだろうと読んだ。できることなら早々に見物を切り上げたかったが、そうすることはその一機を見捨ててしまうような気もして、その場を離れられずにいた。

 寒くなってきたので相撲をとりながら待とうと、誰かが言い出した。

「ええぞ、俺が一番手じゃ」

 相撲といえば張り切る亮が名乗りをあげた。上着を脱ぎ捨てて上半身裸になると、さっそく四股を踏み始める。その時「降りてきちょるぞ」と、間の抜けた、意外そうな声がした。

 わらわらと岸壁に取り付いた少年たちは、その最後の一機が着水コースに入ったのを見た。亮は裸のままそれを見ている。

 

「分隊長、トンボ釣りのちょい右にコースをとって、島と航跡の間に降ります」

「了解。腕を見せてもらおうか」

 井尻には島越の声が少し弾んでいたようにも聞こえた。何も好きこのんで白波の上に降りることもないのだが、困難に臨んで心が躍るというのは操縦員の業というものだろう。

「燃料がもったいないしな。これで燃料を浮かせたぶん飲ませてやるぞ」

 井尻は軽口を叩いた。島越をリラックスさせるためだろう。

 機体は見事に水平を保ったまま海面に滑り込んだ。

 浮舟が水しぶきを上げ、いったん着水した機体が跳ね上げられる。プロペラが空気と一緒に海水を取り込み、風防ガラスにたたきつける。周囲がまったく見えなくなる。もしかしたら、機体は海中深く突入してしまったのではないか、とさえ思える。ダイブにつきまとう緊張感の何倍も嫌な感じだ。

 しかし、機体はやがて波に揺られながらも安定した航走を始めた。

「上等だ、島越。たいしたもんだ」

 今度のそれは混じりっけなしの、まったくの賞賛だったが、井尻はそれで口の中がすっかり乾いてしまっているのに気付いた。

 島越は左の腰の脇にあるレバーを引いた。それは足元のペダルで浮舟の舵を操作するための切替器だった。基地の鼻先に着水し、そこから西向きにかなり滑水したので、基地に戻るには舵をきって針路を反転させなければならない。

 機体が船のような航走を始めると井尻はゴーグルをはずし、風防を前方にずらして開けて、大きく潮風を吸い込んだ。顔に吹きつける風には海水の粒が含まれている。唇をなめると塩の味がして、それが妙に旨く感じられた。そこには生きている実感があった。

「分隊長、子供が見とりましたなあ」

「子供って、なんだ」

「オ、気づきませんでしたか。はは、俺のほうがちいと余裕があったようですなあ」

「こっちは高度計と首っぴきだ。景色を見てるひまなんかあるか」

「ほれ、島の岸壁ですばい」

 井尻は左手に替わった守後浦のほうを見た。

 数人の子供が立ち上がってこちらを向いているのがわかる。彼らは万歳をしていた。

「ほう、元気のいい奴がいるなあ」

 裸の少年がひとりいた。

 井尻は、彼が泳ぎを教えた弟のことを思い出した。

「島越、九州じゃこんな季節でも泳ぐのか」

 彼は長崎出身のペアに、あんがい真剣にそう尋ねた。

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